人狼坊ちゃんの世話係

白夜の夜明け(2)

* * *

 セシルとかいった小煩い死徒と連れの人間が去ってから、数日後の満月の夜。
 いつもの通り地下牢の鎖に繋がれていると、俺の下にバンがやってきた。

「もう変わってたのか」

 俺を見ると、慌てた様子でこちらに駆け寄ってくる。
 バンは鍵束からひとつを選ぶと、俺の手首にはまった枷に差し込んだ。

「……何をしている?」

 そう問うのと、音を立てて枷が落ちたのは同時だった。

「もう縛る必要はねぇだろ。
 お前、満月以外でもフラフラしてんだから」

 ユリアに知られるわけにはいかないけど、とバンは俺の両手足から枷を外すと笑った。

「お前のことをユリアが縛り付けてんのは、俺を心配してるからだ。
 でも、もうお前はオレを殺さない。
 それなら無駄にお前を苛立たせる必要はねぇ」

「貴様は馬鹿か? 自分が殺された夜を忘れたわけではあるまい」

 心底呆れかえれば、バンは大仰に肩をすくめてみせる。

「死んだ時のことなんてずっと覚えてられるかよ。ストレスで禿げるわ」

 続いて彼は膝を叩いて立ち上がると、鎖を部屋の脇にまとめた。

「それじゃあな。ユリアに変わる頃、また呼んでくれ」

「何処に行く?」

「仕事に戻るんだよ」

 くるりと手の中で鍵束を回し、バンはさっさと踵を返した。
 俺は何故かその態度が気に食わず、口を開く。

「……放置とは随分だな」

「なに?」

 俺は手首周りの筋肉を伸ばしながら、振り返ったバンに言った。

「貴様が俺の拘束を解いたんだ。
 責任を持って、俺を楽しませろ」

「……はあ?
 オレに何しろって言うんだよ」

「無能か? それを貴様が考えるんだ」

「クソ面倒臭え」

 あからさまに嫌そうな顔をする。

「いつもみたいに部屋で本でも読んでたらいいだろーが」

「それでいいなら、楽しませろなどそもそも言わない」

「っつって、オレ、お前のこと何も知らねぇしな……
 お前が楽しめるものねえ……」

 腕を組んで、バンは唸った。

「……まあ、いいや。いつもの客間で待ってろよ」

 俺は言われた通り、客間へ向かった。
 ソファで横になり、読みかけだった本に目を通す。

 しばらくすると、カチャカチャと食器が触れ合う音に続いて部屋の扉が開いた。

「お待たせ」

 バンは慣れた手つきで、テーブルにお茶の用意を始める。

「……なんだ、これは」

「イチジクのパイだよ。キッチンに残ってたヤツを貰ってきた。  お前も好きだろ? お茶にしようぜ」

 俺は読んでいた本から顔を上げて、憮然として鼻を鳴らす。

「俺とアイツを一緒にするな」

 それから再び本に目を落とした。

「食わねぇの」

「当たり前だ。さっさと片付けろ」

 鼻腔を擽る香ばしい匂いが鬱陶しい。

「……分かったよ」

 大仰な溜息をついてから、バンが言う。
 俺は、苛立たしげにページをめくった。

 すると、サクッと小気味の良い音が聞こえた。

「……何をしている?」

「片付けろっつったのは、お前だろ。だから、食べてんだよ」

 フォークで切り分けて、パイの欠片を口に運ぶ。

 断面に見える、今にもこぼれそうな2種類のクリーム。
 上に乗せられたイチジクの赤が、部屋の明かりを照り返している。

 ふと、バンの手が止まり、戸惑いの視線を俺に向けてきた。

「ええと……なんだよ?」

「なんだとはなんだ」

「……そんな、じっと見られてると食べづれーんだけど」

-181p-