人狼坊ちゃんの世話係

心臓のない王(7)

* * *

『ユリア』

 僕の名前を呼ぶ、優しい低音。

 もっと、呼んで。
 僕はここにいると。ここにいてもいいのだと。
 お願い。バンさん。僕を……許して。

* * *

 体が澱のように淀んでいる。

「おはよ、ユリア」

 思うように動かなくて、目だけを持ち上げれば、
 何故かバンさんがいて、僕を見下ろし微笑んでいた。

「バンさん……?」

 夢じゃない。
 僕はハッと我に返った。

「な、なんで……っ、出ていったはずじゃ……」

「あれ、やっぱ止めたわ」

 彼の手は僕の頭に置かれていた。
 それは微かに震えていて、僕はギュッと胸が苦しくなる。

「……僕が心配で、戻って来てくれたんですよね。
 でも、もう、大丈夫ですよ。お陰様で意識を取り戻せました。
 教会の人たちは去ったようですし……」

 手をそっと退けようとすれば、逆に握りしめられた。

「もう離れねぇよ」

「え……」

「もう何処にも行かない」

 バンさんが言う。
 僕は理解が追いつかなくて、目を瞬かせた。

 何処にもいかない?
 バンさん、ずっと僕の側にいてくれるの?

 口を突いて出そうになった言葉を無理矢理飲み込む。

「ダメですよ。ここにいたら、また――」

「獣はオレのことを殺さなかった。
 たぶん、しばらくは……二度とあんな目に遭うことはない」

「……」

 確かに獣はバンさんを……たぶん、僕が消えてしまっても、二度と傷付けない。
 でも、彼にしてしまった過去はなくならない。彼が僕に抱く恐怖心も同じだ。
 僕の側にいる限り、彼は恐ろしい過去を思い出す。

「でも……僕のこと、怖いでしょう?」

 上擦った声で告げれば、彼は少し寂しそうに眉根を下げた。

「ああ、怖い」

「それなら」

「でもさ、離れたくねぇんだよ。
 オレが側にいると、お前は傷つくって分かってる。
 それでも、側にいたいんだ。……世話係失格だな」

 バンさんはそう言って僕から手を離した。
 それから、いつもみたいに両手を広げてみせる。

「こんな震え、すぐに乗り越える。
 だから……ユリア。オレをもう一度、必要としてくれ。
 受け入れてくれ」

「バンさん……」

 ……あなたは、誤解してる。
 僕はあなたを必要ないだなんて思ったことない。
 むしろ逆だ。

「……あなたの痛みに比べたら、僕の傷なんて、大したことないよ」

 このぬくもりを手放すふりをして、僕は……
 僕はね、あなたが思いも寄らない方法で、あなたに卑劣な真似をしてるんだよ。

 躊躇いがちに手を伸ばせば、バンさんは僕の手を掴んで引いた。
 首筋の皮膚が粟立っている。背中に回された指先も、小柄な体も、震えている。
 それでも彼は、僕を押しのけたりも、離したりもしなかった。

 バンさんの胸から、心臓の鼓動が聞こえる。……僕の、心臓の音が。

「オレを離すなよ。ユリア」

「もう離しません。……愛してるんです」

 告げると、彼はフッと笑った。

「ああ、オレも愛して――」

 唇を重ねれば、

「……ッ」

 バンさんの震えが、一瞬だけ止まった。

「お、おまっ、何しっ……」

「なんで? 言ったでしょう? 愛してるって」

「あ、ああ、あ、愛してるって、そういう……っ?」

「バンさんは違うの?」

 小首を傾げれば、彼はもの凄く困った顔をして、フイと顔を背けた。

「……たぶん、違くは……ない」

「良かった」

 僕は彼を抱きしめる腕に力を込める。
 赤く染まった部屋で、僕らは少しの間くっついていた。
 ……バンさんからは、微かにバラの香りがした。

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