番外編『この美しく閉ざされた世界で、あなたと』(4)
* * *
それから彼と過ごした半年は、夢のような毎日だった。
彼は僕の欲しい物をたくさん与えてくれた。
たくさん笑って、驚いて、喜んでくれた。
秘密基地のガラクタも、僕の拙いピアノの演奏も。
初めは、彼が僕に優しくするのはお金のためだと思った。
僕はそれでも十分幸せだった。
けれど……その考えは誤っていた。
バンさんは今の僕だけじゃなくて、
一人で過ごしていた過去の僕すら、救い出すかのように可愛がってくれた。
僕にとって、彼のぬくもりは……なにものにも代えがたい、宝物になった。
* * *
「ねえ、バンさん。抱きしめてもいい?」
バラの世話から屋敷へと帰る道すがら、僕は口を開いた。
「なんで、庭仕事終わった後に言うんだよ。
汗臭いぞ、オレ」
バンさんが困ったように眉根を寄せる。
「ダメ?」
「ダメだ。シャワー浴びるまで待ってろ」
歩く速度が上がる。
そんな彼を、僕は後ろから抱きしめた。
「やだ。待てない」
「……っ!」
鼻腔を爽やかな汗の香りがする
首筋に顔を埋めて、僕は吐息をこぼした。
確認する。彼は生きている。……僕も、生きている。
「お前なあ」
バンさんは一瞬、僕を押しのけようとしてから力を抜いた。
「……ったく、甘ったれめ」
ああ、キスしたいな。
ふいに、そんな思いが胸に去来した。
彼の唇にキスをしたい。
物語の中の恋人のように。
でも、そんなことをしたら、彼はどうするだろう?
二度と話してくれなくなるかも。
だって、彼は僕の世話係なのだ。
「そろそろ離せって」
「もう少しだけ、このまま」
耳朶に唇を寄せて、僕は呟く。
ねえ、バンさん。僕は寂しい子だから、優しくしてよ。
「……参ったな、ホント」
バンさんは困ったように笑った。
僕は抱きしめる腕に力を込めた。
僕の世界は、窓から見えるだけで全部だ。
美しいけど、ちっぽけで、閉じられている。
でも、それで良かったと今なら思う。
……だって、ずっとあなたを見つめていられるから。
『人狼坊ちゃんの世話係』
番外編『この美しく閉ざされた世界で、あなたと』 おしまい