人狼坊ちゃんの世話係

番外編『この美しく閉ざされた世界で、あなたと』(2)

* * *

 翌日から、叔父さんは僕の遊びに付き合ってくれた。
 虫取りに、バラの世話、いい感じの枝で杖を作ったり、泥団子を磨いたり。

 そして、ある日のこと。

「叔父さん、叔父さん。見てよ。凄く綺麗だよ」

 僕は凄く苦労して捕まえた髭の長い瑠璃色の昆虫――たぶんカミキリムシの一種だろう――を、叔父さんに得意げに見せた。

「コイツ、なんて名前なのかな」

「虫だよ」

 叔父さんが答える。

「虫」

 うん。虫だね。僕は頷いた。

 叔父さんは変わってる。
 長く生きているのに、何にも知らないんだ。
 ううん、彼の目には世界は凄くシンプルに見えてるみたいだった。

「いっ……!」

 その時、虫が鋭い顎で僕の手に噛み付いた。
 隙を付いて、逃げ出す。    その瞬間、パシッと叔父さんが虫を握りしめた。

「こうしておけば、逃げないよ」

 叔父さんが差し出した手のひらの上で、虫はバラバラになっていた。

「ちょっと形は崩れちゃうけど」

「……ありがとう」

 僕はぎこちなく笑って、死骸を受け取った。
 それから、屋敷の端に小さなお墓を作って埋めた。

 その日から、僕は虫を取るのをやめた。

* * *

 それからしばらく経った、雨の日のこと。

 みーみー

 何処からともなく、子猫の声が聞こえてきた。

 声を頼りに庭を巡れば、一匹の黒い子猫を見つけた。
 何処から来たのか、その子はノミだらけで、げっそりと痩せていて、
 雨に濡れて、嫌な臭いがした。

「ねえ、叔父さん。
 今夜だけ、この子を屋敷に入れてもいい?」

 玄関先で、僕はすがるように叔父さんに言った。

「何のために?」

「この子、震えてるよ。
 温めてあげないと、死んじゃうかも」

「それの何がいけないの?」

「死んだら、僕は悲しいよ」

「ユリアは面白い考えをするんだね。
 好きにしたらいいんじゃないかな」

 メイドたちが、お湯を用意してくれて、
 僕は子猫を洗って、ノミを潰した。
 タオルで包み込んで、お湯で薄めたミルクを飲ませる。

「元気になったら、この子は僕の友達になってくれるかな」

「君は友達が欲しいの?」

「うん」

 夜通し、僕は子猫を温めた。

 でも子猫はクタリとしたままで、
 結局、元気になることはなかった。

「もっと早くに見つけてあげられてたら、
 死ぬことはなかったのかもしれない」

 手の中で、命の灯火が揺らいでいる。
 悔しくて、悲しくて、僕は泣いた。

「ユリア、泣かないで」

 叔父さんが、冷たい手で僕の背を撫でる。
 僕は首を振った。

「雨の中、一人ぼっちで助けを待ってたんだ。こんなに弱るまで。
 酷いよ。あんまりだ。僕が……僕がもっと早くに見つけられてたら……」

 か細い声が、耳に蘇る。
 こんなに幼い子が、どれほど怖かっただろう。

「可哀想だよ……」

 鼻をすすった、その時だった。
 叔父さんは何を思ったのか僕の手から子猫を取り上げると、噛み付いた。

「叔父さっ……」

 呆気に取られる。
 行き場をなくした涙が、頬を流れた。

「……ユリア、もう大丈夫」

 叔父さんはゆっくり猫から口を離した。
 猫はフラフラと立ち上がると、

 にー

 と、鳴いた。

「………………」

「ほらね、元気になった」

 そう言って、叔父さんは僕の頭を撫でた。

* * *

 僕はその日、泣き続けた。
 叔父さんはとても困った様子で、どうしたの、と繰り返し尋ねた。
 でも、僕はその時の感情を表す言葉を持っていなくて、
 ひたすら、泣きじゃくった。

「少し出かけてくるよ。明日、また来るから」

 日が暮れると、叔父さんは屋敷を出て行った。
 翌日、彼は戻って来なかった。

 僕はまた、一人ぼっちになった。

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