謎めいた屋敷と、ご機嫌な坊ちゃん(2)
「わぁ、本当だ。本当にハル叔父さんだ!」
深々と頭を下げるメイドたちの間を走り抜けると、
背の高い男は勢いよく前を歩いていたハルに飛びついた。
「突然来るっていうんだもん、驚きましたよ。10年ぶりくらいですか?」
「そうだったかな。よく覚えていないや」
「また明日って言ってから全然音沙汰がなくて、心配してたんですよ」
「それはごめんね」
ハルは肩を竦めると自分よりも大きい男の頭を無造作に撫でた。
満足そうにニコニコ微笑む男は、やがてオレに気付いてきょとんとした。
「……? そちらの方はどなたですか?」
「君の世話係だよ」
「世話係?」
「ほら、前に友達が欲しいって言ってただろう? 友達は父さんがダメだって言うから、世話係にしたんだよ」
「覚えていてくれたんですね。嬉しいなあ」
どうやら彼がオレの主人らしい。
オレの方に向き直った男は、更に笑顔を深くした。
月明かりを照り返す、金のクセっ毛。しっかりした鼻筋の先に、大きめの口。
唇は薄い。
影を落とす睫が、知性的で慈愛に満ちた瞳を飾っている。
背丈はオレよりも頭一つ大きく、引き締まった体をしていた。
年の頃はよく分からないが、たぶん年下だろう。
目元に、少年のような幼さが残っている。
……一瞬、オレは目を奪われた。
ハルの美しさを暴力的で一方的な美とするなら、
彼の美しさは内面に訴えかけてくるようなものだった。
親しみやすい微笑みに、緊張の糸が解れ、オレの口の端も自然とつり上がる。
「……どうも」
小さく頭を下げれば、彼はウキウキした眼差しをハルに向けた。
「彼はバン」
ハルが抑揚のない声で答える。
「バンさん」
名前を繰り返した男は、再びオレに向き直った。
「よろしくお願いします。僕はユリアです」
差し出された手を、戸惑いつつ握り返す。
その手は普通に温かくて、オレは知れず胸を撫で下ろした。
「ユリア……坊ちゃん」
「はは、坊ちゃんなんて止めてください。僕のことは、ユリアと」
「……おい、本当に呼んでいいのか? 呼んだら不敬罪とかで殺されない?」
隣のハルに耳打ちすれば、彼は肩を竦めた。
「そんなことじゃ殺さないよ」
別の理由では殺すこともあるらしい。俺は何も聞かなかったことにした。
「よ、よろしくな。ユリア」
「はい!」
ニコニコと笑うユリアは、犬を彷彿とさせる。
感情表現が豊かで、左右に振れる尻尾が見える気がした。
表情の乏しいハルや、メイドたちの中で、彼の明るさは異質だ。
「早速ですが屋敷の案内をしても宜しいでしょうか?
……あ、時間も時間ですし、それは明日の方がいいか。
ひとまず、空いている部屋に案内します。荷物はそちらだけですか? 運びますよ」
「はっ!? や、坊ちゃん直々にそんなことさせらンねぇよ」
「あなたを望んだのは、僕ですから」
問答無用でオレの手から鞄を取り上げると、ユリアは踵を返した。
「ちょっ……待ってくれ! やっぱ荷物は自分で――」
慌ててその背を追いかけたオレは、指示を求めてハルを振り返る。
それからギクリと頬を引き吊らせた。
「……おいおいおい。まじか」
そこにいたはずの男はすでにいない。まるで元からいなかったように。
……メイドたちが、オレを凝視している。
オレは覚悟を決めて、壮大な屋敷へと足を踏み入れた。