海と月(2)
* * *
僕らはペンションで夕食を取った。
寝泊りする部屋は13畳ほどの和室で、障子で区切られた区画には小さなローテーブルとソファが置いてある。そこに座ると、窓の外に広がる海がよく見えた。
微かな冷房の音に波の音が重なって、とても風情がある。
「ここのペンション、露天風呂があるんだけど、部屋ごとに入れる時間が決まってるんだ」
布団を敷きながら、ニャン太さんが言った。
僕らは、お風呂の時間になるまでそれぞれダラダラと過ごした。
類さんは窓辺のテーブルで持ち込んだパソコンを開いて仕事を、帝人さんはその対面のソファで読書をしている。
ニャン太さんは布団に寝転がって携帯ゲーム、ソウさんはローカル番組を見ていた。僕もソウさんに倣ってぼんやりとテレビを眺める。
流れているバラエティ番組では、オススメご当地名産品が紹介されていた。
さっき夕飯で食べたサザエのつぼ焼きを始め、あじのなめろう、イセエビチップス、タコカレーと海産物が続々と登場するのを見ると、お腹がいっぱいにも関わらずちょっと気になってしまう。
うーん……どれも美味しそうだ。
「類はお風呂どうする?」
そんな帝人さんの声に時計を見やれば、気が付けばお風呂の時間になっていた。
「うーん……どうすっかな。帝人はどうする?」
「俺は部屋ので済ませようかと思ってるけど」
「じゃあ、俺もそうするわ。この仕事、さっさと送っちまいてぇ」
「じゃあ、ボクたち3人で露天風呂入ってくるね」
そう言って、ニャン太さんは入浴セットを鞄から引っ張り出した。
「ソウちゃん、デンデン、もう行けそう?」
準備万端のソウさんが頷く。
僕も慌てて荷物を手に立ち上がった。
「じゃ、お風呂にレッツゴ~!」
「類さん、お先に失礼します。頑張ってくださいね」
「サンキュ」
「いってらっしゃい。ごゆっくり」
帝人さんがヒラリと手を振る。その手には手袋がはめられていた。
* * *
ヒノキの匂いがほんのりと香る。
目の前に広がる海原からは心地良い潮の音がして、小さく灯台の明かりが見えた。
露天風呂の大きさは3人で入ってちょうどだったから、もしかしたら帝人さんはそれをわかっていて遠慮してくれたのかもしれない。
僕らは濡れたタオルを頭に乗せた同じような体勢で、ホッと吐息をこぼした。
「ふぁ~……極楽、極楽」
「ですね……」
「ご飯も美味しいし、波は最高だったし……このまま時間を止められたらなぁ……」
「『ここに住みたい』、じゃないんですか?」
「うーん。それやったら飽きそうじゃん? あくまで非日常だからいいんだよ」
ちゃぽんとお湯が揺れる。
「そういうものですか」
「そういうもんです」
彼はニッと口の端を持ち上げると、ズレたタオルを頭に乗せ直した。
その隣で、ソウさんは僕らと同じ体勢で目を閉じたまま、全く微動だにしていなかった。
最近、わかってきたが、こういう時の彼はとても集中している。つまり今はもの凄く集中してお風呂を楽しんでいる……んだと思う。
「そーいえば、デンデン。泳げないんだって? 明日、教えようか?」
「ありがとうございます。でも、また今度、お願いしようかと……せっかくのサーフィンの時間が減っちゃいますし」
「へーきへーき。朝一でやる予定だし。それよか、デンデンが泳げるようになって、来年とか再来年とかセッションできたら楽しいじゃん?」
「それもそうですね」
自分が波に乗っている姿なんて全く想像も付かないが、みんなと共通の趣味を持つのはいいことだと思う。
「……あ、だけど、僕もサーフィンをするようになったら、類さんがひとりになっちゃいません?」
「……類も一緒にやればいいだけ」
問いに、ソウさんが応えてくれる。それにニャン太さんが頷いた。
「そゆこと♪」
僕より断然要領のいい類さんのことだ。今、泳げなかったとしても何の問題もないだろう。
「とりま、明日お昼前に一時間くらい泳ごっか。水着は持ってきてる?」
「はい、一応」
「オッケー。じゃ、練習しよう。ソウちゃんも一緒にどう?」
「やる」
「よし、明日の予定は決まりね」
うん、とニャン太さんが腕を伸ばす。
その筋肉質な腕は今日1日でだいぶ焼けて、赤くなっている。
「ニャン太さんたちは、こんな風によく出かけるんですか?」
「そうだね、イベント事は大切にする方かも」
彼は思案げに天井を仰いだ。
「春はお花見、夏は海、秋は美味しいもの食べ歩いて、冬は初詣と雪まつりでしょ……」
指折り数えるニャン太さんに僕は小首を傾げる。
「初詣? クリスマスじゃなくてですか?」
問えば、彼はハッとしてから少し困ったように笑った。
「うちはクリスマスはやらないんだよ。でもハロウィーンには、お店でパーティーするんだ。結構、本格的に仮装したりしてさ」
ニャン太さんなら率先してツリーを飾ったりしそうなのに。
イベント事には全く興味のない僕の実家ですら、クリスマスの日はケーキを食べたからちょっと意外だった。
「どうしてクリスマスはやらないんですか?」
好奇心に駆られて問いを重ねた。
すると彼は腕組みして、うんと唸った。
「それは……ええと……」
「その時期は、みんな忙しいから」と、ソウさんが言った。
「それそれ。そんな感じ」
ニャン太さんは、どこか焦ったように同意する。
それから、僕を躊躇いがちに見た。
「なるほど」
会話が途切れ、潮騒が落ちる。
ニャン太さんが頭に乗せたタオルを畳み直す。
僕は話のきっかけを見つけられずに、海を眺めてお湯を肩にかけたりした。
と、ニャン太さんが急に声を上げた。
「あっ、夏といえば、もうひとつ大きなイベントが」
「イベント?」
「類ちゃんのお誕生日だよ」
「えっ!? いつですか!?」
「8月22日」
言って、彼はニコリと笑う。
「去年はその日に合わせてこのペンションでお祝いしたんだ。今年はズレちゃったから、何か考えないと……何かいい案ない、デンデン?」
「僕に聞くんですか? ニャン太さんたちの方が、類さんのこと知ってるじゃないですか」
「新鮮な意見が欲しいのー」
むしろ、こちらの方が教えて欲しいくらいなのに。 僕は額をかいた。
「昔にしたのと被ってしまうかもしれませんが……」
目まぐるしく思案を巡らせる。
初めての恋人の誕生日だ。全力でお祝いしたい。
類さんの好きなもの、類さんの好きなこと、類さんの……
ニャン太さんは僕の提案をうんうん頷きながら聞いてくれたから、僕は逆上せるまで必死に考え続けたのだった。