ファミリア・ラプソディア

バカと恋わずらい(4)

* * *    うんざりした気持ちでマンションに戻った僕を、類さんがわざわざ玄関まで出迎えてくれた。

「早かったな。遅くなると思ってた」

「話し込むほど仲が良い友達ってわけではないので」

 靴を脱ぎながら答える。

「ふぅん?」

 玄関に上がると、類さんは僕の方へ手を伸ばした。
 さわさわと指先が頬を撫で、次いで髪に触れる。それから、彼は僕の唇を親指の腹でなぞった。

「ん……類さん?」

「仲は良くないのに、飯は食うんだ?」

「そ、それは……」

「会ってたのって、前に好きだった友だち?」

 小首を傾げる彼に、僕はギクリと身体を強張らせる。
 そんな僕の反応を目にして、彼は肩を竦めた。

「いつもと様子が違ったからさ。なんとなくそう思ったんだけど」

「…………ご、ごめんなさい。あ、いや、普通にご飯食べてきただけなんですけどっ」

「わかってるよ。声かけられて断れなかったんだろ?」

「は、はい……。僕の勝手で距離を取ったので、無下にするのは申し訳ないと……」

 そんな気遣いこそ無駄だったわけだが。

「ったく、あんたらしいよ」

 類さんはケラケラ笑って踵を返す。
 僕はその後を慌てて追った。と、

「なあ、伝はさ……そいつのこと、まだ好きだったりする?」

 類さんが前を向いたままポツリと問う。
 僕はブンブンと顔を左右に振った。

「ないですよ。ありえません。僕は類さんが好きです」

「ゾッコン?」

「はい」

「ふはっ……!」

 お腹を抱えて笑ってから、彼は僕の方を向く。
 僕を抱きよせ、髪をわしゃわしゃと掻き回しながらしきりに頷いた。

「うん、うん……わかってたよ」

 今更ながら、僕は自分の行動があまりにも浅はかだったと思い至った。
 もしも類さんが、僕に隠れて昔好きだった人に逢いに行ったとしたら……不安になるだろう。
 それはたぶん彼も同じだ。全く考えもしなかった自分は、あまりにも思いやりがない。

「あの、類さん……本当にごめんなさい」

「いいって。ってか、そんなあやまると、ナニかあったんじゃねぇかってむしろ疑わしくなるけど」

「や、本当に何もなくてですねっ……!」

「ないものをないって証明するのは難しいぞー」

 た、確かに……!

 今の一言は確実にいらなかった。
 藪蛇……いや、ヘビはいないんだが……
 サァッと血の気が引くのを感じる。
 そんな僕に、類さんはますます笑った。

 ……からかわれている。

 僕は内心胸を撫で下ろした。
 良かった、疑われているわけじゃなくて。

「おかえり~、デンデン!」

 リビングに着くと、ニャン太さんが飛びついてきた。

「ただいま戻りました」

「アイスあるけど」と、ソファに座っていたソウさんが首だけ巡らせて言う。

「いただきます」

「先にシャワー浴びておいでよ。コーヒー淹れておくから」

 そう言って、帝人さんがソファを立った。

「はい、ありがとうございます」

 僕は自室に荷物を放ると、急いで浴室に向かった。

* * *

 その日の夜。
 ベッドでゴロゴロしながら本を読んでいると部屋の扉が鳴った。

「はい?」

 顔を出せば、類さんが立っていた。

「類さん……どうかしました?」

「夜に恋人が訪ねてくる理由なんて、そんなないと思うけど?」

「そっ、それは……」

 言外の意味に鼓動が高鳴る。

「中入っていい?」

「……もちろんです」

 僕はちょっと仰々しい態度で彼を招き入れた。

 類さんは慣れた様子でベッドに腰を下ろした。次いで、ポンポンと隣を叩く。
 僕はおずおずとその横に座った。

「なんでそんな緊張してんの」

「き、緊張なんてしてませんよ?」

 咄嗟に答えた声は、上擦っている。
 僕は恥ずかしくて俯いた。 

 これは緊張じゃない。……期待だ。

「……あーもー……参った」

 類さんは小さく噴き出すとゴロンとベッドに寝転がった。

「る、類さん?」

「する?」

 挑発的な眼差しに一気に顔が熱くなる。
 手を掴まれた。躊躇っていると引っ張られ、僕は彼の上に倒れ込んだ。

「俺はしたいよ」

 耳朶に囁かれた言葉に、ゾクゾクと身体が震える。

 僕は類さんを見下ろした。
 薄い唇に吸い込まれそうになる。と、

「…………って、ちょっと余裕なさ過ぎだな、俺」

 彼は口付けを避けるようにして、僕を抱きしめた。   「あの……」

「悪い。あんたが俺のこと大好きなのは知ってるのに……ちょっと怖くなっちまって」

 目を瞬かせる。
 彼は僕の背を撫でながら続けた。

「どうやって繋ぎ止めればいいのか、わかんねぇから。ほら、あんたにとっては、恋人が俺じゃなきゃダメな理由はないだろ?」

「僕は類さんがいいです」

「なんで?」

「それは……だって、好きですから」

「なんで好き?」

 問いが重なる。僕も彼の背に手を回した。
 ほっそりとしながらも筋肉質な触り心地にドキドキする。

「類さんの全部が好きですよ。ひとつひとつ挙げたらキリがないくらい……でも、好きに理由って必要ですか?」

「感情って変わるだろ。その気持ちが永遠に続くかどうかなんて誰にもわかんねぇじゃん」

 そう言った彼の表情は分からない。
 類さんは僕の項に顔を押しつけると、ちゅっと肌を吸った。

「……それに俺には伝に嫌われる理由があるしさ」

「ないですよ」

「あるよ。自分のことは独占させないのに、こうして俺はあんたのことを独り占めしようとしてる。欲深くて、不誠実だ」

「そんなの……わかってて僕はここにいるんです。だから嫌う理由にはなりません」

 僕は少しだけ身体を起こすと、類さんの顔を覗き込む。 

「類さん……ごめんなさい。今日のこと……」

 前に好きだった人と食事をするだなんて、話す必要はないと思っていた。何もやましいことはないし、僕の中ではとっくに終わっていたことだからだ。
 でも、黙っていていいことでもなかった。

 僕は、類さんを不安にさせてしまった。

「あなたがどう思うか、僕は全然考えていませんでした。自分がされたら不安に思うのに、そういう想像すらできていませんでした。……ごめんなさい」

 いつまで片想いしているつもりだったんだろう。
 類さんは、ちゃんと僕のことを好きだと言ってくれているのに。

「……正直、俺も戸惑ってる」

 そう呟いて、類さんは僕の眼鏡を外すとベッドサイドに置いた。
 次いで僕の頬を両手で包み込む。

「好きだけじゃ寄る辺ない、っていうか。もっと……伝と確実な繋がりが欲しくなった、っていうか」

「ニャン太さんたちには、あるんですか?」

 問えば、一瞬、言葉に詰まったように沈黙が落ちる。
 彼はスッと目線を逸らした。

「……あるよ。好き以外にも」

「じゃあ、僕たちの間にも作りましょう」

 言うと、類さんは目を見開いた。

「もちろん今日みたいなことはしないって神様にかけて誓います。2度とあなたのこと不安にさせません。でも、そういうことがなくても、その繋がりがあったら、もっとステキですよね」

「ステキ……?」

 好きよりも強い何かなんて考えもつかないけれど、たくさんの藁でなった縄の方が強く固いように、関係性だっていろんな何かを組み合わせた方がいい……と、思ったのだ。でも。

「……好きよりもステキなもんなんてねぇよ」

 類さんは首を振った。

「え、でも、さっき……」

「やっぱ、いらない。あんたとは……このまま、スキだけがいいや」

 ちゅ、と触れるだけのキスを仕掛けてから、彼は口の端を持ち上げた。

「俺が好きで、あんたが好きで、だから一緒にいる。それ以上もそれ以下も理由なんていらない。……振られたらそこまでだよな」

「振りませんよ! むしろ、その可能性があるのは僕の方です。……頑張ってあなたに見合う男になりますから、だから、長い目で付き合ってくださいね……」

「あんたは俺に幻想を抱き過ぎだよ。俺は大した男じゃない。たまたま小説が当たって金になったけど、それがなければ生活能力皆無のクズだ」

「あなたがクズなら、僕はどうなっちゃうんですか」

「どうも。健全で真面目で優しい青年のまま」

「あなただって優しいですよ。それに魅力的で柔軟で、とびきりスマートです」

 類さんの表情は見えない。触れ合った部分が温かくて、心臓の鼓動がふたつ重なっていく。
 僕はすがるように彼の頬に頬を寄せた。 

「大好きなんですよ、僕……類さんのこと……。あなたを繋ぎ止めるためなら、何だってしちゃうくらいに」   「……そういうこと軽々しく言うなっての。試したくなるぞ?」

「どうぞ。試してください」

 間髪入れずに応えれば、フッと吐息が落ちる。
 類さんは僕の前髪を掻き上げた。

「……あんたホントに変わったな。ちょっと妬けるわ」

「え?」

「めきめき格好良くなっていってる」

「そ、そうですか? そうだと嬉しいで――」

 視界が反転した。
 天井。それから、見下ろしてくる類さんの笑顔。

 切れ長の目がきらりと光る。

「る、類さん……?」

「確認させてよ。あんたがどんくらいオレのこと好きか……一晩かけて」

 熱い唇が重なった。 

「試していいんだろ?」

-76p-
Top