紙と水(3)
* * *
お店の中は、とてもエキゾチックだった。
昼間にも関わらず、室内は全体的に薄暗い。
天井からはぼんやりと輝く色鮮やかなランプがぶら下がり、壁にはどこの国の物かわからない、お面や抽象的な絵が飾られている。
腰丈の棚には箱の色が褪せたボードゲームが乱雑に突っ込まれていて、その横にはあまり見かけないような大型の漫画も置いてあった。
店内は10人入れるかどうかの狭さだ。
椅子やソファが壁伝いに並び、それぞれに中東を思わせるのクッションが置かれている。
それぞれの距離はとてつもなく狭かった。知らない人と隣同士で座るのを考えるとちょっと緊張する。
「誰もいないし、奥の大きいソファ座って~」
ニャン太さんに案内されて、僕と類さんは部屋の奥の真ん中の3人は座れそうなソファに腰掛けた。
類さんはゆったりと背もたれに身体を預けて長い足を組んだ。
それだけで彼は絵になる。
今日の類さんの服装は、右半分黒と左半分グレーのアシンメトリーなシャツで、それがまたこの場にマッチしていると思った。
異国情緒溢れる店内BGMが流れ出す。
僕は落ち着きなく辺りを見渡した。
正直、ニャン太さんのお店だから入れたけれど、ひとりだったら絶対にムリだっただろう。一見、怪しいし……あまりに僕の知る世界と違い過ぎる。
コータくんさんが店の外に置物や看板を出して、店前を掃除した。
ニャン太さんは店内にズラリと並んだ大きな花瓶のようなものをひとつ引っ張り出した。深い青と水色のマーブル模様の、不思議な形をした器具だ。
彼はゆっくりした動作で何やらセッティングし、20分くらいしてから器具から伸びる銀のホースを口にくわえた。
ボコボコと瓶の中の水が鳴る。
彼は何度か煙を吹かせてから、それを僕らの前まで持ってきてくれた。
「デンデンは類ちゃんとシェアね」
「シェア?」
「交代で吸うんだよ」
「な、なるほど」
聞けば、水タバコは交流のツールらしい。
中東ではミントティを片手に水タバコを回し飲みして、会話を楽しむのだそうだ。
類さんがホースを口にくわえる。
コポコポと器具の中の水が長いこと鳴り、やがて彼はゆるりと煙を吐き出した。
くゆる白い煙がふわりと天井に伸びて、白くなった視界が徐々に晴れていく。
退廃的で、なんだかとても幻想的な情景だ。
「……旨いな」と呟いてから、彼は僕にホースを差し出した。
「伝も吸うだろ?」
「い……いただきます……」
僕はおずおずとそれを受け取った。
生まれて初めてのタバコだった。
もう成人しているのに悪いことをするような気持ちになるのは何故だろう?
恐る恐る僕はホースを加える。
「?」
吸ったけど、水の音はしない。
味もよくわからない。
戸惑っていると類さんが笑った。
「もっと強く吸わないと」
「わ、わかりました」
僕は心を奮い立たせると、思い切り吸い込んでみた。
コポッコポコポコポッと水が小気味良い音を立て、口の中に煙が広がる。
それから僕は大きく咽せた。
「ゲホッ、ゴホッ!」
「ゆっくりゆっくりだよ、デンデン」
ニャン太さんが隣の椅子に腰を下ろすと言った。
「煙を味わうってイメージして。吸ったら、肺に入れようとしないで、大きく口を開けてもわーんって吐き出すんだよ」
頷くと、先ほどよりも弱めに吸い込む。
それから言われた通りに煙を舌の上で転がし、そろそろと吐き出した。
甘く爽やかなリンゴのフレーバーが口の中に広がり、もわんっと目の前に煙のスクリーンができる。
「そうそう、上手」
ニャン太さんがニコリと笑う。
僕は目を瞬かせた。タバコってもっと苦いイメージがあったけれど、これは……なんだかとても爽やかだ。
「どうだ? 旨いだろ」
「は、はい……」
ニャン太さんのまとう甘くて爽やかな香りそのままだった。
「美味しい時は、オイシーシャ!で」
「お、おいしーしゃ?」
「水タバコのことシーシャって言うんだよ。ペルシャ語のガラスが起源って言われてる」
小首を傾げれば、類さんが教えてくれた。
「へえ……」
「覚えておいた方がいいっすよ、オイシーシャ」と、店内に戻ってきたコータくんさんが言った。
「世界各国で使われてる暗号です。うちの店で言うと、特別なエレベーターに乗れます。行き先はイルミナティの日本支部です」
「……う、ウソですよね?」
「コウくんの話はほとんど嘘だよ」
と、ニャン太さんが肩を竦めるのに、
「でも、たまにホントっす」
コータくんさんがテキトーな感じで応酬する。
「僕も吸っていい?」とニャン太さん。
「もちろんです」
僕はあたふたとホースを渡した。
彼は慣れた様子でそれを口にくわえると、ゆっくりと煙を吸った。
再びコポコポと音。
やがて、彼は少し顎を上向けポッと大きな煙の輪っかを吐き出す。
くっきりとした煙の形に僕は驚いた。
「シーシャのコツは焦らないこと。一気に煙を吸おうとすると、フレーバーのとこの温度が下がってますます煙が出なくなっちゃうんだよ」
それから僕らは言葉少なに、水タバコを楽しんだ。
不思議な感覚だった。
なんだかこの空間だけ時間が止まっているようだ。外の喧騒がとても遠くに聞こえる。
身体から力が抜けて、心がフニャッとするような……
中東の地域で交流のツールに使われている理由がわかった気がした。不思議と素直な気持ちに、というか、自然体になれるから、一緒に過ごす相手と深く知り合えそうだ。
「ちょっと怖かったんですけど……いいですね、水タバコ」
ポツリと呟けば、ニャン太さんが苦笑をこぼした。
「そう言って貰えると嬉しいよ♪ まあ、身体には良くないんだけどね」
「えっ、そうなんですか!?」
「紙タバコよりかは少ないけど、タールもニコチンも入ってるから」
爽やかな味だったから、てっきりそういうのは入ってないかと思っていた。
「で、でも、美味しいです。それに、凄くリラックスできるというか、なんだかぼんやりして……」
「それ酸欠だな」と類さん。
「え!?」
「外で深呼吸しましょう」
すかさずコータくんさんに手を引っぱられ僕は外に連れ出された。
……類さんたちみたいにカッコ良く吸えるようになるには、まだ時間がかかりそうだ。
* * *
1時間くらいして、類さんとニャン太さんは席を立った。
「じゃあ、そろそろボク行くけど……お店のことよろしくね!」
「はい」
「じゃあ、また夜にな」
類さんがちゅっと僕のこめかみにキスを落として、ニャン太さんと一緒に店を出ていく。
僕はコータくんさんとふたりになった。
開店から2時間くらい経っていたが、まだ店にはお客さんの姿はひとりもない。