ファミリア・ラプソディア

バカと恋わずらい(7)

* * *

 翌日、バイトを終えるとニャン太さんから連絡が入っていた。
 どうやら類さんとイサミさんのお店で飲むらしい。一緒にどうかというお誘いだった。
 僕はふたつ返事をして、お店に向かった。

「あっ、デンデーン! こっちこっち!! バイトお疲れ~!」

 賑わうお店に入りいつものカウンター席を見やれば、こちらに気付いたニャン太さんが大きく手を振った。
 足早に向かえば、ニャン太さんは席をひとつ右にズレてくれる。
 ふたりの間に腰を下ろせば、彼らは僕との距離を縮めるように身体を寄せた。

「何飲む?」と、類さん。

「空きっ腹なので軽めのお願いします」

「フードもどう? サービスしちゃうわよ~」

 イサミさんがお酒を作りながら言う。

「じゃあ、マルゲリータのピザください」

「マルゲリータね。わかったわ」

 イサミさんは僕にグラスを差し出してから、裏方のスタッフさんに注文を飛ばした。

「それじゃデンデンも来たし、またまたカンパーイ!」

 ニャン太さんが、半分飲みかけたグラスを掲げ、僕のお酒に軽くぶつける。

「後でソウちゃんも来るって」

「帝人さんは?」

「朝まで仕事」

 類さんがツマミのナッツを口に放りながら答える。
 そんな他愛もない話をしていると、イサミさんが不思議そうに言った。

「なんだかふたりとも、伝ちゃんにベッタリじゃないですか?」

 確かに、いつもよりも距離が近い気がする。
 と、類さんがフッと吐息をこぼした。

「マーキングしてるんだよ」

「ねー」

 ニャン太さんが楽しそうに同意する。

「あら。何かあったんですか?」

「んー? デンデンモテるからさ。変な虫付かないようにってだけ」

「全く心当たりないんですけど……」

「気付いていないだけじゃなくて?」

 イサミさんが問いを重ねるのに、僕は肩をすくめた。

「なにもありませんよ。いつも通りです」

 相変わらず大学でもバイトでも、友人らしい友人もいないし、モテからは程遠い。会話と言えば、事務連絡だけだ。
 かろうじて変化と言えば昨日、将臣と食事をしたくらいでそれこそモテとは対極にある時間だった。ニャン太さんたちがなんでモテるなんて言うのか謎過ぎる。

「そうなの? 伝ちゃんちょっと雰囲気変わったから、モテ期きたのかと思ったけど」

「変わりました、僕?」

「変わったわよ~。表情が明るくなったし。お肌もプリプリしてる」

 そこで一旦、言葉を切ってからイサミさんはウフフと笑った。

「毎晩、可愛がってもらってるのね~って」

「まっ、毎晩じゃないですからっ!」

 飲みかけてたお酒を噴きそうになる。
 すると彼は長いマツゲをバシバシと瞬いた。

「ンマッ、可愛がって貰ってるのは否定しないのね」

 僕は一文字に唇を引き結んだ。
 その時、類さんに脇腹をくすぐられたて「ひゃひっ」と変な声が漏れ出た。

「る、る、類さっ……」

「事実だもんな?」と類さんが顔を覗き込んできて、

「事実だもんね」と、ニャン太さんが腕に絡みついてくる。

 僕は何も言えなくなって視線をグラスに落とした。

「というか、まさに今モテモテじゃないのよ」

「た、確かに……」

 イサミさんの指摘に僕は頷いた。
 まぁ、ニャン太さんが好きなのは類さんだけど……

 イサミさんが別のお客さんに呼ばれて、姿を消してもふたりはくっついたままだった。

 僕はだんだん落ち着かない気持ちになってくる。
 ニャン太さんはいつも通りだとして、類さんは少し様子が変だ。やっぱり昨日のことが原因なのだろうか。

 ちらりと類さんを見れば、思ったよりも整った顔が近くにあった。
 長い睫が影を落とし、薄茶色の瞳をかげらせている。

 僕はボッと顔が熱くなるのを感じた。

 ふいに昨晩のことが脳裏を過ったからだ。
 羞恥心を思い出して、転げまわりたい衝動に駆られた。

「どうした、伝?」

 類さんが小首を傾げ、グラスに触れていた手を移動させて僕の前髪を意味ありげに持ち上げた。

「な、何もないです……」

 どきまぎしながら否定すれば、彼は挑発的に目を細めた。

「ふぅん?」

 束の間、沈黙が落ちる。
 と、類さんは僕の頭を抱き寄せた。かと思うと、

「…………昨日、気持ち良かったよな?」

 突然そんなことを囁いて、ふぅっと耳朶に吐息を吹きかけてきた。

「……っ!」

 僕は咄嗟に席を立ち上がった。

 まずい。  まずい、まずい、まずい……!

「……す、すみません。ちょっとお手洗いに行って来ます」

 作り笑いを貼り付け、トイレに駆け込む。

 僕はどうかしている。……本当に、どうかしている。
 吐息が耳を掠めただけで下半身が反応してしまうだなんて……!

□ ■ □

 前屈み気味に席を立った伝の背を見送りながら、寧太は口を開いた。

「あんまりデンデン困らせちゃダメだよ」

 それに類はクスクス笑いながら、お酒を仰ぐ。

「分かってんだけどさ。つい、な……ホント、可愛くて」

「気持ちはわかるけどねー」

 寧太はナッツをつまんで口に放った。

 会話の合間を縫うように、店内のBGMが変わる。
 ふたりはなんとなしに、ユーロビート系の曲に耳を傾ける。

 それから、ふたりはチラリと背後を振り返った。
 少し離れた席に、昨日、伝と食事をしていた『オトモダチ』が座っている。
 彼は先ほどからチラチラと類たちを見ていた。

「……見てるねぇ」

「見てるなぁ。……あれ、ホントに友だちか?」

「少なくともデンデンにとっては友だち以下だよ。昨日、追っかけてわかったでしょ。もう全然好きとかないって」

 と、寧太が笑う。

「まあ、そうな」

 類は肩をすくめるとグラスに口を付けた。
 それから近くのスタッフにおかわりを頼むと、言葉少なにナッツをつまむ。

 そんな彼の様子に、寧太はポツリと尋ねた。

「……不安?」

 類の指からナッツが皿の上に落ちる。
 彼はゆっくりとそれをつまみ直して食べた。

「うん。あの男が、ってわけじゃなくて……全体的にさ。ほら、伝は違うだろ?」

「違う? どゆこと?」

「俺たちとは事情が違うって、初めて伝のことマンションに連れ帰った時に帝人から言われたんだよ。それ、今更ながらに理解したっつーか」

「関係ないよ。デンデンは類ちゃんにゾッコンだし」

「伝もそう言ってた」

「ほらね」

「だけどさ……怖いんだよ。失うんじゃねぇかって。こんな風に思ったことなかったから、どうしていいかわかんなくなった」

 運ばれてきたお酒のおかわりを、類は笑顔で受け取った。
 ついで、グラスの表面の水滴を指先でなぞった。

「……んで、お前らの気持ちにめちゃくちゃ、あぐらかいてたんだなって気付いたわけ」

「どこが? 類ちゃん、ボクたちのこと大事にしてくれてるじゃん」

「お前らは絶対に離れないだなんて思うのは、あぐらだろ」

「信頼でしょ」

「違うよ。離れねぇ理由があると思ってるからだ」

 類の真っ直ぐな視線に、寧太は息を飲む。

「お前は、俺に罪悪感を持ってる。……だから安心してるんだよ。俺のこと見捨てたりしないだろうって」

 類は視線をグラスに戻した。

「類ちゃん……」

「……なぁ、ニャン太。スキって、怖いな」

 新しい紙のコースターにシミができる頃、類はポツリと呟いた。

「相手の気持ちをどうこうするなんてムリだから、いちいち確認したくなる」

「ボクは……ボクらとデンデンに違いがあるとは思ってない。あのことがなくたって、ボクはずっと一緒にいたよ」

 そう言って、寧太は類のグラスを握る手に手を重ねた。

「キミをスキだから一緒にいるんだよ。他の理由なんてない。類ちゃんは違うの……?」

 類はくしゃりと顔を歪ませる。

「俺は……」

 それから深く項垂れると、呻くように言った。

「好き、だけじゃない」

 類は寧太の手を握るようにした。
 それに寧太は手をくるりとひるがえして、指を絡めるようにした。

「支配したりされたりする喜びっていうのかな。そういうほの暗い感情がある。……お前はねぇの?」

「……考えたことなかったよ」

 そう答えると、寧太は絡めた手に少しだけ力を込めた。

 どちらからともなく、ふたりは身体を寄せた。

 グラスの表面を水滴が流れ落ちる。
 溶けた氷がカラリと音を立てる。

「ごめんな、巻き込んで」

「あやまらないでよ、類ちゃん」

 寧太は弱々しく首を振った。
 何度か唇を開閉させて、それから言葉を絞り出す。

「ボクはさ……もしも時間を巻き戻せたとしても同じ事をすると思うんだ。そのせいでキミとの関係が歪になるってわかってても」

 一度、言葉を切ると彼は吐息を逃がした。
 続いて、絡めた親指を撫でるように動かす。

「ボクは……何度だってキミのこと壊すよ。その先に幸せがあるって信じてるから」

 顔を上げた寧太はパッと顔を輝かせた。

「お陰でデンデンに会えたわけだしね。……みんなで幸せになろ」

 類は目を瞬かせる。
 やがて眩いものを前にした時のように目を細めると、頷いた。

* * *

「……はぁ。やっと落ち着いてきた」

 僕はトイレの個室で扉に寄りかかり天井を見上げて溜息をついた。
 外で身体が反応するだなんて信じられないし、情けない。

 類さんと出会ってから僕は少しおかしい。
 ちょっと思い出しただけで、身体が熱くなってしまう。

 個室から出て、手を洗った。
 その時、扉が勢い良く開いた。僕は鏡越しにやってきた人物を見てギョッとする。

「伝!」

「ま、将臣……!?」

 手を拭くのも忘れて、僕は彼を振り返った。
 なんでここに?
 あ、いや、彼もこの店によく来ていたから別段不思議なことではないんだが……

 そんなことを考えていると、将臣はどこか真剣な様子で近付いてきた。

「な、なに、どうしたの」

「アイツ、さっき金髪とイチャついてた」

 開口一番、彼はそう言った。

「は?」

 言葉の意味がわからず、きょとんとすれば彼は鼻息荒く続ける。

「だから! お前、やっぱりアイツに弄ばれてたんだよ!」

 つまり彼は、類さんがニャン太さんとも仲良くしているのを見て忠告をしにきたのだろう。
 僕はうんざりして溜息をつく。

「……弄ばれてないよ」

「そう思いたいだけだって。あのふたり、ぜってーヤッてるよ!」

 ああ、ホントに……
 粗雑な言い方に、こめかみがヒクつく。
僕は努めて冷静に呼吸を繰り返すと、ポケットからハンカチを取り出して濡れた手を拭った。

「……わざわざトイレまで追いかけてきて言うことがそれって、どうかしてるんじゃないかな」

「なっ……! 俺は、お前のこと心配してわざわざ教えてやってんだろうが!」

「教えてどうするんだよ。誰も頼んでないし、僕が誰と付き合おうと将臣には関係ないことだろ」

 さっさと類さんのところに戻ろう。
 こんなところでコイツと会ったなんて知られたら、また彼をイヤな気持ちにさせてしまう。

 僕は将臣の横を通り過ぎて、トイレを出ていこうとした。
 と、腕を掴まれ引き留められた。

「……離してよ。君と話すことはないってば」

「関係なら、ある」

 唸るような声が落ちる。
 訝しげにすれば、彼は怒ったように顔を赤くした。

「俺は……お、お前のことが好きだから」

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