人狼坊ちゃんの世話係

ユリアと獣(1)

 隣室が騒がしくて、オレは瞼を持ち上げた。

 雨の香りがする。
 カーテンの向こう側は、うっすらと明るい。朝だ。

 眠気眼のまま廊下に出れば、
 見たこともないような、険しい表情のヴィンセントが
 乱暴に扉を開けて出てきた所だった。

 しかも、彼の片方の腕にはひょろりとした、
 白衣の中年男がしがみついている。

「待ちなさい! 絶対安静だと言っただろう!」

 白衣の男が悲鳴のような声を上げ、両足を突っ張った。
 しかし、巨漢のヴィンセントを止めることなんてできず、
 ズルズルと引き摺られている。

「お、おい、ヴィンセント? どうかしたのか?」

 普通でない様子に声をかければ、
 ヴィンセントでなく白衣の男がオレを振り返った。

「きみ、彼の知り合いかい!? 彼ねえ――」

「セシルがいなくなった」

 白衣の男の言葉を遮って、ヴィンセントが言った。
 その刹那、ざっと音を立てて血の気が引く。

 外はもう朝だった。
 セシルが散歩できるような時間帯ではない。

「捜してくる」

 踵を返せば、すぐ後にヴィンセントが続く。

「きみはダメだってば!
 少しは医者の話を聞いたらどうなんだい!?」

 医者?
 さすがに聞き捨てならず、オレは足を止めた。

「なんで、医者がここに?」

「宿屋の主人に呼ばれて来たんだ。
 彼ね、すぐに病院に行った方がいい。
 あんな量の血を吐くなんて、尋常じゃないんだ!」

「血って……」

 ヴィンセントを見やれば、彼は長い溜息をついた。
 いつもと変わった様子は見られない。少なくともオレには。
 彼は医者を見下ろすと、言った。

「あんたには感謝してる。さっきの薬のお陰でだいぶ楽になった。
 だが、大事な連れがいなくなったんだ。
 放ってはおけない」

「彼が探しに行ってくれると言っているんだ。
 ここは彼に任せて、せめて1日は安静にしていないと」

「1日なんて待っていられない。
 頼む、行かせてくれ。連れの命に関わることなんだ」

「命に関わるのは、きみも同じだよ」

 頭を下げたヴィンセントに、医者が眉根を寄せる。
 暫くの沈黙の後、医者は肺の中が空っぽになるほどの息をついて彼から手を離した。

「……しょうもないね。
 ぼくだって暇ではないから、1日中きみを見張っているわけにはいかないし。
 目を離せば、きみはさっさと行ってしまうんだろう」

「ありがとう」

 ひと言礼を告げて、ヴィンセントが走り出す。
 オレは戸惑いつつも彼の後を追った。

「おい、病気って……時間がないってのは、そういうことだったのかよ」

「……まあ、そうだ。だが、すぐに死ぬようなものじゃない。
 自分の体のことは、自分が一番良く分かっている」

 階段を駆け下り、宿屋の主人に声をかけた。
 訊けば、どうやらセシルは馬に乗って何処かへと出かけたらしい。

「馬? なんで、そんなもんに……」

 馬まで使って、一人で宿を出る理由が思いつかない。

「何か心当たりはないのか? 寝る前に話したこととか」

「アイツは酔っ払っていたし、特別な話は何も……」

「手掛かりなしか」

 その時、大きな地響きが起こった。
 店の外に出れば、雨の中、街の人たちが興奮した様子で森の方を指さしている。
 見れば、屋敷の方でもうもうと黒煙が立ち上り、
 それはまるで生きているかのように、暗い雨雲に滲んでいた。

 地滑りだと話している人々の声が聞こえてくる。

「セシル、屋敷に行ったのか……?」

 ヴィンセントの言葉に、オレは胸騒ぎを覚えた。
 ドォンと、再び轟音。
 大地が揺れて、森からたくさんの鳥の影が飛び立つ。

「オレは屋敷の様子を見に行く。
 あんたは?」

「俺も行こう。
 セシルが別の場所に居るならまだいい。
 だが、あそこに居るのなら、すぐに助ける必要がある」

-67p-