人狼坊ちゃんの世話係

心臓のない王(1)

 ――森が静まり返っている。

「ユリア様」

 窓の外を眺めていた僕はカーテンを閉めると、メイド長の声に振り返った。

「何者かが森へ侵入したようです」

「うん……音が聞こえる。蹄の音だ。
 相手は、10人かな。教会の人間だと思う」

 招かれざる客がこの森に踏み入れば、半日と迷うよう結界が張られている。
 にも関わらず、真っ直ぐにこの屋敷に向かっていることから、
 彼らはそれなりに力のある人たち――教会の異端処刑官なのだと予想がついた。

 異端処刑官――教会が異端と認定したモノを屠るスペシャリストたちだ。

「いかがなさいますか」

「隠し部屋へ避難しよう。
 痕跡が見つからなければ、彼らも諦めて帰っていくよ。
 だから、すぐに消してくれ」

 僕の言葉に、メイド長は頷くと部屋を出ていく。

「見つからなければ……。
 ううん、絶対に見つからないようにしないと」

 祖父の用意してくれた使用人たちは、夜の眷属だ。陽の光に弱い。
 いくら鬱蒼とした森の中とは言え、
 真昼間から彼女たち全員を連れて外に逃げるのは危険だ。

「大丈夫。うまく隠れられる」

 僕は深呼吸をした。
 見つかるわけにはいかなかった。
 見つかれば、いな、戦闘になったならば、獣が目覚めて、そうして……

 誰も殺したくない。
 次に誰かを殺してしまったら、
 僕はもう僕ではいられなくなってしまう……そう思うから。

 ……自分を手放した方が、楽になれるのかもしれないけれど。

 そんな考えを僕は慌てて振り払う。

 バンさんは、戻って来ると約束してくれた。

 僕はふぅっと息を吹き掛けて、部屋の灯りを消す。

「大丈夫」

 言い聞かせるように繰り返し呟いて、僕は使用人と一緒に隠し部屋へと向かった。

■ □ ■

 鬱蒼とした森の奥深くに、
 ぽつねんと豪奢な屋敷があった。

「……」

 ゲオルグ隊長が目だけで合図を飛ばすと、
 5人の異端処刑官たちは、抜き身の剣を手に玄関から中へと足を踏み入れた。

 屋敷の中はシンと静まり返っていた。
 昼間だと言うのに真っ暗で、一切の気配がない。
 廊下に並ぶ調度品の数々は、元は麗しいものだったのだろうが、今では埃が積み重なって見る影もない。
 まるで屋敷は、高貴な人間の墓のようだった。

「……静かですね」

 部下の一人が呟く。
 人外の相手に、人間の「忍ぶ」など大した意味はない。森に踏み入った時には気付かれている。

 ゲオルグは慎重に進んでいった。

 相手はシーズンズ――夜の眷属12の家柄の一人。
 古代より生き続ける、特別なヴァンパイア。
 更に言うならば、今回の獲物は七月の王と呼ばれる最凶の一人だ。
 こちらの目的も、人数も、装備すら伝わっていると考えた方がいい。

 屋敷は死んだように沈黙している。

 無用な戦いを疎んで、屋敷を捨てる可能性もなくはなかった。
 しかし……

 ゲオルグは壁掛け照明を注意深く見た。
 ロウソクの埃が、微かに焦げている。

 ゲオルグは振り返ると、無言で頷いた。
 それに呼応するように、部下たちが銀の剣を構える。

「――狩りを始めるぞ」

 ゲオグルは口の中で呟いた。

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