忍び寄る「黒」と赤い過去(2)
鉄の軋む、重く鈍い音が耳奥に届く。
見ればヴィンセントがボクのすぐ前に立っていて、
その大剣で、巨大な獣の鉤爪を受け止めていた。
獣はジロリとボクらを見下ろすと、唸るように口を開いた。
「……貴様ら、誰の許可を得て此処にいる?」
「え、ぁ、なに……なんで、人狼が……」
いつの間に現れた? どうして?
何が起こっているのか理解が追いつかない。
「誰の許可を得たと聞いているッ!」
獣が再び攻撃を仕掛けようと腕を引いた刹那、
ヴィンセントはボクの首根っこを掴み、部屋の入口までぶん投げた。
「いっ……」
受け身がとれず、床を転がる。
「チッ、ちょこまかと……」
顔を上げると、ヴィンセントは獣から間合いを取り、
刃先を下に、大剣を盾のように構えていた。
息が出来ないほど、空気が張り詰めている。
「その構え、何かの本で見た覚えがあるぞ。
貴様、一級処刑官か……」
ヴィンセントはそれには答えず、厳しげな声を上げた。
「――何をぼうっとしている。早く行け」
ボクは打たれたように立ち上がると、一目散に走り出した。
何だあれ。何だあれ。何だあれ。
なんでここに人狼がいる?
訳が分からなかった。
だけど、一つだけ理解できたことがある。
……ボクはとんでもないことをしてしまったのかもしれない。
ガクガクと全身が震えている。
圧倒的な強さを目の当たりにして、呼吸が浅くなる。
獣の目は冷たかった。
咄嗟に伏せなければ。ヴィンセントが庇ってくれなかったら。
ボクは……ボクは今頃、灰になっていた。
「ヴィンセント……っ」
屋敷が震えるほどのけたたましい戦闘の音が聞こえてくる。
一瞬、その音が途切れると、背中に冷たい汗が流れて
息が止まりそうになった。
ボクは駆けた。
振り返りたい気持ちを飲み込んで。
笑う膝を無視して。奥歯を噛み締めて。
* * *
……ろ。起きろよっ!
声が聞こえた。
続いて、ピシリと頬に痛みが走り、
泥のような眠りから、意識が勢いよく浮上していく。
「いつまで寝てるんだよ、使用人!
起きろ! 起きろってば!!」
胸ぐらを掴まれた気配。
「ヴィンセントが……ヴィンセントが……っ!」
ガクガクと揺さぶられる。
その時、何かが壊れるけたたましい音が耳に届いた。
「なに……」
やっと瞼を持ち上げれば、
オレの視界に、今にも泣き出しそうなセシルの顔が飛び込んでくる。
「行くよ!!」
彼はそう言うやいなや、オレの腕を強く掴みセシルは走り出す。
なんとか彼の後に続けば、屋敷が振動するほどの轟音が聞こえた。
ただごとではない何かが起こっている。
まるで、獣が目覚めた時のような……
オレは前方を走るセシルに険しい眼差しを向けた。
「……何があった? お前……ユリアに何をした?」