人狼坊ちゃんの世話係

虚飾の檻(1)

 朝、鳥の囀りで目を覚ます。
 窓の外を見れば、まだ薄暗かったが、
 オレは、ユリアを揺り起こすとベッドを出た。

「おはようございます……バンさん……」

「おはよ」

 山の一日はとても短い。

 ユリアは水汲みに、
 オレは食料調達にそれぞれ出かける。

 昨晩仕掛けた罠にかかっていたウサギをその場で気絶させ、
 血を抜いてから小屋に持って帰る。

 肉を貯蔵庫にぶら下げてから、洗濯を始める。
 その間に、ユリアが朝食を作る。

 似たような作業を繰り返しながら、
 毎日は目まぐるしく過ぎていた。

「バンさん、ご飯出来たよ」

「ああ」

 香ばしい匂いがしてくる頃、
 小屋の裏手で洗濯物を干していたオレを、
 ユリアがニコニコして迎えに来てくれる。

「今日は昨日採ってきたキノコと、
 木の実のスープを作ってみたんです」

 キッチンの食卓に皿を並べながら、ユリアが言った。

 幸いなことに、小屋には調味料があったので、
 ありがたく頂戴している。
 ちなみに今朝捕ったウサギの肉は熟成期間が必要なので、
 食べられるのは数日後だ。

「ねえ、バンさん。スープに入ってる野菜、
 凄く見栄えが良くなったと思いません?
 初日よりかは、ずっと上手に包丁を使えるようになったんですけど」

「そうだな。ちゃんと一口大になってる」

 他愛もない話をしつつ、
 手を合わせると二人で朝食をとる。

「どうですか?」

「ん、めっちゃ美味い」

「良かった」

 食事をしながら、ユリアは塩加減が難しいとか、
 屋敷のシェフは偉大だと気付いた、とか、
 そういう話をとても楽しそうに続けた。

 その底抜けに明るい表情を見ると、
 オレはふと現実を思い出して、心がざわつくのを感じるのだ。

 本当にこのままでいいのか……? と。

 ユリアはメティスから出てからのことを覚えていない。
 正確には、なんの問題も無く出立したと思い込んでいる。

 たぶん、このままで良いわけがない。
 ユリアの抱く自己否定は、そこに深く根付いている気がするからだ。

「バンさん、大好きだよ」

 夜、互いに何度愛を囁いても、汗ばむ身体で求め合っても、
 不安は拭えない。
 むしろ、それは日に日に大きくなっていく。
 まるで張り詰めた細い糸の上を歩いているような……

 オレも積極的に忘れようとしていた。
 そうして、ユリアの記憶を事実にしてしまえば、
 もう彼が悲しむことはない。そう思った。

 ……けれど嘘は更に多くの嘘を求める。
 共犯者を求める。

 ――この時の判断を、
 オレは後に何度も後悔することになる。

 目先の優しい幻にしがみついて、
 オレはユリアの本質を見なかった。

 彼はずっと助けを求めていたというのに。

* * *

 小屋での生活を始めて迎えた、満月の夜。
 久しぶりに、人狼――シロが姿を現した。

「もうケガはいいのか」

 ベッドから抜け出したシロに問えば、
 彼は、ああ、と鼻を鳴らす。

 シロはそのまま小屋を出ると、
 月の光を浴びるようにして伸びをした。

 次いで物言わず歩き出す。
 オレは束の間、逡巡したものの、その後を追った。

 暗い森はしんと静まり返っている。

「……なあ。ユリアのこと、なんだけどさ」

 口を開くと、前方を行くシロの耳がピクリと震えた。

 シロのことだ、素直に相談してもせせら笑われて終わりかも知れない。
 それでも、オレは声をかけずにはいられなかった。

 沈黙。

 やがて、シロの告げた言葉は、
 オレの予想とはかけ離れたものだった。

「……ヤツはいつもああだ。貴様が気に病む必要は無い」

「いつも?」

「そうだ」

 森が割れて、開けた川辺に辿り着く。

 シロは水面を見下ろすと舌を伸ばして水を飲んでから、
 オレを振り返り、つまらなそうに言った。

「親が殺された時も、ああだった」

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