人狼坊ちゃんの世話係

眠れる、熱い毒(9)

 前に立つ人狼の白い毛が、ブワリと逆立つ。

 彼の後ろから覗き見たオレは、
 待ち構えていた人物に口を開いた。

「ジルベール……」

 オレに本を貸すよう交渉してくれた、あの美しい男だ。

 彼の後ろには、数人の鎧の男たちが控えている。
 左側を見れば、やはり行く手を遮るように男たちが整列していた。

「見てください、この美しい景色を。
 この場所からだと、街が一望できるんです。
 街からこぼれる微かな灯りと、空に降る星々の明かり……
 素敵な眺めだとは思いませんか?」

「……どうでもいい」

 人狼が吐き捨てるように答える。

「これだけ騒ぎになっているのに、1人として街の人間が出てこない。
 随分と厳しく躾けているようだな。
 そんな家畜ばかりの住む街に、興味など持てるはずがない」

「おや、徹底した秩序の美しさが、あなたには分からないのは残念です。
 まあ価値観の相違というものですね」

「ヘラヘラと薄気味悪いヤツめ。
 その顔、すぐに剥ぎ取ってやる」

「おい、落ち着け。周りをちゃんと――」

 見ろ、そう言う暇もなく、
 オレは人狼に半ば振り落とされるようにして彼の背から下ろされた。

「待ってください。私は争いを好みません。
 話し合いで解決をしませんか?」

「戯れ言を」

 吐き捨てられた言葉を置き去りに、人狼がジルベールに飛びかかる。

 空気を震わせる、甲高い金属音。

 人狼の放った渾身の一撃を、
 ジルベールは幅広の剣で受けた。

「……なるほど、想像以上の速度と力ですね。
 彼らが苦戦するのにも頷けます」

「まさか、これが本気だと思っているわけではないだろう?」

「まだ実力を隠していると?」

「当然だ……ッ!」

 人狼の腕の筋肉が膨れ上がる。

 鉤爪が、防ぐ刃を押し切り均衡が崩れた。
 ジルベールの体が沈み込む。

「このまま、己の剣の錆になれ!」

「……力比べでは分が悪そうですね」

 ジルベールが滑らかな動きで横に逸れた。
 たたらを踏んだ人狼は、すれ違うように前へと出てしまい、
 背後を取られる。

「……ふふ、これでどうでしょう」

 振り返る時間すら与えず、ジルベールの剣が振るわれた。

 その一撃は上体を倒した人狼の真上を紙一重で通り過ぎ、
 白銀の毛先がはらりと闇に舞う。

「素晴らしい。
 反応速度も、抜群ですね。
 流石はヴァンパイアといったところでしょうか」

「うるさい男だ」

「それとも、その身体能力は人狼化によるものなのでしょうか?
 実に興味深い」

「その口、今すぐ黙らせてやる」

 頭を吹き飛ばすべく繰り出された拳は、
 ジルベールの水のように滑らかな動きに、軽々といなされてしまう。

 一方、ジルベールが攻撃の隙を突いて踏み込めば、
 人狼は驚異的な身体能力によって、それをギリギリのラインで躱す。

 それは息を吐かさぬ攻防。
 オレは――オレたちは、ただ黙って見守っているしかない。

(オレたち……?)

 そこで、ようやく違和感に気付いた。    城壁の上を塞ぐように立っている鎧の男たちは、
 何故、ジルベールを助けようとしない?

(ジルベールは、教会のお偉いさんなんだろ……?
 なのに、なんで……周りのヤツらは見てるだけなんだ?)

 あの2人の間に、入るのは並大抵のことではないとはいえ、
 それが助けない理由にはならない。

(コイツらの中には、ヴィンセントみたいな1級処刑官もいるはずだ。
 だとしたら、益々助けない意味が分からねぇ)

 助けが入らないことは、俺たちにとっては幸運だ。
 けれど、それを素直に受け入れられる程、オレは楽観的にはなれなかった。

(何か考えがあるんだ……)

「おい、気をつけろ! 様子がおかしい!」

 オレは人狼に向かって叫ぶ。

「この期に及んで、何を気をつけると?」

 せせら笑う声と共に、ひと際大きな金属音が響いた。

「やることは、一つだろうが。
 コイツを八つ裂きにして、ここから脱出する!」

 声を荒げた刹那、人狼がジルベールの剣を跳ね上げた。    ジルベールの胴が無防備に晒される。

 その瞬間を、待ち望んでいたかのように、
 人狼は一息に彼の腹を撃ち抜き――――

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