可愛がられるのも世話焼きのうち?(3)
「え……」
オレは言葉の意味を取りあぐねて、まじまじとユリアを見つめた。
穏やかな態度ですっかり忘れていたが、
ここは戸籍がない方が都合が良いと考えられている場所だ。
ギュッてしていい? とは。
首を絞めてもいい? と。そういうことか?
オレはもしかして自分から薮の中の蛇を突き出してしまったのか?
「……や、優しくなら」
自分から何でも言ってくれと告げた手前、やっぱりなしとはいえなかった。
悩んだ末に、死なない程度なら仕方ないと思うことにする。
……高い報酬は危険手当だ。
「ほら、来い。……ぎ、ギュッてしろ」
服の裾を握り締めて、目を閉じる。
「はい……」
ユリアが席を立ち、オレに手を伸ばす気配。
唾は飲み込んでおいた方が良いよな?
あ、でも、今飲んだらむせるんじゃ……
刹那、オレは躊躇いがちに抱きしめられた。
……あれ?
苦しくない。痛くもない。
ユリアは本当に、フツーに、オレを抱いていた。
「温かいんですね。人って」
ポツリと掠れた声が落ちる。
「……そ、そりゃ、生きてるからな」
酷く間抜けなセリフが口を突いて出る。
「ああ、そうか。生きてるんだ」
だけど、ユリアはなんだか凄く感動したように、溜息をついた。
それから、大きな手がオレの背をさする。
そっと、確かめるように。まるで愛おしむように。
「んっ……」
ふいに胸の鼓動が大きく跳ねて、
オレは慌てて、ユリアの胸板を押しのけようとした。
「懐かしいな。小さい頃、こうして……母に抱きしめてもらったんです」
咄嗟に、オレは彼の胸に押し当てた手を握りしめる。
自分の反応はあまりに俗物だった。
「……それなら、逆だろ」
「え?」
オレは鼻から息を吐き出すと、ユリアを見上げた。
「ギュッてしたい、じゃなくて、ギュッてして欲しいじゃね?」
彼の背中に手を回す。
そう言えば、ハルは言っていた。
愛してあげて欲しいと。
……こいつは、いつから「こう」なんだろう。
古びた屋敷で、大勢のメイドに囲まれて……たぶん、彼はどうしようもない寂しさを抱えている。
大きな背を撫で返せば、
彼は一瞬小さく震えて、次第にオレを抱く腕に力を込めた。
「すみません。子供みたいなこと」
「オレは世話係なんだ。
もてなされるより、こんな風にお前のために出来ることをしてた方がずっと心が楽だよ。
だから、好きなだけ甘えとけ」
ユリアの表情が、くしゃりと泣きそうになる。
それを隠すためか、彼はオレの首筋に顔を埋めた。
オレには少なくとも弟と妹たちがいた。
仕事もキツかったし、金もねぇし、腹も減るし、毎日不満は尽きなかったけど、
それでも、一人じゃなかった。
「ありがとう、バンさん」
「だから、気にすんなっての」
出会ってまだ一日も経っていない相手に、こうまでして甘えてしまうほどの孤独は、どれほどのものなのだろう。
「……そうだ。ねえ、僕、仕事思いつきましたよ」
「なに?」
「ここの庭園の、バラの手入れを手伝ってください」
「バラの手入れ? 意外だな。庭仕事こそ人手が足りてそうだけど」
「庭師はたくさんいます。でも、バラの世話をしているのは僕だけです」
「マジ? この広さを、一人でやってんのか」
オレは改めて庭園のバラを見渡す。
昔、バラを育てるのは凄く難しいのだと聞いた覚えがある。
この広さを一人で維持するのは、大変な労力だろう。
「ええ。ここは僕の大事な秘密基地もありますから」
「秘密基地」
「ふふ、子供の頃からため込んだガラクタの宝庫です。
屋敷の一室から、いつでも忍んで行けるように地下道も掘ったんですよ」
「本格的だな!?」
「結構本格的ですよ。
崩れないように補強したりなんかして。
まあ、もう大きくなってしまったので、僕は通れなくなっちゃったんですけど」
そう言って、ユリアはちょっと誇らしげに笑った。
後で見せてもらった秘密基地はかなりの力作で、地下道も健在だった。
ユリアが大切に取ってあった宝物は、枝を干して作った杖だとか、キラキラに磨いた泥団子とかで、貴族の子供もあんまりオレらと変わらねぇんだなぁ、なんて思ったりしたのだった。