人狼坊ちゃんの世話係

別れの詩(11)

* * *

 目の前には、闇が広がっていた。
 辺りはとても静かで、
 まるで『死』そのもののようだ。

 立ち尽くしていると、
 白銀の雫がひとつ天から降ってきて、
 水面が震えるように闇が揺れた。

 その白は次第に大きくなって、
 一匹の狼になる。

「……本当に貴様は、俺がいないと何も出来ないようだ。
 二言目にはすぐ弱音を吐く」

 狼はそう言うと、
 ゆっくりとした足取りで僕に歩み寄ってきた。

「貴様は、強くなったのだろう?」

 こちらを見上げて、不遜に鼻を鳴らす。
 僕は、その澄んだ眼差しを見つめ返した。

「今更、何の用だよ」

「力を貸してやる」

「いらない」

「なっ……!?」

 即座に応えると、狼は大きく目を見開いた。

「意地を張っている場合か。
 貴様は今がどういう状況か判っているのか!?」

「意地を張ったのは、お前だろ」

 こんな話をしている場合ではないのは分かっている。
 それでも言わずにはいられなかった。

「勝手に身を引いて、バンさんを悲しませて……
 お陰で僕は、欠けたままだ」

「何を言い出すかと思えば。
 力を貸してやることはできても、もうひとつには戻れない。
 前も言っただろう?
 生憎と、俺はもう貴様ではないんだ」

「そうだね」

 ひとつ嘆息する。
 次いで、僕はしゃがみ込むと彼と視線を合わせるようにした。

「僕らは、元はひとつだった。
 それが、ふたつに別れ、変質した。
 お前の言う通り、もう、ひとつに戻ることはできない」

 そっとその毛並みに手を伸ばす。
 それからバンさんがよくするように、彼の口元に触れた。

「でも、別の何かになることはできる」

「別の何か?」

「ずっと、考えていたんだ。
 僕らの解決方法は、本当にどちらかが消えなくちゃならないのかって。
 それが正しいのかって。
 何度も何度も問いかけたよ。でも、やっぱり納得できなかった」

 一度、言葉を切る。
 改めてソイツを見つめる。不思議と心は凪いでいる。

「僕はお前を好きだと思ったコトなんてない。
 むしろ、ずっと憎んでいたくらいだ。
 でも、やっぱり僕らはこの関わりを断つことは出来ないんだ。
 ふたつに分かれたとしても、僕らは元はひとつで、
 それが僕とお前の形だ。……どちらかが消えるだなんて間違ってる」

「何が言いたい?」

「僕は、僕でなくなることを恐れたりはしないってこと。
 僕は――変わりたい」

「はっ、貴様は……貴様自身を捨てると言うのか」

 これが、僕の……考えて、考えて、導き出した答えだった。

 絶対に、ひとりではこんな風に想うことはなかっただろう。
 でも、僕にはバンさんがいた。
 丸ごと愛してくれる人がいた。信じてくれる人がいた。
 静かに、見守ってくれる彼がいたから、
 僕は恐れずに進むことができるのだ。変わることができるのだ。

「シロ。お前に僕の全てをくれてやる。
 だから、お前の全てを僕にくれ。
 バンさんと一緒に生きてくために。未来を掴み取るために」

 狼は――シロは、視線を落として思案げにした。
 それから、ククッと喉奥で笑う。

「……貴様は、弱いくせに思い切りばかりいい」

 顔を上げたシロは、僕の手に頬を擦りよせるようにして、
 楽しげに目を細めた。

「分かった。
 消えるのはやめよう。諦めるのもやめよう。
 共に掴み取るぞ――ユリア」

「ああ」

 視線が交錯すると、光が弾けた。
 触れ合った先から身体の輪郭がぼやけて、きらめく欠片になる。
 やがて、僕の全てが光の螺旋に飲まれていった。

* * *

 ゾワリと背中が、泡立った。
 頭の中に、わんわんと警鐘が鳴り響き、
 俺は勢いよく、人狼青年を振り返る。

 すると――

「……なに?」

 そこには、ゆっくりと立ち上がる青年の姿があった。
 さっきまで指先ひとつも動かせず、憔悴した様子だったのに。

 加えて、何だかまとう雰囲気が違う。
 飴色の髪の一部が、白銀に変わっていて、
 よく見れば、目も片方の瞳が煌々と赤く輝いている。

「……何処に行くんです?
 まだ、僕は立ち上がれる。何も終わってない」

「しつこいねえ。まだ痛めつけられたいだなんて、
 キミってとんでもなくドMなの?」

「言ったはずですよ。
 僕はあなたを倒して過去と決別するって。
 あなたには、僕の未来の礎になって貰わないと。
 それに……僕の友人も返して貰っていませんし」

「しつこい男は嫌われるよ?」

「あなたに嫌われても、何のダメージもありませんから」

 すまし顔で告げる彼に、口の端が引き吊る。
 何なのコイツ。さっきまでボコボコにされてたクセに。
 現状分かってる? イメチェンして調子乗っちゃったの?

 ってーか、俺はまだその大事な友人の皮をかぶってるわけで。
 やり直したって、お前、俺を傷付けられないだろ。

「あ~~~…………もう、いいや。もう、いい。
 ――お前、ミンチの刑な」

 後で苦労するかもだけど、細々にして、ズタ袋に入れて持って帰ろう。
 ハイ、決定。

 俺は軽く胸の前で両手を交差させると、
 手先に力を込めて、爪を伸ばした。

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