人狼坊ちゃんの世話係

萌ゆる月(3)

「おいっ、おい!? 大丈夫か!?」

 頭でも打ったのか、ぐったりとしたまま目を覚まさない。
 手が濡れて、オレはゾッとした。
 割れた頭から血が溢れている。

「ヴィンセント! 稽古ったって、もう少しやりようが――」

「ヴィンセントッ!!」

 オレの言葉を遮るように、セシルが悲鳴を上げてヴィンセントに駆け寄った。
 彼は珍しく肩で息をしていた。

「大丈夫? ねえ、しっかり……」

「大丈夫だ」

 剣を背にしまい、短く応える。
 続いて、ヴィンセントはオレを見た。

「バン。稽古はこれで最後だ」

「最後?」

「ああ。これ以上続けると、ユリアが手加減をするクセが付く。
 そんなことになれば本末転倒だろう」

 強くなっているとは思ったが、
 ヴィンセントにそこまで言わせるほどとは……

 彼は肩を押さえると、セシルに寄りかかるようにして踵を返した。

「お、おい。手当ては――」

 その背に声をかけると、セシルがこちらを振り返った。

「部屋でするよ。
 それより、お前はユリアのこと見てあげて。
 そこで寝転がしてるわけにはいかないでしょ」

「……そうだな」

 頷いてから、オレはユリアを見下ろした。
 額が血で汚れ、金の髪が張り付いている。
 もう傷は塞がり、血は固まっていた。

「強くなったんだな、お前……」

 意識を失っているのに、手は模造刀を握りしめたままだ。
 オレはその指をひとつひとつ剥がしてやってから、
 そっと両手で包み込んだ。
 手のひらが前よりもゴツゴツしているように感じる。

 今なら、ハルが言わんとしていたことが分かる気がした。
 ユリアは必死に前に進もうとしている。
 それをオレは止めようとした。
 ……彼が心配だからだ。
 それ以上に、彼が強くなってしまったら、
 オレ自身、どうして良いのか分からなくなるからだ。

 ユリアの心臓に、オレは相応しくない。
 生まれも育ちも最悪で、大して強くもなく心臓を守る術もない。
 強くなるとは言ったが、限界は見えている。

 背も、もう伸びない。ヴィンセントのように厚い身体にもなれない。
 これからの戦いに、オレではついていくことは出来ない。
 オレは辛うじて生かされている、ただの人間なのだ。

 強くなったユリアに、オレは必要なかった。
 人狼を制し、力を制し、過去の悲しみを乗り越えた彼には……

 オレは、ユリアの額に張り付いた前髪を横に退かす。

「う……」

 すると、呻き声と共にユリアが瞼を薄く持ち上げた。

「ん……バン、さん、僕……は……」

「動けるか? 稽古で無茶しちまったんだ。
 部屋に戻って休もう」

「はい……」

 立ち上がろうとするユリアを支える。

 彼がオレを好きだと言ったのは、
 必然だったように思う。
 誰からも愛されないと思い込み、
 ひとりきりで屋敷に閉じ込められ、そこへオレがやって来た。

 孤独を乗り越えた彼は、いつかオレが不要だと気付いてしまう。
 だから、オレは……ユリアが強くなるのが、怖かった。

「あの、ヴィンセントさんは?
 ケガは――」

「平気だっつってたよ」

 ヴィンセントをケガさせた自覚があるということは、
 咄嗟に力を加減したのかもしれない。

「もう稽古はおしまいだってさ。
 お前は十分強くなったからって」

「……そう、ですか」

 ユリアが押し黙る。
 彼の巨?を引きずるように歩み始めると、
 ふと、暗闇が揺れた。

「叔父さん?」

 いつの間にやら、目の前の闇にハルが立っている。

「ただいま。
 話したいことがあるんだけど、みんなを集めて貰ってもいい?」

* * *

 部屋につくと、ボクは即座にヴィンセントの手当てに取りかかった。

 彼をベッドに座らせ、胸当てを外す。
 するとシャツが真っ赤に塗れていた。
 ハサミでシャツを切れば、右肩の辺りがパックリと開いているのが見える。
 ユリアの攻撃を捌ききれず、受けてしまったのだろう。

 メイドが持ってきてくれた針を消毒し、
 ボクは傷口を縫った。

 ヴィンセントは呻き声ひとつこぼさなかった。
 一方で、ボクは針を進めながら泣き出した。

-198p-