臆病な唇とトライアングル(5)
* * *
店に入ると、イサミさんはわざわざカウンターの中から出てきて迎えてくれた。
「あっらー! 伝ちゃんじゃないの!」
「お久しぶりです。すみません、いろいろお世話になっておきながら、顔も出さず……」
「いーのいーの!それってつまりは、うまくいってたってことでしょう?」
イサミさんは目を輝かせて、僕の隣の類さんに意味深な視線を送る。それに応えるように彼は片手をあげた。
「ばっちり失恋の傷は癒やしたよ」
「そうみたいね。うふふっ、良かったわぁ。
あの後、ちゃんと会え――」
「おつおつ、イサミちゃん。メッセージ貰ったから、類ちゃんとデンデン誘って来たよ~」
一足遅れて、ニャン太さんがやってくる。その途端、イサミさんの顔つきが変わった。
「根子さん!? お疲れ様です!」
なよっとした女性的な言葉遣いは何処へやら、野太い声を上げると直角で頭を下げる。
僕は呆気に取られた。こんなイサミさん、見たことない。
「かしこまらなくていいってば~。ってか、本当、今日空いてるね」
「いつもいる学生がテスト期間なんですよ。今日は静かにゆっくり飲めると思います。
……あっ、そうだ。根子さんお夕飯食はもう済んでます?まだなら軽食用意します」
「ありがと。じゃ、3人分よろしく」
「わかりました。それじゃあ、カウンター席にご案内しますね。
――根子さん、ご来店ッ! いつものメニュー、すぐに用意しろ!」
ドスの効いた声に、厨房から「ハイ、喜んで!」と同じくドスの効いた返事が上がる。
ギョッとした数少ないお客さんが、僕らをチラチラと見てきたのは言うまでもない……。
「……相変わらずイサミちゃんのお前に対する接客おかしくねぇか。伝がびびってるぞ」
と、僕の心の中を類さんか代弁してくれた。
「やだなー、ふつーだよ。ただ、前にここで勤めてたことあるから先輩扱いされてるってだけで」
ニャン太さんはケラケラ笑って、案内された先の丸椅子に腰掛けた。
「えっ。ニャン太さん、ここで働いてたんですか」
と、僕は彼の隣に座りながら尋ねる。
「うん。高校出てすぐの3年くらいだけどね」
でも、先輩後輩だけでイサミさんの態度があそこまで豹変するだろうか?
いや、たぶん絶対何かあっただろ……。その何かを尋ねる勇気はないが。
「何飲むか決めてますか? まだなら1杯目はプレゼントさせてください。恋路がうまくいったお祝いです」
カウンターの中に戻ったイサミさんは、ニコニコと僕と類さんを見た。
「気が利くじゃん」
「あ、ありがとうございます……」
「ボクもいいの?」
「そりゃあ……だって、ここに3人でいるってことはそういうことでしょう?」
イサミさんがこちらに問うような視線を投げてくる。僕は頷いた。
……そうか。昔からの知り合いってことは、彼は類さんとニャン太さんたちの関係も把握していたのか。
「まあ、類ちゃんが伝ちゃん口説き始めた時は、根子さんは知らないものだと思っていましたけど」
「んなわけあるかよ。あの日も一緒に飲んでたんだぞ?」
「そうだったんですか!?」
「そうだよ~。邪魔しちゃ悪いと思って席移動しちゃったけど」
イサミさんに渡されたおしぼりで手を拭いながら、ニャン太さんが言う。
次いで、彼はあっと声を上げた。
「っていうか、聞いてよイサミちゃん。
類ちゃんったらね、ボクらのこと言わないでデンデンを部屋に連れ込んだんだよ」
「あらまあ」
と、お酒を作りながら、イサミさん。
続いて、彼は眉をハの字にして笑った。
「でも、アタシだってそこは触れないでふたりのこと応援してましたし、類ちゃんの気持ちはわかりますよ。初めから根子さんたちの関係性を理解するのって難しいですから」
「それはそうなんだけどね……」
「僕はあの時、類さんが誘ってくれて良かったと思ってます。お陰で今、こうしてみなさんと楽しくできてるんですから」
それは心からの言葉だ。
ニャン太さんは「そう?」と小首を傾げると僕の肩に頭を乗せた。
「……まあ、デンデンがそう言うならいっか」
「結果良ければ全て良しだよ」
「類ちゃんは、もう少し反省した方がいいと思うけどね!?」
ニャン太さんが半眼で類さんを見やる。
その時、目の前にいつもよりも一回りも大きなグラスが置かれた。
「今日はグラスが違うんですね」
「お祝いだもの。少しは奮発しちゃうわ」
類さんとニャン太さんには中ジョッキだ。
中身は、生ビール……ではない。キレイな乳白色のお酒だった。
「おお~マルゲリータの中ジョッキ! 久々に見たな~」
「マルゲリータ……? って、カクテルのですか?」
普通は、小さな逆三角形のグラスで出される、お洒落なお酒だ。
確か、ベースはテキーラだったはず。
「……気前が良すぎて怖いんだが」
と、類さん。
「ザルがなに気弱なコト言ってるのよ。
酒はコスパが悪いって散々文句垂れてるから出血大サービスで用意したのに」
「さすがに最近は酔うっつの」
「あらやだ。老けた?」
「……断じて違う」
組んだ手に額を押し当て、類さんが呻く。
僕は思わずクスリと噴き出してしまう。
「老けたかどうかは飲んでみたら分かるよ。
それじゃあ、みんなの恋路に幸あれ!ってことで、乾杯~~!!」
「いただきます」
ゆっくりとグラスを傾けると、カシスの甘さが舌の上で熱く蕩けた。
と、僕の隣で類さんが咳き込んだ。
「っ……おい、イサミちゃん。これ、ほぼテキーラじゃねぇか」
「マルガリータよ。ちゃんとコアントロー入れたもの」
「ちょろっとだろ! こんなの入れたうちに入らねぇよ!」
イサミさんが肩を揺らして笑う。と、彼は突然ギョッと目を見開いた。
視線の先を追えば、僕の左隣のニャン太さんが水を流し込むようにアルコールを仰いでいた。
みるみるうちにジョッキの中身が消えていく。
やがてそれを一気に飲み干した彼は、手の甲で口を拭った。
「ふぅ。やっぱりマルガリータは美味しいねぇ。カッと喉を焼く感じたまんないや」
「……」
「あれ? どうしたの?」
「アタシの中でザルの概念が崩壊しそう」
「俺もだ……」
そんな風に言いながらも、結局類さんのジョッキも話しているうちに空になり、彼は別のお酒をおかわりした。
とにかくふたりはお酒が強かった。
そんな彼らに挟まれていると、ついつい飲むペースが上がる。楽しい雰囲気もそれ加速させたのだと思う。
気がついた時には、僕はとっくに限界を超えていた。