人狼坊ちゃんの世話係

螺旋回廊(2)

* * *

 ある日の夕時。
 食事の支度をするユリアは、今日もまた両親の話に花を咲かせていた。

「バンさん。僕の父はね、凄くロマンチストだったんですよ」

 オレは繕い物の手を止めて、顔を持ち上げる。

「……へえ。どんな風に?」

「あの書斎の恋愛小説! あれ、父のだったんです。
 彼は僕を膝に乗せてあやしながら、よく本を読んでいました。
 あまり表情を顔に出さない、寡黙な方だったんですけど、
 ふふ……意外ですよね。ますます、母との馴れ初めが気になると言いますか……」

「親の馴れ初めなんて、気になるか?」

「気になりますよ! だって、ふたりが出会って僕が生まれたんですよ?」

 彼の話は物心つく前の幼少期から始まっていた。

 記憶は時系列に沿って明らかになり、
 彼の話は、ゆっくりと今へ向かっていく。

「――あっ。お爺さまのことも思い出しましたよ。
 僕が5歳になったばかりの冬かな。ミトラ祭の挨拶にいらしたんです」

 食事をテーブルに運びながら、パッとユリアが表情を輝かせる。
 彼は胸の辺りで手を組むと、夢みるように瞼を閉じた。

「初めは少し怖かったんですが、とても優しい方でした。
 でも、母とずっとケンカをしていて……」

「でも、仲が悪かったわけじゃないんだろ」

「はい。お爺さまは、母に顔を見せに来いとずっと言ってました。
 ふふ、母を独り占めする父に怒っていたのかもしれません。
 でも母は、父に嫌みったらしく色々言うお爺さまに腹を立てていました」

 まるで、見たかのように情景が目の前に浮かぶ。
 ケンカをする祖父と母。そこへ父がユリアを連れて現れる――

「そうするとね、父が僕を抱いて2人の間に割り込むんですよ。
 僕はこう、オロオロするしかない。父の真意が分からなくて。
 でも、ピタリと口論が止まるんです。
 お爺さまは吊り上げていた眉をハの字にして、ニコニコと僕に笑いかけてくれて……
 まあ、母は今度は父に怒るんですけど。子供を使うなって。
 でも僕は2人がケンカをするのは見たくなかったから、
 それからは率先して2人の間に入るようになりました」

 どうして僕は忘れてたんでしょう――ユリアが肩をすくめる。
 こんなにたくさん、覚えていたのに、と。

「ふたりが病気で亡くなるまで、僕は……
 こんなに温かな日々を過ごしていたのにね」

 ……ゆっくりと、ゆっくりと、ユリアの中の時間か進んでいく。
 オレは、ただただ耳を傾け続ける。

 やがて――

「バンさん……」

 その日の夜。
 隣で寝ていたユリアに揺り起こされて、オレは目を覚ました。

「……怖い夢でも見たか?」

 ベッドに座った彼は項垂れて、さめざめと泣いていた。

「……あなたは一番初めに言いましたよね。痛いことをするって。
 僕はずっと不思議だった。
 亡くなった両親のことを思い出すのは、つらく悲しいことだったけど、
 僕にとって、凄く幸せな時間だったから」

 オレは身体を起こした。
 そのまま、ユリアの震える身体を抱きしめる。

「覚束なかった足元が安定していくような、
 いつも感じていた正体の分からない恐怖が薄れるような……
 ちっとも痛いことじゃない。バンさんは心配症だな、なんて思ってた。
 でも……こういうことだったんですね」

 オレは告げるべき言葉が見つからずに、目を伏せた。
 身体の芯が冷えていく。

「少し考えれば分かることなのに、僕は現実から目を逸らし続けてた……」

 ユリアが両手で顔を覆った。
 それから、嗚咽と共に掠れた声を絞り出した。

「バンさん。僕の両親は――殺された。
 1月のヴァンパイアに。僕の、せいで」

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