白夜の夜明け(1)
夢の中で、ヤツはいつも愛おしげな微笑みを浮かべている。
愛していると繰り返し、優しく触れる。
俺は時折、それが夢だと忘れてしまう。
俺に向けられた言葉なのだと――空しく錯覚する。
* * *
メティスから逃げる途中、
俺はバンの血を初めて吸った。
「お、い……殺す、なよ……」
ひと噛みする度に甘い赤が咲く。
気がつけば俺は夢中になって、彼の身体を貪っていた。
バンの血は甘い。
血はこれほどまでに甘いのか。それとも、コイツの血だからなのか。
舌から浸透する命の味に目眩がした。
食い殺さないよう必死で理性を保ち、歯を立てる。
……それでも俺の傷が治る頃には、バンはぐったりとしていた。
「おい」
「……ん」
「移動するぞ」
「……」
抵抗もなく抱き抱えられたバンの身体は、
いつもよりもずっと華奢に感じられた。
俺は夜の闇を走りながら、
時折、バンの呼吸があることを確認して胸を撫で下ろす。
「……死ぬなよ」
それから数日、俺は生きた心地がしなかった。
バンは全く食事を受け付けなくなった。
水すら吐き出す始末で、どんどん衰弱していくのが分かる。
俺の心臓の治癒力が間に合っていないのだ。
「喰え。喰わねば死ぬぞ」
水は舌を濡らすように。それから、ゆっくりと流し込む。
肉は食べやすいように一口大に噛み砕いて食べさせることを学んだ。
「吐くな。
……そうだ、ゆっくり飲み込め」
血の気の引いた顔を見下ろし、俺は短い髪を撫でる。
俺は彼を抱きしめて休み、彼を抱いて走った。
死がチラついて、落ち着かない。怖くてどうにかなってしまいそうだった。
――俺は、以前、コイツを殺したというのに。
「……ぅ」
数日後、バンが薄らと目を開けた。
「ここ、何処だ……って、分かるわけねぇか……」
フラフラと身体を起こす。
彼は俺が抱いているのにすら気付かない様子だった。
「ありがとな。だいぶ楽になった……」
「まだ寝ていろ」
「ああ、うん。でも……近くで水の音がするから」
「水? 飲みたいのなら、持ってきてやる」
「や、そーじゃなくて……」
立ち上がった彼の腕を引けば、バンは軽々と腕の中に戻ってきた。
「せっかくの毛並みが泥でバリバリだからさ……」
力なく笑う。
俺は虚を突かれた。
「……どーでもいいことに力を使うな。
さっさと元通りになれ。そうすれば、望み通りコキ使ってやる」
「そうだな……邪魔にらならねぇよう、大人しくしてるわ……」
長い長い溜息をついて、バンは再び目を閉じた。
「何故、貴様は……」
こんな目に遭いながら、他人を思う?
大人しく休んでいられないのか。
……俺はたまらなく苛立った。
俺がもっと理性的であったなら、ここまでコイツが弱るほど血を吸うことはなかった。
いや、そもそもユリアに変わることさえ出来ていれば……
「おい……すげー顔してんぞ」
声に俯けば、力ない手が俺の頬を撫でる。
「お前もちゃんと、休めよ」
俺はバンの手を握りしめた。
コイツの手は、ゴツゴツしていて、カサカサしていて、
決して美しいものではない。
それなのに、何故……これほどまでに大切に思うのだろう。
「馬鹿が。こんな時くらい、自分のことだけ考えていろ」
「まあ、でも……俺、世話係だし」
コイツは根っからの世話焼きだ。
ユリアに対してだけではない。誰にだって……
ふと、俺は屋敷にいた時のことを思い出して鼻に皺を寄せた。
それは吐き気を催すほどの、生ぬるい記憶だ。