番外編『この美しく閉ざされた世界で、あなたと』(3)
* * *
叔父さんは時間の感覚が人よりもだいぶズレている。
だから、きっと、数年したら戻って来るかもしれない。
でも、戻ってこないかもしれない。
それより何より、泣き止まない僕に愛想をつかしたのかも。
それからしばらくして、僕は部屋のカーテンを閉め切った。
そうすれば、メイドたちは昼間にも関わらず僕の部屋を訪れることができるからだ。
彼女たちは僕が呼び鈴を鳴らすと、すぐに来てくれた。
「おはようございます」
と、僕が言えば、
「おはようございます」
と、彼女たちは返してくれる。
「今日はいい天気ですね」
「はい」
「あの、朝ご飯とても美味しかったです」
「はい」
「ええと、その……」
沈黙が落ちる。
彼女たちは、僕が話しかけない限り答えてくれない。
だんだんと口を開く気力もなくなって、僕は肩を竦めた。
「……なんでもないです。引き止めてしまって、すみません」
「失礼いたします」
彼女たちは、祖父の命令の範囲内ならば、何でも僕のお願いを聞いてくれた。
でも、それだけだ。
僕はカーテンを開けた。
微かな太陽の光は、なおさら僕の孤独を浮き上がらせた。
* * *
それから10年とちょっと、僕はひたすら本を読み、
時折、母の残したピアノを弾いた。
「……こほっ、こほっ」
ある日、書斎で椅子に腰掛けて本を読んでいると、
乾いた咳がこぼれた。
「『あー』。『あ』、『あ』、『あ』。
……はは、声の出し方、忘れちゃいそうだ」
屋敷は、飾り立てられた墓だ。
ゆっくりと僕は死に向かっていた。
窓の外に目を向ける。
階下に広がる、緑豊かな庭。
色とりどりの花が咲き乱れ、爽やかな風が、甘い香りを運んでくる。
この窓から見える世界が、僕の全てだった。
なんて美しくて、寂しい景色だろう。
* * *
「わぁ、本当だ。本当にハル叔父さんだ!
突然来るっていうんだもん、驚きましたよ。10年ぶりくらいですか?」
「そうだったかな。よく覚えていないや」
「また明日って言ってから全然音沙汰がなくて、心配してたんですよ」
唐突に、叔父さんが戻ってきた。
珍しく、誰かを連れていた。
「……? そちらの方はどなたですか?」
「君の世話係だよ」
「世話係?」
「ほら、前に友達が欲しいって言ってただろう? 友達は父さんがダメだって言うから、世話係にしたんだよ」
「覚えていてくれたんですね。嬉しいなあ」
僕は叔父さんに隠れるように立つ人物に目を向けた。
あれ?
初めに感じたのは、違和感だ。
彼は『緊張』していた。僕を見ると、一瞬、目を見開いて、
それから小さく頭を下げる。
「……どうも」
もしかして。
もしかして、この人は。
「彼はバン」
叔父さんが抑揚のない声で告げる。
「バンさん」
僕は名前を繰り返すと、彼に一歩近付いた。
「よろしくお願いします。僕はユリアです」
差し出された手を、彼は戸惑いつつ握り返してくれる。
その手はとても……とても、温かかった。
「ユリア……坊ちゃん」
「はは、坊ちゃんなんて止めてください。僕のことは、ユリアと」
バンさんは不思議な香りがした。
いろんな香りが混ざっている。
でも、一言で言えば、甘い。凄く甘い香りだ。
近くによると、ドキリとした。
首筋に思わず噛み付きたくなった。