ファミリア・ラプソディア

餃子と眼差し(1)

 みんなと一緒に暮らしてひと月ほど、僕は生活に馴染み始めていた。
 少なくとも、自分ではそう思っていた。
 でも、それも……彼の視線に気付くまでのことだ。

「おはようございます、ソウさん」

 とある平日の朝。
 大学に行く身支度を整えた僕は、リビングでテレビを見ていたソウさんに挨拶をした。
 彼はコチラをゆっくりと振り返って僕を見て、不機嫌そうに眉根を寄せた。

「……」

 沈黙。
 キレの長い目を細くして、彼は押し黙る。
 僕は中途半端な笑みのまま口を引き結んだ。

 …………めちゃくちゃ睨まれている。

「あ、あの、今日も朝ご飯美味しかったです。ありがとうございました」

 なんとか勇気を振り絞り静寂を破るも、彼の反応はなかった。
 つ、と冷たい汗が背中を流れる。

 もしかして……怒っている、のだろうか。
 僕は何かやらかしてしまったのか。

「そ、ソウさん……あの……?」

「……ありがとう、とか、いらない」

 たっぷりと間を取ってから、ソウさんはボソリと言った。それからさっさとテレビに視線を戻してしまう。

 彼のうなじ辺りで結んだ犬の尻尾みたいな黒髪を見つめて、僕は立ち尽くした。

 やはり、怒っている。
 テレビに集中していたところを邪魔してしまったせいか?
 はたまた、食事に対して「ありがとう」では感謝の意識が足りなかったのかもしれない。確かに、毎日の美味しい食事に馴れていた気がする。もっと初めの頃を思い出して、全身全霊で美味しかったですありがとうと伝えるべきだったのかも。
 ……ハナから、たまたま彼の虫の居所が悪いだけ、ということもありえるが。

 僕は頭を軽く振って、ネガティブに傾きつつある心を奮い立たせた。

「それじゃあ、僕……出かけてきます」

「……うん」

 ソウさんはこちらを見ずに頷く。
 僕は何度も自分に「気にしすぎ」と言い聞かせながら大学へと出かけた。

 が――この日が特別、彼の虫の居所が悪かったのではなかった。

 その日の夜も、翌日も、またその次の日も。
 ソウさんが僕を見てスッと目を細めることに気が付いた。形の良い眉をぎゅっと寄せて、立ち止まり、しばらく押し黙る。リビングでくつろいでいる時、ふと視線を感じて振り返れば彼の鋭い視線が突き刺さる……

 やはり彼は怒っている。
 もしかしなくても嫌われてしまったのだろうか……?

* * *

「あの……ソウさんのことなんですけど…………」

 それからしばらくして、夜。
 僕は類さんのベッドに寝転がりながら、思い切って相談を口にした。

「どうした?」

 ベッドのヘッドライトを消し、枕の位置を合わせながら類さんが先を促す。

「僕……その……お、怒らせてしまったみたいで」

「はっ? なんで?」

 類さんがびっくりしたようにコチラを見る。
 僕は上掛けを握り締めた。

「……知らないうちに、地雷を踏んでしまったみたいなんです。だから……あの、類さん、何か気付いたことあったら教えてくれませんか。例えば僕のクセというか、振る舞いで、ソウさんの気に障るようなこととか。直したいんです」

「ソウの気に障ること、なぁ……」

 うーんと低く唸る。
 それから彼は腕を組むと、天井を見上げた。

「そもそもの話、ソウがあんたに怒ってるようには見えねぇけど」

 でも、めちゃくちゃ睨まれてるんです、とは、告げ口するみたいで言えなかった。

「あんたの気にし過ぎだよ。アイツが喋らないのも表情ないのも、今に始まったことじゃねぇし」

「で、です、よね……」

 とは言え、もしも無意識に彼の嫌がることをしていたら、申し訳なくて仕方ない。
 本人に尋ねようとも考えたが、訊いて応えてくれるなら最初から話してくれているだろう。

「気になる?」

「……大丈夫です。たぶん類さんの言う通り、僕の気にしすぎだとは思ってました」

 ごまかし笑いを浮かべれば、優しく抱きしめられた。
 ついで彼は僕の頭を子供にするように撫でてくる。
 僕は彼に身を寄せると、目を閉じた。

「でも……改善できるところはしていこうと思います。初心って大事ですよね」

「うん?」

 仲良くなれた、受け入れられたと思うのは時期尚早だ。
 親しき仲にも礼儀ありとも言うし。もっと気を引き締めて生活しないと。

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