麗しき僧服の男(3)
冗談めかして告げられた言葉に、
オレとユリアは思わずギクリとして姿勢を正す。
「――なんてね。そんな、お伽噺みたいなことないか」
スヴェンが肩を竦める。
オレたちは曖昧に笑った。
「そ、それでさ、新しい地図が欲しいんだが、
何処で手に入れられる?」
「僕のをあげるよ」
スヴェンはニコニコしながら、即座に言った。
「えっ、いいんですか?」
「もちろん。
その代わり、この地図を譲ってくれない?」
「それは、もちろん構いませんが……
こんな古い地図がどうして欲しいんです?」
ユリアの問いに、彼はニッと笑みを深める。
「とても歴史的価値のあるものだからだよ。
ここまで綺麗に保存されているものは見たことがないし……」
そこへ――
「頭のいい人間には、そんな紙切れがお宝に見えるんだねえ」
そう言って、店主が野菜と肉を煮込んだスープを運んできた。
スヴェンが慌てて地図を退かせば、
空いたスペースに、どっかと食事を並べていく。
スヴェンは地図を丸め直してオレに手渡してから、話題を変えた。
「それで? 君たちは、この地図を頼りに何処へ行こうとしていたの?
と言っても、この地図にある町は今じゃもうほとんどないけど」
「オレたちは図書館のある町に行こうと思ってたんだ」
素直に告げる。
その瞬間、彼の糸のように細い目がカッと開いた。
「図書館? 君、本を読むのかい!?」
突然、両肩を掴まれガクガクと揺すぶられる。
「え、まあ、その……少しだけ……?」
「いいね、いいね。 さすが、身分が良さそうな人は考えが違うよ!」
そう言うと、彼はオレから手を離しグッと拳を握りしめた。
「常々、僕は思うんだ。
みんな、文字が読めることの有利さを理解していないって。
文字が読めれば、仕事の幅も広がるし、
離れた人と意見を交換することも出来る」
「確かにな。
金を稼いでる連中は、文字にも数字にも強かった」
「だろう!?」
鼻息荒くスヴェンが頷く。
すると、ユリアがオレの顔をじっと見つめて来た。
「なんだよ?」
「もしかしてバンさん……他で働けるように勉強し始めたんですか?」
「は? 何でそうなる?」
「だって……」
オレは小さく嘆息すると、
不安げにするユリアの頭に手を置いた。
「そんなわけあるか。
前にも言ったろ? お前と本の話がしたいって」
「バンさん……っ」
ユリアが感動したように目を輝かせる。
それに、スヴェンは頷き人形のように顔を上下させた。
「うんうん、本の感想が言い合えるだなんて、
なんて素晴らしいんだろう!
僕もそういうことがしたくて、
この村の人たちに本を読むように薦めたんだけどね……」
言葉を句切ったスヴェンに、
「本なんて読めたって、金にならないだろ」
と、店主が横から口を挟む。
「――まったく、こんな調子なんだよ。
だけど、君たちは違う。君たちは実に素晴らしい!」
「は、はあ……」
オレとユリアは、その後も情熱的に語り続けるスヴェンに呆気に取られていたが、
彼は全く気にしなかった。
彼は読書の重要性やら、教育と生産性の関係性やら、
さまざまな話を捲し立てるように熱く語り、
途中で店長が手にしていた盆が、彼の脳天に振り下ろされた。
「あだっ……! 何するんだよ!?」
「地図の話は終わったんだから、これ以上、絡むんじゃないよ。
見てみな、お客さんらの困った顔を。
そんな調子だから、実家から追い出されんのさ」
「追い出されたわけじゃない。
死ぬまで肉を捌き続ける人生に幸福を見いだせなくて、
僕から出ていったんだ」
「はいはい、結局こうして帰ってきちまってるけどね」
「帰って来たんじゃないよ! 今は仕事で……」
「僕達、全然迷惑していませんよ」
むきになるスヴェンの言葉を遮って、
ユリアがにこやかに口を開く。
「彼の話、とっても面白いですから」
「そうかい? ならいいけど……」
そう言って肩を竦めてから、店主が奥の厨房に引っ込む。
スヴェンは体ごとオレたちの方を向いた。
「そうだ、図書館がある街を探してるんだったね。
だとしたら、メティスに行くべきだよ!
これはもう絶対。絶対だ!」
「メティス?」
ユリアが首を傾げる。
「そう。大陸一、大きな図書館がある街だよ。
今まで発刊された本のほとんどが置いてある」
「そんな場所があるんですか」
「ここから馬で半月くらいの場所にね。
正しい地図さえあれば、誰でも辿り着けるぞ。
それに、今なら年に1度のお祭り付きさ」
スヴェンがイタズラっ子のように笑う。
「バンさん……! お祭りですって!」
『お祭り』という言葉に反応して、
ユリアが少し興奮したようにコチラを見た。
オレはすぐには答えず、視線を彷徨わせる。
――メティス。
その名は聞いたことがあった。
確か……傭兵時代に…………
「というか、メティスに行くなら僕が案内してあげるよ。
ココで出会ったのも何かの縁だろうし」
「縁?」
「そう。かくいう僕は、そのメティスの住民なんだ」
姿勢を正して、胸をドンッと叩く。
そこへ、店長が湯気の立つスープを手に戻ってきた。
「あんたが長話してたから、スープが冷めちまったじゃないか。
ほら。温め直してきたよ」
「ありがとうございます」
「スヴェン。話すのは食べてからにしてやりな」
冷めたスープを下げながら、店主が言う。
「分かったよ」
スヴェンは渋々頷くと、オレの耳元に唇を寄せた。
「……とにかく、メティスまでの案内は僕に任せてよ。
しっかり送り届けてあげるからさ」
それから、忙しげに席を立った。
「それじゃあ、僕はこれで」
手をヒラリと振って、出口へと向かう。
「……あ! 地図! その古地図は、明日ちょうだい!
僕のと交換ってことで。汚さないように!」
店を出る直前、振り返った彼の姿は、
シッシッと店主に追い立てられて、見えなくなった。
……気が付けば、店にはオレたちが来た時の喧噪が戻っていた。
* * *
その日の夜。
やっぱ、2部屋頼むべきだった……
宿に取った部屋を見渡したオレは、額に手を当てた。