人狼坊ちゃんの世話係

萌ゆる月(1)

 ユリアの屋敷に滞在して、
 瞬く間に1週間が経った。

 セシルの容態は、日に日に悪くなっている。

 俺は、一日と半分ほど意識を失ったままのセシルを風呂に入れ、
 下着を履かせると華奢な体をベッドに座らせた。

「セシル。髪を乾かすぞ」

 反応はない。

 長い髪の一房を掴みタオルで挟み込む。
 彼自身がいつもしている様子を思い出しつつ、髪を乾かしていく。

 前髪から、水滴が落ちた。
 頬を濡らすそれを手の甲で拭ってやる。

 ピクリともセシルの表情は動かなかった。
 虚ろな大きな瞳が床をじっと見つめている。

 こうしていると、精巧な人形のようだ。

 ぶらりと下がった腕を膝の上に乗せる。
 そこで、いつも綺麗にしている爪先の色が剥がれているのに気がついた。
 けれど、俺にはそれを塗り直す方法なんてサッパリ分からない。
 今度聞いておこうと頭にメモを取る。

 セシルの意識が戻ったのは、そんなことを考えていた時だった。

「ここ……どこ……?」

「ユリアの館だ。覚えていないか、セシル」

 虚ろだった眼差しに、光が浮かぶ。
 彼は億劫そうに俺を見た。

「あー……覚えてる。大丈夫。
 それで、今度はボク、どれくらい意識を失ってた?」

「一日半だ。
 勝手に風呂に入れて悪かったな。もう一度、入り直すか?」

 髪を拭いながら言えば、彼は寂しげに笑った。

「ううん。平気。
 それより……髪、乾かすの面倒でしょ。
 どうせ伸びるんだから、切っちゃえばいいのに」

「大した手間じゃない」

 俺は首を振った。
 セシルの大切にしているものを、
 ぞんざいに扱うつもりはない。

「……ヴィンセントって、ボクのこと大好きだよね」

「今更、理解したのか?」

「……っ」

 応えれば、セシルは目を大きく見開いてから、
 フッと顔を背けた。
 その頬は耳まで赤く染まっている。

「……お前、ホントバカ。
 バーーーカ!」

 そう声を上げてから、
 俺を睨めつけてくる。続いて、彼は力強く俺を押しやった。

 ベッドに寝転がれば、すかさずセシルがのし掛かってくる。

「……ホント、バカ」

 それから彼は俺の胸に額を押し付けた。

「どうした?」

「……見られてるんだよ」

 しばらくの沈黙の後、セシルはポツリと言った。

「なに?」

「覗かれてる。頭の中……起きてる間中、ずっと」

「それは……」

「たぶん、1月だ。
 アイツ、ボクがユリアたちと一緒にいるのを知ってる」

 彼は小さく肩を振るわせた。
 もしそれが本当ならば、こちら側の情報は1月に筒抜けだということだ。

「ボクは、ここにいたらダメなんじゃないのかな……」

「だが、それをハルは――」

 人差し指が唇に押し付けられる。
 それから彼は指を引くと、俺の唇を塞いだ。

* * *

「んふっ、んふふふっ!
 あはははははッッ!」

 俺は目の前に聳え立つ古風な館を見上げて、
 堪えきれずに高笑いした。

「ここだよ、ここ!  あのガキの頭にあった家は~~!」

 ジルベール……やっと辿り着いたよ。
 すぐにお前が欲しがってたあの人狼の体を手に入れてあげる。
 そうしたら俺はあの子の体で、
 昼も夜も楽しく暮らすんだ! 楽しみだなぁ。

「それにしても、俺天才では?
 数十年も前に仕込んだガキがこんなに役に立つなんて。先見の明、あり過ぎ??」

 7月が人狼青年を連れ去った場所はすぐに分かった。
 アイツは俺が思ってた以上のバカだった。
 友達になったかなんだか知らないが、
 オレの死徒を普通に招き入れてるんだもの。

 お陰で情報は筒抜けだ。
 7月の使える手駒は、アイツ自身と元1級処刑官、それから人狼青年だけ。
 しかも今、アイツは何処かへお出かけ中ときた。

 攻めるなら今しかないでしょ?

「ま?、7月が気付いていないのも仕方ないよね。
 なんたって俺の死徒、教会に捕まった時ぜーんぶ殺されちゃったし」

 俺自身、あのガキの存在は忘れてたんだよね。

「まさか生き残ってるとは思わなかった。
 さすが俺、強運♪ 強運♪」

 さっさと屋敷に乗り込んでしまおう。
 7月が帰ってきたら厄介だし。

 俺は軽い足取りで真っ直ぐ館に向かった。
 処刑官の男は殺さないように気を付けないと。

「あっ。そいや人狼青年は心臓を別に保管してたっけ。
 なら、そっちから殺して、身体を貰うって順番でも良いわけだ。
 うーん。7月がいないだけで随分とイージーになっちゃうなあ」

 その時、一陣の風が吹いた。

「独り言は終わった?」

「え」

 影。いつの間にか、数歩前に7月が立っている。
 俺は瞬時に後方へ退くと、素っ頓狂な声を上げた。

「えーーー! なんでなんでなんで7月がここにいるんだよ!?
 お前、どこかに行ったんじゃないの!?
 もう戻ってきたの!?」

「ここへ来たんだよ」

「はあ? それって、どういうーー」

『ハルさん。何処かに出かけるの?』

『うん。ちょっとね』

 あのガキと、そんな話をしていたじゃないか。

 もしかして、全部俺に筒抜けなの分かってた?
 分かってて俺のことおびき寄せたとか?

「ウッッッゼーーーーーーー!」

 俺は吠えた。

「お前、なにマウントしてきてんだよクソ!
 さも自分は頭いいアピールですか?
 はっ、別にいいけど?
 大事なのは頭じゃないですから。パワーですから!
 俺の目的は、お前と戦うことじゃねーの!
 あの狼の身体を貰うことだから!!」

 地面を蹴る。屋敷に突っ込もうとして俺ははたとした。

 あ、そっか。
 俺をおびき寄せるのに、人狼本人はいらない。
 じゃあ、もしかしてこの屋敷ってもぬけの殻?
 ってか、ガキの記憶にあった屋敷と別の場所?
 は? ウソでしょ。俺、バカじゃん!

「やっと気付いた? ここにユリアはいない。
 少し君の『目』は弄らせて貰った」

 目的変更だ。
 ハメられたなんて認めない。
 ってーか、そもそも俺の目的は7月だったし。
 コイツを殺してから、人狼青年の身体を貰う方が確実だし。

「俺はバカじゃないもん」

「バカだよ」

「あはは、きっつ……
 もうぜってぇブッ殺すからな!!!」

 俺は瞬時に移動して、7月の首を狙う。
 ヤツはヒラリとそれを交わして、間合いを計る。

 気に食わない。
 どうして速さで適わない?
 同族で身体能力に違いがあるなんて聞いたこともないのに。
 もしかして、コイツ……

 俺は7月を睨めつけた。
 何を考えているかサッパリ分からない。
 でも、コイツは俺を殺しにきたのだ。
 わざわざ誘き寄せてまで。

「ジルベール様! お一人で先に行っては――」

 張り詰めた場の空気を、甲冑が擦れ合う音が切り裂く。
 俺は素早く踵を返すを返すと、ジルベールの部下たちの背に立った。

「やっと追いつきましたか。
 さあ、みなさん。お仕事ですよ」

 俺は逸る心を抑え付けて、穏やかに言った。

「この男が人狼とヴァンパイアのハーフ?
 とてもそうは見えませんが……」

 生真面目そうな男が問う。
 オレは大仰に肩を竦めた。

「私たちはまんまと騙されてしまったようです。
 彼もヴァンパイアですが、研究対象にはなりませんし、
 引き下がるのもありかもしれません……。
 が、彼を屠れば、この世からヴァンパイアを一人抹殺出来ます。
 将来、彼に殺される誰かを助けるコトが出来ます」

 オレは処刑官たちに剣を抜くよう手で合図をした。

「そういうわけで、みなさん。
 世のため人のために、死んでください」

 7月が目を細める。

「1級処刑官か」

「逃げないでよね?、7月?
 殺すか、殺されるかしろよォォォオオ!?」

 ちょうどいい。
 処刑官と遊んでいる間、オレは7月の力を見極めよう。

 ――と、思ったのも束の間。

「ぐっ!」

「がはっ!!」

 オレの目の前で、処刑官たちが次々に地に崩れ落ちていく。

 7月が何をしたのかは見えなかった。
 ……そう、『見えなかった』。
 つまり、コイツは時間か空間かに干渉する力を持っているってことだ。

 もう少しだ……見極めろ。見極めろ。

 7月は、見事に処刑官の足ばかりを狙っていた。
 しかし、死ぬか殺すかの相手を10人も前にしては、
 彼もそこそこの苦労をしているようだ。
 下手に攻撃して殺してしまえば、自分が死ぬのだから当たり前だが。

 単身で来るわけねぇだろ。
 この前、ギタギタにされたんだから。

 剣戟の音が夜の静寂に響き渡る。
 一人を取り囲み、蠢く影。それらは、ひとつ、ふたつと地に伏していく。

 オレは目をこらした。
 なんとかして7月の動きを把握しようと――

「じ、ジルベール様!
 ヤツが……!」

「は?」

 声にハッとすると、まだ立っていた処刑官たちが
 辺りを見渡していた。

「……あれ? 七月は?
 は? ウソでしょ? 逃げられた?」

 勝ち目はあった。というか勝ち目しかなかった。
 なるほど。だから、アイツ逃げたのか。

「なに蹲ってんだよ!」

 オレは近くで脚を折られて動けなくなっていた男を蹴り飛ばす。

「ひっ……」

「……っとと、危ない、危ない」

 怒りのまま蹴り殺していたら、オレが死ぬハメになる。
 こめかみがピクピク震えた。
 クソウゼーな、コイツら!!

「骨折られただけだろ!?
 気合いでなんとかしろよ!」

 人間はもろい。
 もろくて使えない。なんだこのゴミ……

「クソ。クソクソクソ。
 次はないから。絶対に殺してやるから。7月……」

 オレは指の爪を噛んだ。
 血が出るまで噛んだ。
 なんなら指先の一部を食べた。

「使えなさすぎだろ……」

 人間は使えない。
 いくら死ぬ気で躍りかかっても、
 せっかく呪いを抱いていても、
 骨が折れたら動けなくなる。

「あはっ、そうか」

 なら、ケガしても平気な身体にすればいーじゃん?

「ジルベール様……
 まだ7月は近くにいると思われます。追跡のご命令を」

 オレは剣を片手に立つ男たちを見つめ、一歩、躙り寄る。
 それから、飛びつくようにして首筋に噛みついた。

「……っ!?」

 処刑官って死徒に出来るのかな?
 ま、やってみて出来なかったら死ぬだけか。

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