ホラーとヤモリ(3)
* * *
「類」と、お風呂場からソウさんの声が聞こえる。
それに「いるよ」と類さんが律儀に応える。
「……類、いるか?」
しばらくすると、またソウさんが呼ぶ。
「だから扉のとこにいるって言ってんだろ」
そんな同じようなやり取りがリビングまで聞こえていた。
「ソウちゃんがあんな風に怖がってるの初めて見た」
ニャン太さんがしみじみと言う。
「確かにね。ソウから何か求めることってないから」
帝人さんも意外そうにしていた。
「思ってたより、ボクらってお互いのこと知らないのかもね~」
そう言って、ゴロリとニャン太さんがソファに寝転がる。
僕はカフェラテをすすると小首を傾げた。
「そんなこともないと思いますけど……」
苦手な映画のジャンルを知らなかったことがたまたまなのではないだろうか。
「ほら、ボクらってそこそこ付き合い長いでしょ? だから知ってるって思い込んじゃってるトコあると思うんだよね」
「うん。改めて知ろうとはしていないから……。俺たちよりも伝くんの方が知ってるってこともあるかもしれないよ」
「そうですかね……」
確かに自分の親や兄のことを考えてみると、その通りかもしれない。生まれた時から一緒にいるから知っているつもりになっていたが、僕自身、秘密を抱えているわけで。
相手を理解するのには時間は必要なのだろうが、それだけじゃないということに僕はちょっと安堵する。
リビングの外に目線を向けた。
開け放たれた扉の向こうに、ちらりと赤髪が覗く。
みんなよりも10年分、僕は類さんのことを……みんなのことを知ることはできないと思っていたが、そんなこともなさそうだ。
「類」
「はいはい。今度はなんだよ」
「何かいる」と、ソウさんは続けた。
「何もいねぇよ。いる気がするだけだよ」
「類」
「気のせい気のせい」
どことなくソウさんの声色に変化があったような気がする。そう思ったのは帝人さんやニャン太さんも同じだったようで、僕らは顔を見合わせた。
「類……っ」
さっきよりも切羽詰まった、ソウさんの声。
「あぁ、もうっ、何もいねーっつってんだろ!」
類さんがちょっと面倒そうに声を上げる。それから扉の開閉音が続き……
「お前とはもう絶対ホラー観ねぇからな。まあ、観せたのは俺だけど――ぅうわぁあああああっ!?」
叫び声が聞こえたかと思えば、ドタドタと類さんがリビングに駆け込んできた。
「る、類さん? どうかしたんですか?」
床にへたり込む類さんに僕は駆け寄る。
「なに? 虫でもいた?」
ニャン太さんの無邪気な問いに、彼はブンブンと首を振った。
「ちがっ、虫じゃねぇっ!」
「虫じゃない?」
「違う、違う、風呂場の窓に……マジでヤバイやつが……っ」
「ひとつもわからないけど……」
帝人さんとニャン太さんがソファを立つ。
それから廊下を覗き込んで肩を竦めた。
「ソウ、何があったの――って、今は話はできなさそうだね」
脱衣所の前で、腰にタオルを巻いただけの姿でソウさんが座り込んでいる。
「どーせ虫でしょー」
「だから、ちげぇっつの! あんなでかい虫がいてたまるか!」
「あっ、Gなら僕も退治できますよ」
僕は浴室に向かうふたりを追った。
「意外~! デンデン、そゆの苦手だと思ってた!」
「実家が田舎なもので。家が古いから虫もネズミもいたんですよ」
「なるへそね~」
そんな軽口を交わしつつ脱衣所へ。
続いて開きっぱなしの浴室を覗き込んだ僕はギョッとして飛び退った。
「……わお。予想外に大きいのいたね」
「な、ななな、何ですかあれ!?」
「ヤモリ……かな?」と、冷静に帝人さん。
「いやいやいや、こんな大きなヤモリいるわけないじゃないですか!!」
窓に張り付いていたナニカ。
ワニのお腹のような……それは予想外に大きかった。僕の指先から肘くらいまである。
「たぶん隣の人が飼ってるペットとかじゃないかな。逃げたんだと思うよ」
「最近、ネットで似たような話題見たかも」
「あ……そういう……」
宇宙人か何かかと一瞬でも思ってしまった自分が恥ずかしくて、僕は口を引き結んだ。
「こういう時ってどこに連絡するか知ってる、帝人?」
「ええと、保健所? 警察……? いやその前に、管理人さんかな……」
帝人さんが連絡をして、ニャン太さんがひとまず捕獲を企てる。僕はそれを手伝った。
類さんはへたり込むソウさんをリビングにつれていくと、彼の濡れた身体を拭った。
「信じらんねぇ、あんなもん逃がすんじゃねぇよ……」と、彼はしきりに呟いていた。
* * *
ヤモリ事件を終えて、その日の夜。
ソウさんは類さんの部屋に枕を抱えて入っていった。
僕はと言えば、今更ながらに映画のことを思い出して、天井と睨み合っている。
ヤモリのことですっかり忘れていたのに、ベッドで横になった途端、あの気持ち悪い動きをする幽霊が瞼の裏に浮かび上がってきたのだ。
何度か寝ようとしたがムリだった。
部屋の角に暗い何かが淀んでいる気がする。気のせいだと頭ではわかっているが、気になる……
僕は水を飲みに部屋を出た。
キッチンからグラスを取り、ウォーターサーバーへ向かう。と、
「伝……? なんだよ、まだ起きてたのか」
類さんと鉢合わせた。
その後ろには背後霊のようにソウさんがくっついていた。……心臓に悪い。
「はい、喉が渇いてしまって。類さんもお水を飲みに?」
「いや……」
類さんが一瞬考えたように視線を彷徨わせる。それからポンッと手を打った。
「なあ、伝。今日、俺の部屋で寝てくれたりしねぇ?」
「はい?」
「コイツ、壁側も逆側もイヤだって眠らなくて」
そう言って、彼はちらりとソウさんを振り返ると困ったように頭をかいた。