シロとユリア(2)
オレは手早く切り飛ばされた左足の止血を済ませると、フラつきながら身体を起こした。
おぼろげな視界の中で、シロがジルベールと戦っている。
暗闇に、金属と鉤爪がぶつかり合う鋭く鈍い音が響いた。
シロの振り下ろした鉤爪を受けたものの、ジルベールは軽やかに後方へと退く。
すると彼を守るようにして、神官がシロの前に立ちはだかった。
一斉に襲いかかってくる男たちを、
シロは腕を振り払って躊躇なく吹っ飛ばす。
「邪魔だ」
無残にも切り裂かれた神官たちは、
立ち上がろうとして失敗し、やがて浅瀬に崩れ落ちた。
月明かりに照らされた水面に、
黒い筋が幾つも流れるのが見えた。
「おやおや。盾にもならないなんて」
ジルベールが鼻で笑って、肩を竦める。
シロはそんな彼に向かって、言葉なく地を蹴った。
「……っ!」
身構える暇も与えず、
シロはジルベールの首を掴んで持ち上げた。
「かはっ……!」
「以前よりも弱くなったのではないか?
ああ、頭を打ったと言っていたな」
吐き捨てるように告げると、
シロはギリギリとジルベールを締め上げる。
地面から浮いた足先が痙攣したように震えた。
「お……め、で、たい……です、ねェ……」
クッと低い笑い声が落ちたのはその時だ。
「……だから……君は、ガキだって言うんですよ……」
「なに?」
しゃがれた声が暗闇に落ちる。
ジルベールは口の端を引き伸ばし、婉然と微笑む。
その瞬間、空気がしなった。
「シロ! 離れろ!」
オレの声に被るようにして、月の光を照り返し白銀が弧を描く。
ジルベールの繰り出した切っ先が真っ直ぐに――
彼自身を背後から貫き、更にはシロの胸を突き破った。
「なっ……!?」
シロの目が驚愕に見開かれる。
首を絞めていた手が緩むと、ジルベールは手にしていた剣を放りシロに抱きつくようにした。
「つーかまえた」
シロを両腕ごと拘束したジルベールは、血を噴きながら笑った。
「弱くなった私に捕まる君は、なんなんでしょうね?」
振り払おうとしたのかシロが身動ぎした。
しかし、ジルベールはがっしりと捕まえていて離さない。
「き……さま、人間か……?」
それどころか、ギリギリとシロの巨躯を締め上げるようにする。
「ぐっ……」
「傷つきますねェ。もちろん人間ですよ?」
「……教会は……俺が思う以上に、気が触れていたわけか……」
シロは何かに気付いたように、
小さく目を開いた。
「バン!」
突如張り上げられた声に、オレはハッとする。
周囲へ目をやれば、浅瀬に沈んでいた黒い影が蠢いている。
「――っ」
シロの攻撃は、容赦なく彼らの息の根を止めていたはず。
にも関わらず、神官たちは何事もなかったようにゆらりと立ち上がると武器を拾った。
何が起こっている?
「まさか……」
暗闇に、表情のない白い顔が浮かび上がる。
『死徒』
脳裏を過った単語に、オレはますます訳が分からなくなった。
ジルベールは、教会の人間だ。
それが、何故、死徒を引き連れている?
彼はヴァンパイアだったのか?
いや、初めて会ったのは陽光の下だった。
だが今の状況は……
考えてみれば、再会したジルベールはどこかおかしかった。
「飼うなんて人聞きの悪い。
俺は好きな人のために、骨を折ったんだよ。
まあ、骨折られただけじゃ済まなかったんだけどさァ」
そう言ったジルベールの顔からは、
辛うじてまとっていた僅かな微笑みも消え失せている。
オレたちがメティスを出た後、何かがあったのだ。
その『何か』は俺には分からないが。
神官たちがゆっくりとオレに向かってくる。
オレは這うようにして退いた。
しかし、稼げた距離はないようなものだ。
片足で逃げるのは到底不可能だった。
加えて、出血過多によって意識も朦朧としている。
……ダメかもしれない。
思わず自嘲がこぼれた。らしくない。
でも。
せめてユリアに心臓を返して。
アイツだけは、なんとかここから逃がせたのなら。
フッと目の前に影が落ちる。
直ぐ近くまで、泥で汚れた白い靴が近付いてきていた。
顔を持ち上げれば、
躊躇無く剣が振り下ろされる。
シロが叫んでいたが、何も頭に入ってこない。
ユリア。
ごめんな。……ごめん。
謝ることも出来ねぇで、お前のこと傷つけたまま……
「いい加減にしてくれないかな」
唐突に聞こえた声に、大気が震えた。
死よりもなお恐ろしいものを感じて、オレは目を見開く。
顔に触れる空気圧、鋭い振動音。
剣を振りかぶったまま、神官たちが一斉に動きを止めていた。
ついで、ザッと音を立てて灰になって崩れ落ちる。
「は……」
オレは呆気に取られた。何が起こったのか分からなかった。
拘束を逃れたシロが勢いよくジルベールから飛び退って距離を置き、身構える。
「相変わらず、不意打ちだなんて卑怯ですね。
――なぁ、同胞よォッ!?」
そう吠えたジルベールの身体の右側が半分、
切り落とされ、はらりと灰になって落ちた。
「心外だよ。君に同胞呼ばわりされるなんて」
いつの間にか、すぐ傍に黒尽くめの男――ハルが立っている。
「短絡的で、忍耐も矜持もない獣風情が……」
「あァ!?」
「うちの甥に付きまとうの、止めてくれない?」