人狼坊ちゃんの世話係

秘密(3)

 深夜。オレは唐突に目を覚ました。
 微かな物音を聞いた気がしたのだ。
 耳を澄ます。しかし屋敷は静まり返ったままだ。気のせいだったらしい。

「……便所いこ」

 ベッドから下りると、部屋を出た。
 用を足し終える頃にはオレの意識もはっきりしていた。

 相変わらず、屋敷の中はしんと冷え切っている。

 時折、壁掛けの照明の周りを飛んでいた羽虫がロウソクの炎に飛び込んで、ジッと音を立てた。
 窓へと視線を移せば、天空にはまん丸の月が輝いている。

 ああ、今夜は満月か。

 そんなことを思いつつ、オレの足は坊ちゃんの部屋に向かった。
 物音を空耳だったと思い切れなかったのと、
 満月の日に近くなると、ユリアの手首の傷が増えることを思い出して、心配になったからだ。

 こういうのを、虫の知らせ、と言うのだろう。

「……なんだこれ」

 やがて坊ちゃんの部屋の前に着いたオレは、歩みを止めた。
 扉前、廊下の絨毯の上に黒い小さな影が落ちている。しゃがみこんで、指を這わせたオレは息を飲んだ。

「血……?」

 生乾きの血だ。

 オレはすぐさま部屋の扉をノックした。

「ユリア。おい! ユリアッ!?」

 返事はない。無礼を承知で、扉を開ける。
 部屋には何の気配もなかった。オレは灯りを入れた。

「何、してんだよ」

 ベッドのシーツに赤い血が広がっているのを見て、オレは踵を返す。

「ユリア……何処に……」

 目を凝らして見れば、廊下に点々と血の痕が続いていた。
 オレは走り出した。

* * *

 自分を傷付ける理由には、
 賞罰的意味と確認作業的意味があると傭兵時代に聞いた覚えがある。

 傭兵をしていた頃、よく自分を斬りつけている奴がいた。
 自殺志願者かと思っていたら、「生きるため」だという。
 多かれ少なかれ、狂っていないと生きるのは難しい、だから現実と折り合いを付けるために切るんだと。そうすると気持ちが楽になるんだと。
 オレには難しいことは分からない。でも、一つだけ理解できたことがある。

 折り合いを付け損ねて、死んでしまうこともあるってことだ。

 戦場から帰る道すがら、ソイツはいつものようにナイフで手首を切って死んだ。
 エスカレートしているのはみんな知っていた。でも、まさか死ぬだなんて思っていなかった。本人も死ぬ気なんてなくて、ただ折り合いを付け損ねただけだ。

 でも死んだ。

 オレがユリアの傷に気付かないふりをしてきたのは、あの傷が寂しさからくるものだと思っていたからだ。
 彼を癒やすことができれば、きっと止まると予想を立てていた。無理に踏み入って悪化させるわけにはいかなかったし、彼をコントロールしてしまうのも嫌だった。

 けれど、もう、形振り構ってはいられない。

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