謎めいた屋敷と、ご機嫌な坊ちゃん(3)
屋敷の中には静寂が漂い、しんと冷えていた。
月が真上にくる時間なのだから、当たり前と言えば当たり前なのだけれど。
なんだろ……なんつーか……
夢の中にいるような。
古びた物語を読んでいるような。
……まあ、オレ、文字読めねぇけど。
こういう雰囲気を浮世離れしている、というのだろう。
廊下に置かれた調度品も、壁掛けの絵画も、照明も、たぶん、いや絶対、物凄く高い。
俺の人生が10回あっても賄えない気がする。
窓の外へと目を向ければ、黒い森が見えた。
不意に、夜鳥か何かの声が聞こえてきてギクリとしてしまう。
「こちらです」
その時、ユリアがある一室の扉を開けてオレを振り返った。
「お好きに使ってください。入り用な物があれば、遠慮なく言ってくださいね」
「ああ。ありがと……う」
部屋を覗き込んだオレは目を瞬く。
そこは、部屋と言うにはあまりに広い場所だった。
「バンさん? どうかしましたか?」
「……オレは世話係だ。こんな立派な部屋、使えねぇよ」
明らかに客室だ。ベッドなんて、6人弟妹全員抱えて寝転がっても、まだ余裕がある大きさだ。
「どうせ誰も使わないんです」
「だったら、新参者のオレじゃなくてメイドたちに使わせてやれって」
「彼女たちは祖父のメイドですから僕がいくら言っても従ってはくれません。
それに、あなたは叔父さんが連れてきた人だから。大切にもてなしたいんです」
プレゼントされたオレをぞんざいに扱えば、ひいては叔父であるハルを蔑ろにすることになる、と言うわけだ。
「……分かった。ありがとな。大切に使うよ」
「それじゃあ、今夜はこれで。また明日、迎えに来ます」
ユリアは部屋に明かりを灯すと、部屋を出て行った。
一人になったオレは改めて部屋を見渡す。
「……すげ」
吹き抜けの部屋は、走り込みができるくらい広々としていた。
ベッドのマットレスは分厚いくてふかふかだし、なんだか空気が芳しくすらある。
オレは窓際に歩み寄ると、カーテンをよけて窓を開けた。
すると、先ほど感じた芳しさの原因が目の前に広がっていた。
「バラ……」
青いバラだ。階下にバラの庭園が広がっている。
オレは窓から身を乗り出すと、空気を肺いっぱいに吸い込んだ。
酒の香りもタバコの煙も感じない。清涼な風は、オレの汚れなど気にもとめずに、部屋の中へと吹き込んでくる。
「……我ながら、単純だな」
金を積まれてオレは買われた。
ぶっちゃけ俺は死ぬほどではないにしろ、酷い目に遭うのだろうと覚悟を決めていた。
だからユリアの様子に拍子抜けしたし、その分、彼を好意的に見てしまうのかも知れない。
……そんな結論を下すのは時期尚早だとは思うけれど。
「愛せるかも、だなんてさ」
ユリアを可愛いと思った。
置いてきた弟や妹と重なって、放っておけない。
ハルの目論見通りになってしまいそうだ。
「……っと、寝よ寝よ。初日から寝坊だなんてしゃれにならねぇ」
オレは荷ほどきもそこそこに、ベッドに潜り込んだ。
柔らかすぎて腰が痛くなりそうだと思いながら、瞼を閉じる。
意外と疲れていたのか、驚くほどの速さでオレは夢の中に落ちていった。