螺旋回廊(6)
オレは小川に辿り着くと、ユリアを下ろした。
「少し染みるぞ」
「んっ……」
靴を脱がせ、血に塗れた足を川の水で洗う。
ユリアはこんな目に遭う身分じゃない。
オレは彼の足を洗いながら、唇を噛む。
自分の情けなさに腹が立った。
恋人としても、世話係としても失格だ。
「バンさん。……大丈夫?」
「なんだよ急に。大丈夫じゃないのはお前だろ」
「血で汚れてるだけですから、
そんなに丁寧に洗わなくても平気ですよ」
彼の言う通り、傷はもう既に癒えていた。
「……ねえ、バンさん。
僕は世間知らずだし頼りないかもしれないけど、言ってくれればやるし――」
「いいんだよ、お前は。そんなこと気にしないで」
「うん……」
「にしても、靴、マジでぶっ壊れてんな」
パッカリと靴底が開いてしまっている。
オレはシャツの裾を破くと、グルリと巻いて固定した。
しかしこんな応急処置では限度がある。
この状態で山を歩き続けるのは不可能だ。
「これは、新調しねぇとダメだわ」
少し速度を落としつつ、山を下りて人里を目指す。
小さい村に着いたら衣類を調達する。
幸い、森の中は似たような景色が続いているから、
夜を待ちシロと移動しよう。
そうすればユリアが訝しむことはない……はず。
「そいやさ。ハルとはどうやって連絡取ってたんだ?」
「叔父さん? 叔父さんと連絡なんて取ったことありませんよ。
あの人は神出鬼没だから」
「神出鬼没なら、呼んだら出てきてくれたりしねぇかな」
「どうでしょう? 呼んでみましょうか」
叔父さーん、とダメ元でユリアが呼んでみる。
もちろんハルの影も形も現れず、ただただ風に揺れた森の梢が鳴るばかりだ。
オレは気を取り直して思考をまとめると、
ユリアに靴を履かせ、立ち上がった。
「ユリア、もう少し歩けるか?
様子見ながらだけど、山を下ろうと思うんだ。
靴とか服とか新調したい」
「分かりました」
オレたちは川に沿って歩いた。
それから小さな穴蔵を見つけると、そこで夜を越すことにした。
* * *
寝る準備を整えると、オレはユリアと一緒に川縁に出た。
ゴツゴツした岩場にしゃがみ込み、空っぽの水筒を洗って水を汲む。
「バンさん。お水は目一杯入れていいの?」
「おう。むしろ目一杯のが溢れづらくなるから」
「へえ、そうなんですね」
オレは水筒の蓋を閉めながら、ぼんやりと思案を巡らせた。
しばらく屋敷には戻れないし、
これから、どうするべきなのか。
教会のヤツらがオレたちを諦めるまで逃げ続けるとしたら何年かかる?
10年? 20年?
もっと掛かるだろうか?
人間の命が有限であることだけが救いだと思う。
極力接触を避けていればヤツらのオレたちへの興味は薄れる。
ハルと接触する方法を考えつつ、ひたすら何処かに身を潜め、
屋敷に戻れる日を待つしかないのかもしれない。
それまでは……たぶん、オレが生まれ育ったような下町に行くのがいい気がする。
あそこは戸籍がないような人間が山ほどいるし、金が尽きても仕事は山ほどあるからだ。
「バンさん、終わりましたよ」
「おう、お疲れ。じゃあ、寝るか」
でも、ああいう街ではユリアは目立つ。
見た目だけの問題ではない。
話し振り、仕草が貴族的過ぎるのだ。
「うーん……」
オレは小さく唸った。
すると隣を歩いていたユリアがボソリと口を開いた。
「バンさん、ずっと考え事してる」
「ん? ああ、悪い。何か話すことあったか?」
「別にないですけど……」
ユリアが拗ねたように唇を尖らせた。
その時だ。
耳に心地良く響いていた水の流れが、フッと遠ざかった。
「……バンさん!」
突然、ユリアが叫ぶなりオレに覆いかぶさると地に身体を投げ出した。
岩に肘を擦って、熱い痛みが走る。
その瞬間、鋭い音がオレたちの頭上を横切り、
飴色の髪が数本、ハラリと落ちた。
手から滑り落ちた水筒が固い地面で弾んで甲高い音を立てる。
「……おや。仕留め損ないましたか」
聞き覚えのある澄んだ声に、オレはギクリとした。
「バンさ――」
ユリアの唇に人差し指を押し当て、彼の下から這い出る。
目視できる範囲に、数人の人影。
……オレたちは、気付かないうちに囲まれていた。
「まあ、遊ぶ前に終わってしまってはつまらないですからね」
伸びた刀身が宙空で円を描き、
男はその先端を足で踏みつけ、剣を収める。
闇夜に揺れる、白銀の長い髪。
「メティスでは、どうも。
お迎えにあがりましたよ、おふたりとも」
凍るような笑みを浮かべて、死んだはずのジルベールが立っていた。