胸騒ぎ(1)
それから数日後。
俺は、貴文の言いつけ通り、胸を潰すシャツを着ずに登校した。
胸元が気になって、自然と前屈みになってしまう。
それでも、幸いクラスメートは俺に興味なんてなくて、
無事、午前を終えることができた。
残すは昼休みと、英語、倫理の授業のみだ。
(貴文……どういうつもりなんだろ……)
彼は今朝から何も絡んではこない。携帯に連絡もなかった。
(もしかして、シャツの話、忘れてるんじゃ……)
昼休みの喧噪の中、俺はホッとするような、残念なような、
不思議な感情に戸惑う。
そんな心の動揺を振り払うように、
ゆっくりと自分で作ってきたお弁当を広げた。
どこか人目のない場所に移動した方が良いとも考えたが、
移動途中で貴文と顔を合わせ、彼がシャツの件を思い出しては面倒だ。
彼が今まで俺の教室に来たことはなかったし、
そもそも俺が特進の、どのクラスなのか貴文は知らないだろう。
「あ、いたいた。翔太」
淡い期待が潰えたのは、ウィンナーを箸で摘んだ時だった。
「た、貴文っ……!?」
貴文が高身長を持て余すように扉の上部を掴んで、教室の中を覗き込んでいた。
左手には少し大きめの茶色の紙袋を持っている。
「なんだよ、お前。一人で食ってんの? 付き合い悪いな」
貴文はなんの躊躇もなく、特進クラスに足を踏み入れた。
注目を浴びたのも一瞬で、彼は意気揚々と俺の席に歩み寄ってくる。
「ご、ごめん。今日は連絡が来なかったから……」
「連絡しなかったら、一緒に食わねーのかよ。
そーゆーとこ、付き合い悪いつーんだ」
「う、うん、ごめん……」
「まあ、いい。許してやる。だから、その弁当寄越せ」
「え……」
「代わりに、俺が購買でいっちゃん高い弁当買ってやるよ。
だから、これから行こうぜ?」
「い、行くって、購買に……?」
あんな人混みに? 胸を潰していない状態で?
ぶつかったり、触れたりしたら一発でバレてしまうというのに?
「や、今日は……」
「なんだよ。嫌なのか?」
貴文が口の端を持ち上げる。
ああ……と俺は心の内で吐息をこぼした。
貴文はシャツのことをしっかり覚えている。
そして、それを最大限に楽しもうとしている。
「できるだろ?」
俺は手が白くなるほどズボンを握りしめた。
バレるかもしれない。そうしたら、俺の人生は終わりだ。
「……分かったよ」
でも、俺は頷いた。だって、貴文が言うんだ。
断れる、わけがない。