人狼坊ちゃんの世話係

セシルのカード(3)

* * *

 宿はイヤだと駄々をこねたセシルに、
 俺はこれ幸いとばかりに借家を探した。

 健康的に焼けた肌をした人間が多いこの街では、
 セシルのように白い人間は珍しいのだろう、
 道を歩くだけで人目を引いた。

 加えて、女の格好をしているから、
 ひっきりなしに男に声をかけられる。

 セシルは相手にしないということが出来ず、
 からかわれれば赤くなって怒るから、
 彼に興味を持つ男は日に日に増えていた。

 仕方が無いので、岬の上に家を借りた。

 街を出ようかとも思ったが、そろそろ懐も寂しく
 この辺りで稼いでおきたかったのだ。

 せっかく家を借りたのだから、と、
 今までになく長い間、一箇所に留まった。

 仕事から家に帰ると、
 セシルが食事を作って待っていてくれる生活……

 正直なところ、俺はかなり気に入っていた。

 家が見えてくると、鼻腔をくすぐる食事の香りだとか。
 他人の気配を感じない、静かな空間だとか。

 とにかく、何もかもが素晴らしく心地良い。

 特に、静寂だ。
 これほどまでに心休まるものとは思わなかった。

 幼少から寄宿舎で過ごしていた俺は、
 他人の気配がない生活というものを全くしたことがなかった。
 いつだってルームメイトがいた。

 セシルと旅に出てからも、宿屋の下の食堂は朝まで賑やかなことが多かったし、
 静かなプライベートの時間を持ったことはなかった。

 静かはいい、としみじみと思う。
 セシルの鈴の音のような声がよく聞こえるから。

 その日も、俺はいつもの通り、
 繁華街で一仕事を終えて家に帰った。

 満点の星空の下に、
 借りている2階建ての青い屋根が見えてくる。

 今日は食事の香りがしなかった。
 そういえば朝食が残っていた、と思うが、
 意味の分からない不安が胸に去来する。

 ああ、そうか。
 今日は窓からこぼれる暖かな灯りが見えないのだ。

 珍しかった。

 セシルは死徒になってからも、
 人らしい生活をしたいと思う節があり、
 夜に明かりを灯すのは、その1つだったからだ。

 自然と足早になる。

 やがて、借家に辿り着いた俺は
 鍵が壊れているのに気がついた。

「……なんだ、これは」

 金属がぐにゃりと曲がっている。

 一瞬、処刑官に居場所がバレたのかと思ったが、
 人の力でこんな風に鍵を壊すのは到底不可能だ。

「何かが、来たのか」

 人ではない者が。  けれど、何故?……セシルは、どうした?

 俺は腰に穿いた剣を抜くと、慎重に家に踏み入った。
 1階には誰もいなかった。

 食事の支度に取りかかった気配さえない台所。
 リビングの暖炉では薪が尽きて、
 炭の中で火がくすぶっている。

 俺は足を忍ばせて2階の寝室へ向かった。

 家の中には一切の音がしない。

 嫌な汗をかいた。
 手に持つ剣が重くなる。
 走り出したい衝動を、なんとかして堪える。

 こんなにこの家は、暗い空間だっただろうか?

 ……寝室の扉は、中途半端に開いていた。

 焦燥感を押し殺し、気配を探ったが、
 やはり部屋の中も、何の気配は感じない。

 中へ踏み込んだ。

 身構えたが、襲撃に遭うようなことなかった。
 ただただ寝室には闇が満ちていた。

「セシル。セシル、いるのか?」

 窓から差し込む、微かな月明かりを頼りに部屋を見渡せば、
 ベットの上に寝転がる人陰があった。
 それは身動ぎひとつしない。

「セシル?」

 俺はベッドに駆け寄った。
 人影はやはりセシルだった。
 寝間着に着替えもせず、靴を履いたまま横になっている。

「寝ているのか……?」

 身体を揺する。
 すると――

「……おかえり」

 不機嫌そうな声で、セシルは言った。
 そこで、ようやく……俺は胸を撫で下ろすことが出来た。

「……お前な。こんな暗い中で何してる。
 玄関の鍵はどうしたんだ」

 部屋に明かりを入れれば、
 セシルは身体を起こした。

「ハルさんが来た」

「……何のために?」

 問いかけながら、ベッドに戻る。
 すると、急にセシルは俺の腰に抱きついてきた。

「どうした?」

「……ユリアが、何か大変らしい」

「どう大変なんだ」

「アイツが……1月のヴァンパイアが出てきたんだって」

「なに……?」

 穏やかならない感情が沸き立ったが、
 なんとかそれを飲み込んで、セシルの話に耳を傾けた。

「アイツ、ユリアに付きまとってたことがあったらしくて
 それで……助けて欲しいって、相談された」

「助けるだと……? いったい、どうやって……」

「…………お前の呪いで、倒して欲しいって」

「なるほど……」

 いかにも、あのハルなら言いそうなことだ。

「もちろん断ったけどね」

 グリグリと頭を押しつけながら、セシルが言う。

「そうか。それで? そのハルは大人しく帰ったのか?」

 問いを重ねれば、ふいに沈黙が落ちた。
 不自然な間に、首を傾げる。

「おい。セシル?」

「……え、あ、うん。帰ったよ。帰って貰った」

 セシルは酷く億劫そうに、
 首筋を手で掻きながら、答えた。

「……お前、どこか調子が悪いのか?」

 俺はセシルの前髪を持ち上げて、顔を覗き込む。

 どことなく、元気がない。
 ……というか、いつもよりも表情が薄い、気がする。

「カッとして、疲れちゃったのかも」

「怒ったのか」

「当たり前だろ。アイツ、酷いんだ」

 そう言ったセシルの声には、力がない。

「……ごめん。夕食の準備してないや」

「気にするな。朝の残りがある」

「うん……ごめんね、ヴィンセント。  ……大好きだよ」

「なんだ、唐突に」

 すぅすぅと寝息が聞こえてくる。

 セシルが夜に寝入るのは珍しい。
 よっぽど疲れたのかもしれない。

 俺はセシルの靴を脱がしてやると、
 彼を再びベッドに寝かした。

「……1月か」

 俺は誰にともなく呟いた。

 ヤツは数年前に教会が捕らえたと言っていたはずだが、
 逃がしたのか。

 そもそもユリアと関わりがあるなんて、
 バンからも聞かなかった。
 彼も知らないことだったのだろう。

「……」

 俺はセシルの髪を撫でた。

 彼の血の気のない寝顔は、いつもと同じはずなのに、
 まるで死んでいるように見えて、ギクリとする。

 ……何を考えているんだ。
 彼の身体はとっくの昔に死んでいるというのに。 

「おやすみ、セシル」

 バタバタと海風が窓を叩く音がした。
 視線を向ければ、灯台の明かりが微かに見える。

 1月を倒したのなら、その死徒であるセシルはどうなるのだろう。
 ふと、そんなことを思った。

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