臆病な唇とトライアングル(4)
* * *
「それでは、お先に失礼します」
同僚に頭を下げて、僕はバイト先を後にした。
塾の入ったテナントビルを出ると、自販機の前のブロックに座った男子生徒がこちらに気づいて元気よく手を振る。
「どーやせんせー!」
松本――中学2年で、僕が受け持つ文系クラスの生徒の一人だ。
「まだ、帰ってなかったのか」
携帯で時間を確認した僕は眉根を寄せた。
もう22時を過ぎている。
「親御さんはまだ迎えに来ないのか?」
歩み寄れば、彼は肩を竦めてみせた。
「遅れるんだって」
「なら、中で待ってれば良いのに」
「中だとゲーム出来ないじゃん」
そう言って、彼はカバンから携帯ゲーム機を取り出す。
「それはそうなんだが……ひとりで待ってるのは危ないだろ」
「せんせー心配し過ぎ。オレ、男だよ」
「男だとか女だとか関係ないぞ」
短く溜息をつく。
次いで僕は彼の隣に腰掛けた。
「なに? どーしたの?」
「一緒に待つよ」
「えー。いいよ、帰ってよ」
あからさまにウザそうにされたが、気にしない。
僕は苦笑を噛みつぶしながら、スマホを取り出した。
「ゲームの邪魔はしないから安心しなさい」
「ならいいけどさ……」
軽妙なBGMが聞こえてきた。
僕はチラリと松本を見やる。
外では、生徒と極力関わらないようにするのが塾での決まりだが、事情が事情だ。
親御さんが来るまで一緒に待って、次からは中で待つように話をしよう。
そんなことを考えていると、携帯が鳴った。
LIMEにメッセージが来ている。開くと、ニャン太さんからだった。
『デンデーン!もうバイト終わった?』
はい、終わりました。と、打ち込む。
すると、即座に既読がついて返信があった。
『明日って、お休みなんだよね?』
『イサミちゃんから飲みに来てって連絡あったんだけど行かない!?』
メッセージを読んだ僕は、はたとした。
そういえば……イサミさんに類さん宛の言づてを頼んでから、店に顔を出していなかった。
それをすっかり忘れていた。……類さんと付き合い始めたこと、報告しないと。
行きます、とメッセージを送信すると、唐突に松本が口を開いた。
「……彼女から連絡?」
「なっ、なんだ、急に……」
「否定しないってことはやっぱ彼女なんだ?」
彼はゲームから顔を上げずに、続ける。
「……いや、家族からだよ」
「あー……そっか。ごめん。先生ってモテないもんね」
なんだか楽しそうに言われた。
「お前な……」
「まあ、でも先生のイイトコわかってる人はいるから。あんま落ち込まない方がいいよ」
……どうして慰められねばならないのか。
しかし、現実問題恋人はいるわけで、気にしないことにする。
それから、30分くらいして……
迎えにきた松本のお母さんに、彼を引き渡すことができた。
次からは中で待つように話し、やっと帰路に就く。
そういえば、ニャン太さんとの待ち合わせって店で良かったんだっけ。
チャットを開くと、『迎えに行くよ』と新着のメッセージが届いている。
その時、再び携帯が鳴った。
今度は類さんから電話だ。
「はい? どうかしました?」
『後ろ』
簡素に類さんが告げる。
不思議に思って振り帰ると、見覚えのあるバンが曲がってきて僕の目の前で止まった。
「お疲れ」
窓が開いたかと思うと、助手席から類さんが顔を覗かせた。
「すみません。わざわざ迎えに来て貰ってしまって……」
「いーよいーよ! それじゃ、行こうか♪」
と、運転席からニャン太さん。
僕が後部座席に乗り込むと、車はイサミさんの待つバーへと走り出した。