人狼坊ちゃんの世話係

ユリアと獣(4)

* * *

 黒い化け物はーーいや、ユリアだったものは、
 吹っ飛ばしたバンには目もくれず、
 再び俺へと腕を振るった。

 剣を構えて、重い衝撃を受ける。
 ビリビリと握りしめる手に振動が伝う。

 バンが何を言おうと、ここは退くしかない。
 セシルへ向かって、彼を連れて逃げろと言おうとした刹那、
 バッと目の前で黒が散った。

 それは、ユリアの右腕から溢れた黒い血液だった。

 どれほど攻撃をしてもかすり傷一つ負わせることができなかったというのに、
 一体、何が起こったのか理解が追いつかない。

 ユリアは俺と距離を開けるように飛び退ると、首を傾げ自分の傷口を眺めている。
 セシルの声が聞こえたのは、その時だ。

「ヴィンセント! バンが怪我を……!!」

「余計なこと言うな。大したことねぇよ」

 バンの掠れた声が耳に届く。
 咄嗟に振り返った俺の目に、右腕を抑えて顔をしかめるバンの姿が映った。

 ユリアと同じ、右腕の傷。
 こちらの攻撃を一つとして受けていないにも関わらず、傷を負ったユリア。

 ーー刹那、俺の中で1つの光が見えた。

 バンの怪我が原因で、ユリアが傷ついたのだとすれば。
 彼らの肉体は、繋がっているのではないか?

 バンの人知を超えた回復力の高さは、その繋がりによるもの。
 だとすれば──

『ヴィンセント、彼らの治癒能力がどこから来ているのか分かりますか?』

 ふいに、20年前の同僚の声が脳裏に去来した。

『それは、心臓です。いえ、核と言ってもいいかもしれません。
 彼らはそれによって、あの恐るべき治癒能力を得ているのです』

『しかし、それは同時に弱点足りえる。だからこそ、我々は彼らの心臓を狙う』

『では、問題です。彼らはその弱点をそのままにしておくでしょうか?』

『要である心臓を、わざわざ分かりきっている場所に置いたままにするのは、
 ただの傲慢というものですよ』

 あの1月のヴァンパイアは、そうだった。
 心臓を別の場所で保管していたせいで、
 処刑官たちは何度も彼を追い詰めながら、トドメを刺せなかった。

 そして、ユリアは何らかの理由で、
 バンの中に自らの心臓を入れたのだろう。

 つまり、俺がユリアに致命傷を与えてしまったとしても、
 バンが生き続ける限り、殺すことは不可能だということだ。

 それならば、暴走した彼を止めることはできる。
 俺の中には、『呪い』があるのだから。

* * *

「ヴィンセント!! バンが怪我を……!!」

「余計なこと言うな。大したことねぇよ」

 そう言って、オレは自身の腕の傷を見下ろした。
 心臓の鼓動に合わせて、ドプドプと赤がこぼれ落ちる。    しかし、それはゆっくりと、けれど確実に量が減り……やがて止まった。
 縫うほどの傷だったのにも関わらず、塞がったのだ。
 こんなこと、あるわけがない。

 いつからオレは――人間じゃなくなっていた?

 俺は小さく首を振る。
 答えなんて考えるまでもなかった。
 あの夜、オレは獣に殺された。
 そして、なんらかの理由で、人ではなくなった。
 ユリアが助けてくれたのだろう。

 これが別の時に気付いたのならば混乱もするだろうが、
 今気付けたのは僥倖という他にない。
 死なない体ならば、無茶がきく。

 オレは声を張り上げた。

「ヴィンセント。オレ、人間じゃなかったみたいなんだ。だから」

 ユリアを止めるために、オレにも出来ることがあるかもしれない。
 全てを言い終わる前に、ヴィンセントは口を開いた。

「ああ、知っている。
 だが、お前たちがやるべきことは何も変わらない。
 すぐに、ここから離れろ。
 もしもお前に、何かあったら……ユリアも助けることができなくなる」

 何もかも見通しているかのような答えだった。
 俺は眉根を寄せる。

「なに……? どういうことだ?」

 問いには答えず、ヴィンセントは目だけでユリアを見た。

「……見えるか? ユリアの傷が」

「傷? 右腕の傷がどうし――――」

 言いかけて、オレははたとする。
 彼は、オレと同じ場所をケガしているように見える。
 ヴィンセントは小さく俺に頷いた。

「お前とユリアは繋がっている。
 正確には、お前がユリアの心臓を持っている」

「ユリアの心臓……?」

「ああ。ヴァンパイアにとって、心臓は命の要だ。
 それによって人知を超えた回復力を得るが、
 逆に破壊されれば、二度と体を再生出来ない。
 それだけ、彼らにとって大切な器官だ」

 口早に告げられた言葉は、オレの想像を遙かに超えていた。

 ユリアの心臓がオレの中にある。
 ……そうか。
 アイツはそんな真似をしてまで、オレのことを助けてくれたのか。

「器であるお前がケガをすれば、その、ダメージは直接的にユリアに届く。
 それがどういうことか、分かるだろう?」

「……分かる。分かる、けど」

 オレが死ねば、ユリアが死ぬ。
 獣はそれを知っていたから、屋敷に戻ってきたオレを殺せなかった。
 しかし、今のユリアにはそんなことは理解出来ていない。

「早く行け」

 ヴィンセントが繰り返す。

 彼の言うことは尤もだった。
 だが……逃げて、それから? ヴィンセントはどうなる?

「お前はどうするつもりだ。勝てないって言ってたじゃねぇか」

「ユリアを殺す。
 時間はかかるだろうが、バン、お前さえ生きていれば回復はできる」

「殺すって……!」

「……ダメだ」と、固い声が落ちた。セシルだった。

 今まで黙って俺とヴィンセントのやりとりを見ていたセシルは、
 唸るように続けた。

「お前、呪いを開放するつもりだろ」

「……」

「ふざけるな。そんなことボクは認めないぞ」

「呪いの開放ってなんだよ」

「ヴィンセントは死ぬつもりなんだよ!」

「なっ……!?」

「だが、これしか方法はない」

「待てよ。死ぬしか方法がないなんて、そんなわけねえだろ!」

「事実だ」

 ようやく傷が塞がったのか、ユリアは見つめていた右腕から視線を外すと、
 再びヴィンセントに襲い掛かってきた。

「ぐッ!?」

 重い一撃に、ヴィンセントの足が地面に沈む。

「時間がない、急げ……!」

「イヤだ!」

 セシルのいう通りだ。
 彼が死ぬと分かっていながら、そんな提案を飲み込むことはできない。

 考えろ。何でもいい。
 ユリアに誰も殺させない方法を。なんとかして……

 心臓。
 右腕のケガ。
 オレと、ユリアは……繋がっている。

 ユリアが腕を振るうたびに、ヴィンセントの剣が悲鳴を上げた。
 最早、彼も武器も限界だった。

 早く……早く、ユリアを止めねぇと……!

 ──その瞬間、俺は……降って湧いた考えに従って、自身の右腕を瓦礫に叩きつけた。

「……っ!」

 破片が突き刺さり、血が散る。
 骨が砕けて、肉を貫いた。

「ぐ、ぅううう……っ!」

「バン!? 何してッ……」

 痛みに奥歯を噛みしめる。その時、

「ガアアアアッ!」

 空気を震わせる咆哮が響き渡った。
 今にもヴィンセントを押し潰さんとしていたユリアが、
 雷に打たれたように飛び退る。

「……誰も、殺させねぇぞ」

 手応えを覚えて、オレは口の端を持ち上げた。

 ユリアはオレと同じ痛みを感じている。
 それならば。

「……っ、ヴィンセント!」

 オレは振り絞るようにして声を張り上げた。

「俺が、ユリアの動きを止める。
 だから、頼む。ユリアを……叩き起こしてくれ!!」

-70p-