こんなもの愛じゃない。のに、(1)
部屋の扉を叩く音がする。
「翔太。まだ寝てるの?」
扉越しの母の声に、俺はうんざりした気持ちで、
頭までかぶっていた上掛けを退けて顔を出した。
「……寝てるよ。熱はないけどダルくて」
「長引くようなら、病院行きなさいよ。
母さん、いま仕事忙しくて休めないの。移さないでよね」
「分かってる」
母が階段を降りていく音を聞きながら、俺は枕に顔を押し付ける。
「くそ……」
男に戻ってからも、俺の情緒は安定しなかった。
むしろ、更に悪化していた。
視界の端で、携帯のディスプレイが点灯した。
ずらりと並ぶ一人の名前を思うと、知れず溜息がこぼれる。
……情緒悪化の原因だ。
「貴文……」
あの日から毎日、数時間おきに電話がかかってきている。理由は分からない。
(買い出しなら別の誰かに頼めよ。
……ああ、この前、殴ってたから誰も近づかないのか?
ってか、ガキじゃないし、俺が心配する必要もないわけで)
ぼんやりとそんなことを思う。
(会いたい……貴文……)
役に立ちたいのも、俺がやりたくてやってきたことだ。
でも、あそこまでなんとも思われていないのだと突きつけられると、
結構胸にクるものがある。
もうやめよう。もっと健全に生きよう。人生これからじゃないか。
そんな風に自分を説得してみるが、心は全然納得してくれない。
それどころか、彼にキレた自分を責めてくる。
俺は酷いことされたんだ。怒ったっていいはずなのに。
ギュッと胸が締め付けられる。
(スイッチのように、好きもオンオフできたらいいのにな)
貴文に会いたい。
学校を休み彼に会えない日を重ねれば重ねるほど、
頭の中はそれでいっぱいになっていく。
(貴文……)
あんな目に遭ったのに、俺は貴文を求めている。依存している。
別離の痛みは、じくじくと体を蝕んで、苦しくて、つらくて……
(穴でもいいじゃないか)
それももう、男の身では叶わない。
俺はパジャマの中に手を突っ込むと、
緩く立ち上がりかけていた自身を握りしめた。
「ん……」
また貴文とキスできたらいいのに。
ザラついた舌の感触を思い出しながら、手を上下に動かす。
「……はぁ……はぁ……はぁっ……」
なんで俺は、貴文を押しのけてしまったのだろう?
彼が求めてくれるなら、俺の貞操なんてどうでもいいじゃないか。
なんで、あんな……俺は馬鹿だった。
そばにいられるだけで、幸せだった。抱かれて、もっともっと幸せになれた。
なのに俺は、その幸せに慣れてしまっていたんだ。
……こんなの、おかしい。狂ってる。
離れられない。離れたくない。
好きで好きで好きで、つらい。
「ぅ……」
ビクンと体が震えて、手が白濁で汚れる。
――部屋の扉のノブが回ったのは、
ベッドサイドのティッシュに手を伸ばした時だった。
ハッとする。
母は17年勝手に扉を開くことなんてなかったから、完全に油断していた。
「か、母さん? 俺なら、本当に平気だからっ……」
扉が開く。しかし、顔をのぞかせたのは母ではなかった。