人狼坊ちゃんの世話係

秘められた蜜の味(1)

 月が中天に差し掛かる頃。
 オレは、久しぶりにユリアの部屋を訪れた。
 ーーと言っても、彼が本来使っている部屋は今は修復中のため、
 正確には客室の一間だが。

「セシルたちの見送りに来てくれて、ありがとうございました」

 ユリアはメイドたちを下がらせると、オレに向き直った。

「さっきも言ってたけど……
 お前が感謝するようなことじゃないだろ」

「せっかく仲良くなったのに、
 気まずくなってサヨナラは嫌でしたから。
 あなたが来てくれて、安心したんですよ」

 ユリアはそう告げて、ティーカップに紅茶を注ぐ。
 オレがやるよと言えば、
 今はプライベートの時間ですから、と断られてしまった。
 しぶしぶながら、オレはテーブルに腰掛けた。

 しばらくすると、ユリアがカップを運んでやってくる。
 その横顔は、どこか緊張していた。

「……それで、お話ってなんですか?」

 白い湯気の立ち上るカップからは、
 ほんのりと、甘い苺の香りがする。

「オレの中にある……お前の心臓のこと。聞いておきたくて」

 意外なことに、オレは冷静だった。
 あれほど、あの夜の出来事を恐れていたというのに。

「……っ」

 ユリアの手の中でカップがカチャンと音を立てる。
 中のお茶がテーブルクロスに染みを作り、じわりと広がった。

「おい、大丈夫か。火傷とか……っ」

 オレは慌ててハンカチを取り出すと、立ち上がった。
 彼の濡れた手や袖を拭うと、
 ユリアは、微笑みたいのか泣きたいのか、
 どっちつかずな表情を浮かべて、オレを見た。

「……まあ、その話ですよね。
 いつか、話さなきゃとは思っていたんですが……
 勇気が無くて」

 そう言って、彼はオレの手を掴んだ。

「あなたの言う通り……バンさん。
 あなたの中には僕の心臓があります」

 ユリアは目を閉じて、長く息を吐き出した。
 それから、すがるような眼差しをコチラに向けた。

「あの夜……まだ何も知らないバンさんが僕の中の獣と出会った日、
 獣はあなたを八つ裂きにしました。
 意識を取り戻した僕は、血まみれの部屋を見て……
 僕は、僕は……耐えられなかった。
 あなたを失うなんて考えられなかった。
 考えたくもなかった……っ!」

 次第に声が上ずり、
 ユリアの指がカタカタと震え出す。

「必死でバラバラになったあなたをかき集めました。
 そして、僕は自分の心臓を使って、あなたを……蘇生した」

「そうか」

 ユリアは、キツく瞼を閉じて細く長い溜息をこぼす。
 そんな彼を見下ろして、オレは問いを口にした。

「オレを蘇生したこと……お前は、後悔してるのか?」

「こ、後悔なんて……っ!」

 パッとユリアが顔を上げる。

「なら、なんでそんな、つらそうな顔してるんだよ」

 オレはポケットにハンカチを押し込むと、
 彼の頬に片手を伸ばし、そっと撫でた。
 ユリアは表情をくしゃりとさせた。

「――あなたは、僕が憎くないんですか?」

「憎い?」

 部屋の蝋燭が、揺れる。  明かりに飛び込んだ虫が、ジッと音を立てて燃える。

「獣はあなたの命を奪った。
 そして僕は、あなたの人としての人生を奪った。
 僕は二度もあなたを殺したんですよ。
 到底、許されることじゃない」

 オレは、本能的に彼を獣と重ねて恐れていたけれど、
 彼自身はどうだったのだろうと考える。

 自分の意思に関係なく、己の手で愛する人を殺めてしまったら?
 そんな場面を目の当たりにしてしまったら?

「……オレは死にたくはない。
 だから、蘇生して貰えて良かったよ。
 体も前より頑丈だし。今ンとこ不便もねぇ」

 殊更明るく告げれば、ユリアは目を瞬かせた。
 濡れた睫から、涙がこぼれ落ちる。
 それから、困ったように眉根を寄せた。

「そんなに、軽くていいんですか」

「なっちまったもんを、今更、重く捉えてもなあ」

「……話がしたいと言っていたので、
 てっきり僕は……そのことを責められるのかと」

 オレはユリアの頭にぽん、と手を置いた。

「オレが今日、ここに来たのは、
 確証が欲しかったからだ。
 曖昧なままじゃ、自分には何が出来て何が出来ないのか判断が狂う」

 目を閉じれば、トクントクンと心臓の鼓動が聞こえてくる。
 ユリアの心臓が、オレの中で力強く動いている。

 なんて……愛おしいんだろう。

 ユリアをいつか失うかもしれないと考えると
 怖くてたまらなかったが、もう大丈夫だ。
 オレが生きている限り、彼は生き続けるのだから。

「話してくれて、ありがとな。
 お前の心臓は、オレが全身全霊をかけて守るから。任せとけ」

「バンさん…………
 あなたは、僕にとことん甘すぎます」

 ユリアは目に涙を溜めて微笑みを浮かべた。

「それがオレの愛し方だ」

 言って、オレはニッと口の端を持ち上げる。
 そんなオレの両手を、彼は握りしめた。

「……ありがとう、バンさん」

 引き寄せられるまま、視界に整った顔が広がる。
 晴れた夏空を思わせる青い瞳に吸い込まれるようにして、
 オレは瞼を閉じた。

「ん……」

 唇が優しく重なる。
 顔を離せば、ユリアはオレを抱きしめた。

「ヴィンセントさんも……あなたのように、受け入れたんでしょうか」

 それから胸の辺りに顔を寄せて、呟く。

「何?」

「セシルに、ヴィンセントさんを死徒にして欲しいと頼まれたんです。
 僕は断ってしまったけれど、その願いを叶えるべきだったのかなって……」

「それは……別、じゃねぇかな。
 死徒になるか否かってのを、片方の意見だけ聞いて決めるのはどうかと思うし。
 ……まあ、今頃、2人でこれからのこと話してるだろ。
 それで出した答えが、またお前に頼むことなら――その時、また悩んだらいい」

 今回のことは、あの2人にとっては互いの気持ちを見つめ直す
 きっかけになったような気がする。

「そう、ですよね」

「そんな心配するな。  大丈夫だよ。また、2人揃って遊びに来るって」

 不安げにするユリアの頬を包み込み、
 オレは再び口付けた。

「ん……バンさ……」

「大丈夫だ。な……?」

 囁いて、何度も触れるだけのキスをする。
 舌を忍ばせれば、初めは躊躇いがちだったものの、
 だんだんとユリアも応えてくれた。

 瞼を閉じて、淫らな水音を立てる。
 舌を絡め取り、表面を擦り合わせれば、
 ユリアは椅子を引いてオレの腰を抱き寄せた。

「はっ……ユリア……」

 口付けながら、オレは彼の膝の上に跨がった。
 ぎこちなくシャツのボタンを外していく大きな手が愛おしい。
 オレも負けじと彼のベルトを引き抜いた。

 言葉なんて不要だった。
 鍵を閉め忘れていても、邪魔をする客人はいない。

-78p-