命の雫(7)
言葉のひとつひとつが、胸に突き刺さる。
オレは呆然と泣き崩れるユリアを見つめて、
それから、ポツリと言った。
「置いてけねぇよ。
置いてけるわけ……ねぇだろ」
そうしていたのなら、ユリアは納得できたのかもしれない。
今よりも傷付かずに済んだのかもしれない。
しかし。
「お前は、オレの主人で、オレの可愛い恋人で……
そんなヤツをどうして、あんな場所に置いていける?」
オレが少しケガをしただけで可哀想だと悲しげにする彼が、
傷つけられるなんて――考えるだけで、怒りで目の前が真っ赤になる。
「何をされても死なない? だから、何だよ。
傷付けられるって分かってて。
殺された方がましなくらい、痛めつけられるって分かってて。
お前こそ、何でオレが置いてけるなんて思うんだよ……っ!?」
どうして分からないんだろう。
好きなのは、愛しているのは、オレだって同じなのに。
「お前だって、オレがケガしたら悲しいだろ!?
オレだって同じだ。お前が傷付けられたら、つらいんだよ!」
今だって、そうだ。
胸が張り裂けそうで、うまく呼吸が出来ない。
自分に腹が立って仕方ない。 「……なあ、ユリア」
オレは片膝をついて、ユリアと目線を合わせた。
「オレはお前とまだ一緒にいたいよ。
せっかく恋人同士になったのに、
アイツらに捕まったら、今度はいつ会えるかわかんねえし。
お前、オレと一緒に生きてくれるっつったろ……」
「バンさん。僕は……」
唇を引き攣らせて、ユリアはゆるりと首を振る。
またひとつ、涙が落ちた。
「罪を犯してまで、共に生きたいとは思わないよ」
「……」
……何処かで、分かっていた。
何としてでも生き延びようとするオレを、きっとユリアは許さないだろう。
予想していたのに、実際にこうして拒絶されるのはキツい。
なあ、ユリア。
オレは……オレたちはさ、死に物狂いで逃げたんだよ。
お前を守るために。
「罪、か」
地面に額を押し付けたユリアを、オレは見下ろした。
生きたいと思うのは、そんなに悪いことなんだろうか。
オレには彼の気持ちが分からない。
……いや、分かるわけがないのだ。
オレは生きるために人を殺せる人間だから。
分かるわけが、ないのだ。
オレは奥歯を噛みしめて、立ち上がった。
それから問答無用で、ユリアの腕を掴む。
「……ひとまず、小屋に行こう」
「離してください」
「いつまでも外で話してるわけにはいかない。獣が出ても面倒だ」
「離してくださいって、言ってるでしょう?」
涙で濡れた瞳が、オレを睨みつける。
そんな顔をされたのは初めてだった。
次いで、腕を振り払われた。
オレはまた、その腕を掴む。
そんなやりとりを2、3度繰り返してから、
オレは苛立ちのままユリアの胸ぐらを掴んだ。
「……お前に人を殺させたのは、オレだ。
だけど、オレは謝らねぇからな。絶対に。
悪いことをしたと思ってないから」
「人殺しが悪いことじゃないなんて……
あなた、最低ですよ」
至近距離で睨み合う。
「……さっきから、甘えたこと抜かしてんじゃねえよ。
そういうのは、自分で自分のこと守れるようになってから言え」
――ああ、そうか。
ギリギリと奥歯を噛みしめながら、自分で告げた言葉に、
オレはひとつ、気付いたことがあった。
もしかして、シロは――
「アイツに――人狼に守られないようになってから、言えよ」
「……は……何を言ってるんですか……」
「お前だって、本当は分かってるんじゃないのか?
危険な状況なんて今まで――それこそ、
オレが屋敷に来る前から何度だってあったはずだ。
でも、お前は無事にこうして生きてる。
それが、どういうことなのか……分かってるんだろ」
「アイツが僕を守ってたって?
ありえない。アイツはただの人殺しだ……!」
「そうだ。人殺しだ。
人を殺してまでお前を守ってたんだよ!!」
そうじゃないと、ヤツの行動は説明がつかない。
本当に冷酷で残虐なら、出来るだけ殺さずに街を出るなんて、
そんな面倒なことを聞く必要はないからだ。
「お前は守られてるんだ。
屋敷の人間が、人狼が、お前を守ってる」
「僕はそんなこと頼んでない!!」
オレは思わず、ユリアの頬を引っぱたいていた。
「……っ」
息を飲んだのは、オレだったのか。それともユリアだったのか。
2人の間に落ちた静寂に、風に揺れる梢の音が響く。
ユリアは束の間、呆然として頬を抑えていたが、すぐにキッと眉尻を吊り上げた。
今度はオレの左の頬が鳴った。
じんじんと引っぱたかれた頬から痺れが広がっていく。
「なんで? なんで、バンさんは分かってくれないの……?」
ユリアは荒い息をついて、自身の手を握りしめた。
「お前だって、オレのこと分かってくれねぇじゃん……」
鼻の奥がツンとする。
オレは、ユリアが他人を傷付けたくないと思うことを、
否定したいわけじゃない。
ただ、ただ、一緒に生きたいという気持ちに、
ズレがあることが悲しい。
目頭を指で押さえて、深呼吸する。
「バンさん……泣いてるの」
「泣くかよ」
オレはユリアに歩み寄ると、肩口に額を押し付けた。
「……外に連れ出して、悪かったよ。
オレの認識が甘かったんだ」
「ちが、僕はそんなこと言いたいんじゃなくて……」
ユリアが息を飲む。
それから、躊躇いがちにオレを抱きしめた。
「……ごめん、なさい。
あなたの気持ち、踏みにじるようなことを言いました」
違うんだ、ユリア。
謝って欲しいわけじゃないんだ。
じゃあ、オレはどうして欲しいのかと言えば、分からなかった。
どうしたいのかも分からなかったから、声も出なかった。
オレは顔を持ち上げると、
黙ったまま、ユリアの唇に唇を重ねた。
……久しぶりの口付けは、涙の味がした。
* * *
それからオレたちは、言葉少なに近くの川で水浴びをして、
夜は小屋のベッドで2人、丸まって眠った。
朝が来るのが怖かった。
だが、時間を巻き戻すことは出来ない。
オレはユリアと進んでいかなきゃならない。
寝られる心持ちじゃなかったにも関わらず、
オレは気が付けば泥のような眠りに落ちていた。
――翌日。
窓から差し込む朝日の輝きで覚醒したオレは、
ユリアの姿を探して視線を彷徨わせた。
「ユリア……」
しかし、隣に眠っていたはずの彼の姿はなかった。
触れたシーツは冷たくて、
ずっと前に彼が起きたことを伝えてくる。
「ユリア?」
嫌な予感がして、オレはベッドを飛び下りた。
「おい、ユリア!? 何処にっ……」
小屋の中にはいないようだ。
オレは慌てて外へ向かう。すると。
「あ、おはようございます。バンさん」
薪を腕いっぱいに抱えたユリアにぶつかった。
「よく眠れましたか?」
「あ、ああ。お前こそ……」
オレはユリアを見上げて、言葉を飲み込んだ。
昨日、あれだけ落ち込んでいたのに、
今のユリアはニコニコしていて、何もなかったみたいだ。
「僕? 僕は薪を割ったりしてましたよ。
昨日は火がなくて、寒かったでしょう?
その分、バンさんがくっついてくれたから、
悪くはなかったんですけどね」
クスクス笑って、ユリアが続ける。
「でも、四六時中くっついている訳にはいかないし、
快適に過ごせるのに越したことはありませんから」
違和感が確信に変わっていく。
「なんだか新鮮です。
どうしたら快適に過ごせるか……なんて、考えたこともなかったから。
これが旅の醍醐味ってものなんですね!」
「ユリア、昨日のことは……」
「え?」
……ユリアは何もかも忘れていた。
正確にはメティスに入った日の後の記憶が、
オレの知るものとは、違っていたのだ。