人狼坊ちゃんの世話係

異端処刑官

「意外と、この森って小さかったんだな」

 初めて屋敷に来た時、なんて大きな森なんだろうと思ったが、
 馬で森を走って見れば、なんてことはない普通の森だ。
 抜けるのに、3時間もかからないだろう。
 前に来た時は夜だったから、余計に大きく感じたのかもしれない。

 森は鬱蒼として暗かったが、ゆったりとした時間が流れる場所だった。時折、野ウサギが前を横切ったり、リスが木の実を食べているのを目撃した。

「ユリア……」

 ……本当に一人にして、良かったんだろうか。

 ふと頭に浮かんだ不安を、オレは慌てて振り払った。

 あの夜を乗り越えないまま、ユリアの傍にはいられない。

 ユリアのために、オレに出来ることをしよう。
 あの力を抑える方法を探し出して、過去を乗り越えて、そうしてまた彼に会いにいこう。

 なのに。
 心は納得出来ていない。

 離れたくない。ユリアの傍にいたい。
 気持ちばかりが、空回る。

「……なんだ?」

 その時、ふいに森から一切の音が消えた。
 先ほどまでいた野ウサギやリスが姿を消し、張り詰めた静寂が落ちる。

 オレは少し離れた先に何者かの気配を感じて、道を逸れた。
 そのまま森の深くへと馬を進める。
 ついで街道から離れすかさず馬から降りたオレは、来た道を戻った。

 やがて、馬の蹄の音が近づいてきた。
 それも、1頭や2頭ではない。

 木陰に身を潜め、息を詰めて気配の元を待てば、
 武装した10人ほどの馬に乗った男たちが視界に飛び込んできた。


「こんな場所にヴァンパイアの根城があるなんて……」

「こんな場所、だからこそだろうな」

 男たちの声。
 見れば腰には見たこともない細身の剣を携えている。

「諜報部の連中がようやく見つけたんだ。失敗は許されんぞ」

「それは分かっています。
 ですが、シーズンズの1人が人間を連れていたという情報が気になって……」

「餌にするために連れて行ったのだろう」

「そうかもしれませんが、わざわざ連れて行く理由はなんでしょうか?
 どうにもそこが腑に落ちないのです」

「罠だとでも言いたいのか?」

「その可能性が高いかと」

「臆病風にでも吹かれたのか。
 化け物を恐れていては、異端処刑官は務まらないぞ?」

「そういうわけでは!」

「あまり虐めてやるな。初めての任務だ、緊張しているのさ」

「すまんな。緊張をほぐしてやろうと思ったんだが、逆効果だったか」

「奴らが何を仕掛けようと、我々がやるべきことは変わらん」

 そう言って振り返ったのは、
 他の男たちとは明らかに違う鎧をまとった壮年の男だった。
 肩口にはいくつもの勲章がぶら下がっているのが見える。

「この機を逃せば、次に近付けるのはいつになるか分からん。
 たとえ罠を張っていようが、それを打ち崩し奴の心の臓に杭を打ち込むだけだ」

「はい……」


 男たちが立ち去ると、オレは詰めていた息を吐き出した。

 ……アイツら、教会の人間だ。

 男たちが身につけていた鎧の文様には、見覚えがあった。
 大地に突き刺さった聖槍を中心に、それを囲む2匹のヤモリが互いの尻尾を噛み合っている。
 それは大陸宗教の教会のシンボル。

 オレはすぐさま踵を返した。
 男たちはユリアが住む屋敷に向かっている。
 目的は多分『バケモノ退治』。

 話から考えるに、彼らはユリアの叔父を追ってここまで来たようだ。
 彼が連れていたという人間は、オレのことに違いない。

「後で迎えに行くから。森から出るなよ」

 オレは馬と合流すると轡を取り外してその尻を叩いた。
 ついで屋敷に向かって駆け出す。

 男たちがユリアと出会ったら?

 彼が教会の男たちに何かすることはないだろう。けれど、獣は?
 もし、ユリアが意識を失って、獣が表に出てくるようなことがあったら……
 ヤツは容赦なく、殺すに違いない。

 そうしたら、ユリアは――

「……殺させねぇ。絶対に」

 オレは細心の注意を払いながら森を迂回し、屋敷を目指した。

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