人狼坊ちゃんの世話係

別れの詩(13)

 オレは理解が追いつく前に、
 手にしていた剣を振り下ろしていた。

「ぎゃぁぁぁっ!」

 丸くて黒い、1つ目の生物は、
 短く悲鳴を上げて灰になる。

 その瞬間、ザッと音を立てて
 部屋中に転がっていた鎧たちから灰がこぼれ出た。

 床を濡らしていた赤が一斉に白く変わり、
 粉雪のように、灰が部屋を舞う。

「まさか……」

 今のが……1月、だったのだろうか?

「バンさん!?」

 呆然と灰まみれになった部屋を見渡していると、
 そんなオレに気がついて、ユリアが声を上げた。

「どうしてここに!?
 いえ、それより、今、何が――」

 蹲るヴィンセントと倒れるセシルに目をやったオレは、
 ユリアの言葉を遮って、ふたりに駆け寄った。

「ヴィンセント! セシル!!」

 ふたりの足元の灰は、赤く染まっている。

「ユリア、話は後だ。セシルを頼む!」

「は、はい!」

「おい、ヴィンセント!」

「バ、ン……?」

 肩を揺らすと、彼は力なく倒れこんだ。
 その顔からは血の気が引いており、
 唇は青を通り越して白い。

「しっかりしろ」

 胸当てを外し、シャツを切り裂く。
 鍛え抜かれた腹部には、
 血が滲む2つの刺し傷があった。

 オレは指先の震えを無視して、ケガを確認する。

 致命傷を避けたのだろう、
 臓器は傷ついていないようだ。
 しかし、出血が多すぎる。

「ヴィンセント。傷口焼いて、止血するぞ。
 キツいと思うが耐えてくれ」

「……不要、だ」

 手当ての準備をしていると、か細い声が答えた。

「不要って、このままじゃ――」

「セシルはもう灰になる。
 これ以上、俺が生きている理由はない」

「バカなこと言うな。
 セシルが、お前に後を追って欲しいだなんて思うかよ」

「違う……
 俺が……あいつの側に、いたいんだ……」

「ヴィンセント……」

 こういう時、自分に出来ることなんて何もありはしない。
 必死になって手当てを施しても、本人に生きる気力がなければ、
 命の灯火は消えてしまう。
 そういう場面を、オレは何度も見てきた。

 オレは奥歯を噛み締めた。
 ――と、その時だ。

「バンさん……!」

 ユリアの戸惑った声が耳に届いた。
 振り返れば、ユリアがセシルを《抱きあげて》いる。

「え……」

 オレは目を瞬いた。

 セシルは……どうして無事なんだ?
 ああ、いや、無事なことは喜ばしい。
 だが、死徒はその血を分け与えた親的な存在が灰になれば、
 同じく灰になると聞いている。……この部屋に横たわる、鎧の中身のように。

「……ぃ、たい」

 すると、ユリアの腕の中でセシルが僅かに身動ぎした。
 オレとユリアはハッとする。

「セシル! セシル、ああ、良かった! 生きてた!!」

「……ユリア、って、バカ……なの……?
 ボクの中に、まだ、1月がいたら……どう、するのさ……」

「顔を見ればわかります。
 今のセシルは、セシルです」

「あは、なんかそれ……哲学的……」

 そんな軽口を言う。
 オレはひとまず湧いてくる疑問を脇に置くと、
 ヴィンセントに視線を戻した。

「ヴィンセント。聞こえたか?」

「……ああ」

「セシルは無事だ。
 このままお前が死んじまったら、アイツすげぇ悲しむぞ」

「……そう、だな」

 乾いた血で汚れた唇が緩む。

「バン……頼みが、ある」

「なんだよ?」

「傷を、焼いてくれ」

 オレは小さく息を吐き出すと、立ち上がった。

「おう。任せとけ」

* * *

 ヴィンセントの応急手当てを終える頃、
 やってきたハルと合流し戦場となった古城を後にすると、
 みんなでふたつめの屋敷に戻った。

 客室のベッドに運ばれたヴィンセントに、
 屋敷のメイドが総出で治療に当たった。

 ヴィンセントは、今夜が峠とのことだ。

「ヴィンセント。死んだら絶対許さないからね」

 枕元に陣取って、セシルが呟く。
 その横顔はやつれていたが、かなり回復したようだ。

 オレはユリアと一緒にソファに座るとふたりを見守った。
 部屋には病院を思わせる消毒液と薬の香りが漂っている。

「……なあ。なんでお前は灰にならなかったんだ?」

 しばらくしてから、
 オレはヴィンセントの額の汗を拭うセシルに声をかけた。

「知らない。
 そんなの、ボクが聞きたいくらいだよ」

 ヴィンセントから目線を外さず、
 セシルが答える。

「あんま考えたくねーけど、
 1月がまだ生きてる可能性があるんじゃ……」

「それはあり得ません。
 死徒たちはみんな灰になっていました」

 ユリアが言った。

「それ、考えたんだけどさ……
 アイツら、別のヤツの死徒だったって可能性はねぇか」

「そうだとしたなら、1月に従ったりはしないでしょう」

「うーん」

 オレは低く唸る。
 その時、部屋の入口が音もなく開いてハルがやってきた。

「僕が噛み直したからだよ」

 外で話を聞いていたのか、
 彼は開口一番そう言った。

「ハルさん?」

「は? 噛み直す?」

「叔父さん……どういうことですか?」

「そのままの意味。
 僕が彼を噛み直して、僕の眷属にした」

「え……?」

 オレとユリアが同時にセシルを見る。
 セシルはぶんぶんと首を振った。
 そんなこと知らない、と言うことらしい。

「……何も対処せずに相手の駒を懐に入れるほど、僕は大胆じゃないよ」

「でも、ボクは噛まれた記憶なんて――」

「消したよ。1月に知られたら、君を使えなくなるだろう?」

 セシルは呆けたようにハルを見る。
 続いて、唇に手をやると低く唸った。

「そうか……
 だからボクは、1月のことを押さえこめたのか……」

「セシルが時折寝込んでたのも、
 叔父さんが噛んだことに関係があったんですね」

「うん。都合の悪い時は寝てて貰ったんだ」

 オレはなるほど、と手を打つ。
 それと同時に、

「ちょっと待てよ。
 ――じゃあ、セシルは初めから灰になる予定はなかったってことじゃねえか!」

 オレは導き出した答えを口にした。

「そうだよ?」

「そうだよ? じゃねーーーよ!
 オレたちはコイツらのこと、
 どうやって助けようかすげー悩んでたんだぞ!?」

 そもそも、もしヴィンセントがセシルの心臓を叩き潰し殺していたら、
 彼もまた生きることを放棄していただろう。
 そうならなかったのは、たまたま運が良かったからだ。
 それを思うと、心臓がキュッとする。

 セシルが死なないと知っていれば、
 ヴィンセントだって戦い方を変えたに決まっているのだ。
 いや……ハルは、それに1月が気付く可能性を見越していたのか?
 騙すなら味方から、ともいうし――

「???」

 ハルに改めて目線をやれば、彼は小首を傾げていた。
 オレはゴクリと喉を鳴らす。手のひらに汗が滲んだ。

 コイツは……セシルを助けるために噛み直したんじゃない。
 そうすることがもっとも効率的だったからだ。

 ヴィンセントの呪いを頼りにしていると言っていたのは本心で、
 彼が今、生きてここにいるのは……
 彼の予想した未来とは違うのだろう。
 本当に、この結果は……運が良かっただけなのだ。

「叔父さん……
 セシルも、ヴィンセントさんも、僕にとって大事な人なんです」

「大事? どうして? 友達、だから?」

 ハルが訝しげにする。

「はい。ですから……
 セシルのこと、助けてくれてありがとうございました」

 そう言うと、ユリアはにこりと微笑んだ。

「……」

 ハルが目を見開く。

「そんなつもりはなかったんだけど……」

 それから、悩ましげに眉根を寄せ、フッと表情を綻ばせた。

「ユリアが喜んでくれたのなら、良かった」

 その笑顔は、腹が立つほど無邪気で、美しかった。

* * *

 ヴィンセントはこの夜なんとか持ち直したものの、
 2週間生死の狭間をさまよった。

 彼が目を覚ますまでオレたちは生きた心地のしない日々を送った。

「心配かけたな」

 泣きじゃくるセシルを抱きしめるヴィンセントを見て、
 やっとオレはぐっすり眠ることができたのだ。

* * *

 ――こうして1月を巡る事件は幕を閉じた。
 そして、オレたちのもとに1年ぶりの穏やかで甘い日常が戻ってきたのだった。

-213p-