人狼坊ちゃんの世話係

悪夢残滓(1)

 ――体の隅々まで、悪夢がこびり付いていた。

「う、あぁあああああああっ……!」

 自身の悲鳴でオレの意識は覚醒した。
 視界に飛び込んできたのは、見覚えのある天井だ。

「……夢?」

 嫌な夢を見ていた。とてつもない悪夢だった。
 オレは恐る恐る上半身を持ち上げる。

「いっ……」

 全身に痛みが走ったような気がする。しかし体はなんともない。
 腕もある。足もある。歯も鼻も耳も目も。
 どこも欠けたりしていない。……大丈夫だ。

「は、はは……なんて夢見て……」

 夢の中で、ユリアが巨大な狼になった。
 ソイツはなんでかオレを忌々しく思っていたようで、
 めちゃくちゃに殴られて、切り刻まれて、犯された。

 あれだけのことをされて、生きているわけがない。
 だから、夢。夢だ。

 ……そう、思いたいのに。

「あれは、夢じゃない」

 どうしてか、そう思った。
 理屈じゃなかった。
 オレは確かに昨晩、死ぬような目に――いや、死んだんじゃないか?
 こうして体が無事である理由は分からないが。

「おはようございます」

 その時、音も立てずに部屋の扉が開いた。
 ギクリとそちらを見やれば、一人のメイドが入ってくる。

「お食事は摂られますか?」

「あ、ああ。悪い、寝坊した。すぐに用意をーー」

「構いません。
 ユリア様は、しばらくお身体を労わり、お休みするようにと仰せです」

「なに……?」

「また、次の満月までにこの屋敷を立ち去るようにとも仰せでした。
 今後の生活の心配はいらないからと」

「……そうか」

 やっぱり夢じゃなかったみたいだ。

 オレは思わず苦笑した。
 ユリアは本当に嘘がつけないヤツだ。

 何にもなかったように振舞ってくれれば、
 あれは夢だったのだと信じることもできたのに。

 ……ああ、違う。

 オレは額に手を当てた。

 アイツは、オレをこの屋敷に置いておけないと判断したんだ。
 またあんな目に遭う可能性がある、
 今は生きてはいるが次はない、ということなのだろう。

「……ユリアはどうしてこない?
 アイツのことだ、てっきり様子を見に来てくれると思ったんだけど」

「怯えさせるのは、坊ちゃんの本意ではありませんので」

 メイドは深く頭を下げると、部屋を出て行った。
 オレはしばらく閉じた扉を見つめてから、窓の外へと目を向ける。

「……夢じゃ、なかったか」

 あの獣は一体何だったんだ?
 考えを巡らせても、答えなんて出るわけがない。
 奴はオレの常識と理解の範疇を超えたものなのだから。

* * *

 オレはしばらくの間、静かな屋敷で何不自由なく静養した。

 ユリアはといえば、一度としてオレの前に顔を出すことはなかった。
 それどころか、いつも聞こえていたピアノの音色すら聞こえない。

 あんなに、毎日一緒にいたのにな。

 次の満月の日が刻々と近づいてくる。
 オレは、しばらく悩んだ末にユリアに会おうと決めた。
 深入りしようと決めたのはオレだと、伝えなくちゃならないと思った。

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