忍び寄る「黒」と赤い過去(14)
* * *
「し、信じられない!
あ、あんな、えっ、えっ、ぇ……エッチなことするなんて……!!!」
客室に戻ったボクは靴を脱ぎ捨てるとベッドに飛び込んだ。
顔が熱い。さっきの光景が瞼裏に焼きついて、
心臓がドクドク言っている。
枕に顔を押しつけて、ボクは足をバタバタさせた。
何してたんだ、あの2人。
あ、あんな、あんなとこ、舐めっ……
「少しは落ち着け。
恋人同士なんだ。仲睦まじくていいじゃないか」
「そういう問題じゃない!」
「それより、ケガが酷くないようで安心した。
だいぶ手ひどく吹っ飛ばされていたようだったから」
ベッドが軋んで、ヴィンセントがボクの肩に触れる。
ボクはその手を振り払うと、上半身を勢い良く起こした。
「……ヴィンセントは見てないからそんな冷静でいられるんだ。
く、口でっ、あ、あ、あんなとこ……な、舐めっ……
わぁぁぁぁぁあああああッ!」
再び枕に突っ伏せて、ボクは言葉にならない悲鳴を溢れさせる。
そりゃ、扉を勝手に開けたボクが悪い。
……だけど、あんなことしてるだなんて普通は思わないじゃないか。
「分かった、分かった。
とりあえず、深呼吸しろ」
「……スーハー、スーハー」
「歯は磨いたな?」
「磨いた」
「なら、そのまま寝ろ」
「寝られるわけないだろ!? こんな状態で!!」
恨めしい眼差しを向ければ、
ヴィンセントがトントンとボクの背中を叩いてくる。
「子供扱いするなよ!
こんなんで寝られたら苦労しないってば!!」
「なら、どうしたら寝れるんだ」
「知らないよ! 考えてよ、バカ!」
「分かった」
ヴィンセントが肺の中が空っぽになるような溜息をつく。
じっと答えを待てば、頭を枕に押しつけられた。
「ふがっ……! 寝れない相手に冷た過ぎない!?」
「……そんなことで、どうやって籠絡するつもりだったんだ?」
「何? 何て言って――」
「とりあえず目を瞑れ」
大きな手が、ボクの目元を塞ぐ。
相変わらずの、雑な扱い。酷いヤツだ。
ボクはぶつくさ文句を言いながら、目を閉じた。
ヴィンセントは見ていないから、こんな風に冷静でいられるんだ。
あんなの見たら、ヴィンセントだって……ヴィンセントだって……
「……離してよ」
ふいに、ゴツゴツした、厚みのある手を意識してしまって、
ボクは彼の手を振り払った。
「どうした?」
「どうもしない。自分で目くらい瞑れる」
「……分かった」
この手が、ずっとボクを守ってきたんだと思うと、
胸がドキドキした。
……なんでボクがドキドキしてるんだよ。
意味が分からない。全然、一つも、意味が分からない。
全部、全部、アイツらのせいだ。
ゴホッと、酷い咳き込みが聞こえたのは、その時だった。
「……ヴィンセント?」
「なんでもない」
いつものように簡潔に言って、彼は浴室へ向かう。
それから直ぐに戻ってきた。
「おやすみ、セシル」
部屋の灯りを消して、隣のベッドに横になる。
静寂が落ちると、ボクは体を彼の方に向けた。
「……ねえ。体、どっか悪いの。背中、撫でてあげようか」
「気にするな。むせただけだ」
「……そう」
大きな背中を見つめていると、
視線に気付いたのか、ヴィンセントがコッチを向いた。
「ほら、さっさと目を閉じろ。俺の手は不要なんだろ?」
ボクはしばらくヴィンセントの顔を見つめてから瞼を閉じる。
精悍な顔は、時と共に老いていた。
一方ボクは20年経っても、彼と出合った時のままだ。
ボクらの間には、越えられない壁がある。
それはとてつもなく巨大で、強固で、いつかボクらを離れ離れにする。
「……おやすみ」
ボクは胸をざわつかせる不安を無理やり飲み下した。
……微かな血の匂いを感じながら。