バカと恋わずらい(3)
将臣は店中に響き渡る声を上げた。
「おまっ、好きなヤツはどうしたんだよ!? 振られたからって、そんなコロコロ変わるかフツー!?」
「それ、僕も思ったんだよ。付き合おうって決めた時、この気持ちは寂しさのせいなんじゃないかって……でも、そんなことなかった。心からその人のこと好きだって思う」
類さんを想って、僕は小さく微笑んだ。
彼を思い浮かべるだけで胸の辺りが温かくなって、幸せな気持ちになれる。
ふと将臣の視線に気付いて、僕は表情を引き締めた。
彼はしばらく押し黙ってから、ポツリと問うた。
「……そいつ、男?」
息を飲む。
そんな僕に、彼はどこか怒ったように鼻を鳴らした。
「なに驚いた顔してんの。知ってたっつの」
僕は言葉を失った。
いつからだ?
いつから、バレていた?
それによっては彼が言った「キモい」の意味が違ってくる……
咄嗟にあやまろうとすれば、タイミング悪く店員さんがお酒のお代わりを持ってきた。彼は受け取ったそばから、それを一気に喉に流し込んだ。
ゴクリゴクリと喉を鳴らし深く息を吐く。
「……で? そいつどんなヤツなの」
「な、なに……?」
「付き合ってるヤツだよ」
「……僕がどんな人と付き合っていようが、将臣には関係ないと思うけど」
告げれば、彼は唇を引き結んだ。それから無心でクシの肉を取り外し始める。
やがて、それを僕の皿の上に取り分けながら言った。
「……お前、恋愛の話とかできる友達いないじゃん。だから聞いてやるって言ってんの」
別に悩んでいるわけでもないし、ノロケたいなら同じく類さんのことを好きなニャン太さんやソウさん、帝人さんがいる。
わざわざ彼に話す理由はない。
「間に合ってるよ」
「そんなに教えるの嫌がるってことは……人に言えないようなヤツなわけ? 凄いブサイクだとか」
「はぁっ……!?」
「振られた寂しさにつけ込むようなヤツだもんな。顔も性格も悪いに決まってる」
将臣は得心したようにニヤニヤ笑った。
僕は怒りで顔が熱くなるのを感じた。
「そんなことないよ……僕にはもったいないくらいステキな人だ」
「どーせオッサンだろ」
「違う。3つしか違わない」
「男ってことは、もしかして……イサミちゃんの店で声かけられたのか?」
「……そうだけど。だから、何」
さっきから質問攻めだ。
前は自分の話しかしなかったのに、何か思うことでもあるんだろうか。
自然と警戒心が高まって、手を握りしめる。
将臣は少しの間、思案げにしてから口を開いた。
「……もしかしてさ。髪、赤いヤツ?」
「え――」
予想外の言葉に、僕は目を瞬いた。
「将臣、類さんのこと知ってるの?」
「……いや、知ってるってほどじゃねぇよ。でも顔と名前くらいはな。ほら、あの人……目立つし。店通ってれば覚える」
僕は類さんに声をかけられるまで、全く気付いていなかったけど。
……本当に、僕はあの日まで将臣のことしか見えていなかったのだと自分にちょっと呆れてしまう。
と、彼はテーブルの上で手を組むと、何度目かの溜息をついた。
「ってか、あれはお前のこと狙ってたのか。ちょくちょく見てんなぁとは思ってたんだよ……でも……」
言葉の後半は、口の中でもごもごと呟いていたせいでよく聞き取れなかった。
「狙ってたって……そんな言い方ないだろ」
「狙ってたろ。現に今、付き合ってる」
「まあ、そうだけど」
何かがよっぽどショックだったのか、彼はしきりに組んだ手に額を押しつけると「あ-」とか「うー」とか唸っていた。
「……お前さ、騙されてねぇ? ほら、マルチとか宗教とか」
ハッとして顔を上げたかと思えば、そんなことを言う。
「ないない」
類さんに声をかけられた時は、僕も同じことを思ったけど。
「都合のいい恋人扱いされてんじゃねぇの。ヤりたい時にだけ呼び出されてるとか」
「そういう人じゃないよ。というか今、一緒に住んでるし」
「え、同棲してんの。一人暮らしって、そういう……?」
「う、うん……」
ちょっと気恥ずかしく思いつつ、僕は肯定した。
少し時間は前後するが、ほぼ事実だ。
と、彼は口の端を引き攣らせた。
「い、いつから同棲してんの」
「ええと、7月から……」
「しっ、7月!? 付き合ったのいつだよ!?」
「……6月」
「いやそれ、おかしいだろ!? おかしいだろッ!?」
将臣がテーブルを叩き、皿が僅かに浮いた。
「2回も言わなくていいよ。別におかしくないし。一緒にいたいと思ったんだ、だから……っ」
「だから何だよ! お前、自分で言ってておかしく思わねぇの? それが一番の問題なんだけど!?」
「……何が問題なんだよ」
「伝、お前はもっと慎重なやつだったじゃねぇか! 石橋叩いて壊すくらいの。それが何してんだよ? 恋は盲目とかレベルじゃねぇだろ!」
「こういうのは勢いって聞いたし」
「そーゆーとこが! お前らしくねぇつってんの!!」
食い気味で言われた。
「ウジウジ悩んでるのがお前だろ? んでタイミング逃してウダウダするまでセットだろ!? 何らしくないことしてんだよ!」
「か、変わったんだよ」
「ますます怪しい。お前、洗脳されてない? 知らないうちに借金の連帯保証人とかにされてない!? お前、保険金もかけられてんぞ!?」
「かけられてないってば!」
「じゃあ、ヘンタイ的なセックスさせられてんだな!? そうだろ!?」
「変な想像をするなっ!」
ギョッと隣の席の人が僕らを見た。
僕は握った拳を振るわせる。もうこのお店には来られない……今度、類さんと一緒に来ようと思ってたのに。
将臣はゼェゼェ肩で息をすると、焼き鳥の欠片を口に放った。
続いて、憮然とした様子で言った。
「……今日、これからお前んち行くわ」
「は?」
「心配だから」
「絶対にイヤだよ! なんでそんな疑ってくるような人を好きな人に会わせなきゃならないんだ!」
「お前に人見る目がないからだよ。あの人、どう っから見てもヤバいだろ」
「見る目ないのは将臣の方だろ!」
言いがかりも大概にして欲しい。
睨み合えば、目を逸らしたのは将臣の方だった。
「オレだってさ、初めてあの人見た時はすげーキレイな顔してんなーとか思ったけど。表情がなんか暗いっつーか。笑ってても全然目が笑ってないっつーか。あの人、絶対まともじゃねぇよ」
その言葉を聞いた瞬間、なんとか抑えていた怒りのバロメーターが振り切れる。
僕は握りこぶしをテーブルに押しつけた。
「いい加減にしろ! なんなんだよ、さっきから! 人の恋人に対して言っていいことと悪いことがあるだろ!?」
「で、伝……?」
将臣が戸惑ったように僕を見る。
……ああ、そうか。彼の前でこんな風に怒ったのは初めてなんだ。
「不愉快だ。もう帰る」
鞄を手に僕は立ち上がった。不思議とスッキリしていた。もう身体にまとわりつく、あの嫌なモヤのようなものは感じない。
「ま、待てよ!」
腕を掴まれる。
僕はキッと将臣を見下ろした。
彼は一瞬怯んだように言葉を飲んだが、直ぐに口を開いた。
「……に、肉、全部残して帰るつもりか!?」
頬が引き攣る。
僕は束の間目を閉じて苛立ちを飲み込むと、席に戻った。
無言で胃の限界まで食事を詰め込み、それから「ごちそうさまでした」と手を合わせた。
「君とはもう2度と会わないから」
言って、僕はザッと計算した料金の半分をテーブルに叩き付けると今度こそ席を立った。
店の外に出ると、夜風が颯爽と頬を撫でた。
僕は溜息をひとつこぼすと、うんざりした気持ちを振り払うように早足で駅へと向かう。
恋は盲目とはよく言ったものだ。
なんで、あんなヤツのことがスキだったんだろう……!
過去の自分を思って、僕はグシャリと髪をかき回した。