忍び寄る「黒」と赤い過去(5)
男の注意が僅かに背後へと逸れる。
俺はその瞬間、体を沈みこませ前方へと跳躍した。
奴らが何故戻ってきたのかなど、考えるべくもない。
指輪を使い、俺を眠らせるつもりなのだろう。
愚かにもほどがある。
お前たちさえ来なければ、手の打ちようはあったというのに!
「セシルッ!」
秒にも満たない僅かな動きの遅れ。
それが俺と男の間に致命的な差を生み出す。
「ぐッ!?」
剣に速度が乗るよりも早く、俺は腕を思い切り払い男を壁まで吹き飛ばす。
ダメージはないだろうが、最早戻ってはこれまい。
ガキを守るモノは、この瞬間何もなくなった。
いや──
そこいたのは、ガキではなくあの使用人だった。
いつの間に入れ替わったのか、真っ直ぐと生意気な眼差しで俺を睨みつけてくる。
俺が殺せないとでも思っているのだろう。
その通りだ、俺にはコイツを殺すことは出来ない。
だが、殺せないだけだ。
「邪魔だッ!!」
男と同じように壁へと叩きつけてやればいい。
その思い込みのせいでこれからは俺の心臓の器として、
暗い牢で永遠の余生を過ごすのだ。
己の愚かさと、俺たちに関わったことを後悔しながら。
俺は使用人へと腕を振るう。
すると、ヤツは何故かこちらへ手の甲をかざした。
「お前の負けだ」
「貴様……ッ!?」
あのガキが指輪をしている。
――そう思い込んでいた。
「ガアアアアアッ!!」
咄嗟に目を瞑ると顔を背け、雄たけびと共に使用人を吹き飛ばす。
「ぐうっ……!?」
指輪の光は、俺の網膜を焼いてはいない。
人間ごときが、こちらの速度を上回ることなど不可能。
俺は勝利を確信し、瞼を持ち上げ……
待て。なぜ、指輪の光を感じなかった?
そもそも、アイツは指輪をしていたか……?
開いた目の先に、男を守るようにしてガキが立っていた。
怯えた目をしていた。
けれど、その瞳には決意めいた色が滲んでいた。
「何故、そこにっ……!」
かざされた手の甲。
そこで、赤い輝きがきらめいた刹那、
目玉が裏返るような脱力感に襲われて、俺は腹の底から声を張り上げた。
「アアアアアァァァァァァァッッッッ!!」
早くこの光を止めなくては!
渾身の力で、俺は拳を振るう。
しかし、耳に届いたのは聞き覚えのある鉄の鈍い音だった。
「……無茶をするな、セシル」
斬り上げられた大剣によって、俺の攻撃はいなされていた。
この俺が。
この俺が、また。
吐き気をもよおすほどの苛立ちとともに、
俺の意識は真っ暗な奈落の底へと叩き落とされていった。