心臓のない王(5)
* * *
隠し部屋だろう。不自然に破られた壁の向こうに、階段が続いていた。
オレは足先から迫り上がる恐怖を無視して、階段を駆け下りる。
出入口から差し込む光が、赤く染まった部屋を露わにする。
薄暗い部屋には、血の香りが充満していた。
「うっ、うう……」
くぐもった声を漏らしながら、男たちが床に這い蹲っている。
累々と横たわるのは、森で見かけた教会の男たちだけではない。
メイドや使用人の姿もある。
その中心で、獣が血にまみれた男の頭を鷲掴みにしていた。
「……その男を離せ」
オレは口を開いた。
血に濡れた男は力なく腕を落としていたが、その目には敵意のどす黒い光が宿っている。
「……誰に向かって口を聞いている」
獣はコチラを見やると、鼻に皺を寄せて唸った。
オレは真っ直ぐ獣の鼻先まで歩み寄った。
血が、焦りが、オレの恐怖心を麻痺させていたのだと思う。
「お前だよ、獣。その男を離せ」
「なぜ、貴様の言葉を聞く必要がある?」
獣は低く唸ると、オレに鋭い牙を剥く。
「殺されたいのか、下等生物が」
「そんな脅しにオレは屈しねぇ」
ヤツに噛み殺される。オレはそう思っていた。
だが、その瞬間はいつまで経っても訪れない。
獣は静かな怒りをオレに向けるばかりで、傷つけようとはしなかった。
……なんだ?
強い違和感に、オレは冷静さを取り戻していく。
何か、変わった?
獣が? それとも……オレが。
「ここから立ち去れ。そうでなければ、お前を殺す」
「殺せよ」
「…………なに?」
鼻先に、荒い呼吸が吹きかかる。
やっぱり、そうだ。
獣はオレを殺さない。
オレは確信を持って、口を開いた。
「どうした、早く殺せよ。
それからその男も、転がってる男たちも殺せばいい」
「………………」
「何をしてる。ほら、早くしろよ!」
長い間があった。
心臓がドクドクと音を立てている。
オレは真っ直ぐと冷酷な眼差しを睨み返した。
「…………忌々しい」
やがて、獣は持ち上げていた男を放った。
オレはすぐさま、まだ動けそうな若い男を振り返った。
「早く行け。獣の気が変わらないうちに」
「ぅ……あ、あぁ……っ!」
仲間を引きずるようにして、教会の男たちが撤退していく。
やがて、男たちの姿が見えなくなると、獣はオレの胸ぐらを掴み上げた。
「調子に乗るなよ、下等生物が」