悪夢残滓(3)
『夜遊びしていると、ヴァンパイアに攫われるぞ』 『悪い子は、人狼の餌にしちまうよ』
子供の頃、よく大人たちから聞いたセリフ。
歳を重ねれば、それが聞き分けのない子供をコントロールするための方便なのだと分かる。
人狼もヴァンパイアも空想の産物で、いるわけがない。
信じて疑わなかった。それが、今、あっけなく覆された。
「人狼と、ヴァンパイア……?」
「はい。ヴァンパイアの母と、彼女に仕えていた人狼の父……
血統を重んじるヴァンパイアにとって、異種交配は禁忌です。
二人は駆け落ち同然で結ばれて……僕が生まれました」
ユリアは寂しげに自身の両手を見下ろした。
「僕は、母からはヴァンパイアの魔力と特性を、
父から太陽や銀を跳ね除ける強靭な体を引き継いだ。
祖父は世間体を、それ以上に、僕の体質を憎みました。……当たり前ですよね。
切り刻んでも再生する、朝日を浴びてもビクともしない、昼も夜も関係なく動ける、
銀すらものともしないヴァンパイアなんて」
彼は諦めたような微笑みを浮かべて、肩を竦める。
「祖父は僕の力を封じ、この屋敷に閉じ込めたんです」
「力……じゃあ、あの獣は……」
「はい……力は人格を持っています。
普段は眠っていますが、
力が祖父の封印を上回る満月の夜になると、僕の体を乗っ取ろうとする」
ユリアは一度言葉を区切ると、袖の上から手首を撫でた。
「痛みを感じる間だけ、僕は僕でいられた。
だから、自分の意識を保つために、手首を……
でも、この間はうまくいかなかった。たぶん力が大きくなりすぎたんです。
……次の満月も、きっと僕は負けてしまう。自信が、ありません」
掠れた声で呟き、ユリアが悄然と項垂れる。
「だから……もうあなたとは一緒にいられないんです。
あなたを危険に晒したくない」
「オレを傷つけたのはお前じゃねぇよ」
「僕ですよ。僕が」
「違う」
自分でも驚くほど大きな声が出た。
ユリアがビクリと体を震わせる。
オレはゆっくりと、語り聞かせるように言葉を続けた。
「……事情は理解した。
でも、オレはお前の世話係だ。
お前が助けを求めてるのに、それを無視して出ていくなんてできねぇ」
一人で消えていくのを待つだけなんてあんまりだ。
「この前みたいなことにならないように、オレも気をつける。
ヤツが出てきそうになったら、すぐ避難する。
この前は、何も知らなかったからどーしよーもなかったけど、
色々対策立てれば逃げるくらいは出来ると思うんだ。
だからさ、一緒に探そう。アイツを抑える方法」
ユリアの祖父が何もしていないとは思わない。
だけど、人間であるオレでしか手に入れられない情報もあるんじゃないか。
「諦めんなよ、ユリア。一緒に足掻くぞ」
「あなたは、どうしてそこまで……」
「言ったろ。世話係だからだって」
「仕事熱心過ぎますよ」
ユリアが小さく噴き出す。
「はは、真面目なのはお互い様だ」
やつれた顔に安堵が滲んでいくのを見て、
オレはいつものように腕を広げた。
「ほら、来い」
「……はい」
ユリアが嬉しそうに顔をくしゃりとさせ、オレに腕を伸ばす。
――その瞬間。
「……っ」
ユリアの体が、白い獣と重なった。
ぅ、あ
全身の毛穴が開いて、冷や汗が吹き出る。
血が。 痛みが。 快感が。
残虐な眼差しが。
アイツの哄笑が脳内にわんわんと響いて、
悲鳴のような恐怖が、足先から、脳天へと突き抜けた。
「バンさん」
声にハッとしてオレは顔を上げる。
「な、なんだ?」
「僕が、怖いですか?」
「は……なに言って……」
怖いはずがない。怖いはずがないんだ。
だってオレは、お前のこと……
だから怖いなんて、ない。
体がすくむ。
吐き気が込み上げてくる。
……なんでだよ。さっきまで、平気だったのに。
なんで。なんで、なんで、なんで!
舌が引き吊ったように、何も言えなかった。
「……バンさん、ありがとう。
僕なら、大丈夫だから」
ユリアが笑おうとして失敗する。次いで、そっとオレから手を離した。