ファミリア・ラプソディア

臆病な唇とトライアングル(3)

* * *

 そっと抱きしめられ、僕は瞼を閉じて類さんに身を寄せる。

 僕と彼の背丈はかなり近い。
 だから、抱きしめ合うとまるで凹凸がぴったりとハマるかのようにくっつくことに気付く。

「……あー……元気出てくる……」

 類さんが首の付け根の辺りに顔をグイグイと押し付けてきた。
 僕はかなり気恥ずかしいものを感じながら、されるがままになる。

 つやつやとしたワインレッドの髪から、ほんのりと整髪料の香りがした。
 触れ合った部分から熱が溶け合うようで、心臓の鼓動が速度を増していく。

 触れたいな、と思った。
 艶やかな髪をかき上げて、彼の耳朶に口付けたい。

「……なあ、伝はエプロン買ったら付ける?」

 ふいに類さんが口を開いた。
 僕はきょとんとする。それから、ハッとして彼から身体を引き剥がした。

「す、すみません……! 掃除するならエプロン必須でしたよね……自分で買うので大丈夫ですよ……っ」

「いや、必須じゃねぇし。単に俺がプレゼントしたいだけ」

 ニコニコしてそんなことを言う。

「プレゼントって……」

 意図がわからず戸惑う。僕は首を振った。

「……前から思ってたんですけど、類さんは僕になんでもかんでも買い与えすぎです……。人間は怠惰に流されやすいんです。そうやって僕を甘やかして、自活も出来ない人間になったらどうするつもりですか」

「そんなの、ずっと一緒にいるに決まってるだろ」

 間髪言わずに告げられた答えに、僕は唇を無意味にパクパクさせる。

「ま、自活できようができまいが関係ねぇけどさ」

 彼は手の甲で僕の頬を撫でた。

「…………類さんって、本当にズルいと思います」

 僕は目線を落とすと、ボソリと呟いた。

「ズルい? 何が?」

「そういうことサラッと言えるところが、です。僕は……好きって言うだけでも大変なのに」

 加速度的に、こちらの好きの比重が増えていく気がする。
 いつかバランスが大きく傾いてしまって、天秤が外れてしまうんじゃないかと怖くなる。

「じゃあ、練習する?」

「練習?」

 すると、思わぬ言葉が返ってきた。

「そう。俺の目を見て、スキって言う練習」

「い、いや、それは……」

 出来ない。無理だ。恥ずかしすぎる。
 というか練習で言えるなら既に苦労なく言えている。

「目、逸らすなって。ほら……ちゃんと俺のこと見て」

 頬を包まれて、上向かせられた。
 目が合うと吸い込まれてしまいそうだ。

 心臓の速度が増して、スキで頭がいっぱいになる……頭の中をこのまま伝えられたらいいのに。いや、それはそれで困るな。

「ス、キ」大きめに唇を動かして、類さんが告げた。

「ほら、繰り返して」

  と、言われましても。
  ……どうしてだろう。もう清い関係でもないし、既に何度かは言っているのに。
  僕はもごもごと口を動かしながら、勢いって大事なんだなと思った。

「あと10秒で言わなかったら、おしおきな」

「お、おしおき……?」

「10、9、」

「ちょ、あの……す、す……す……っ」

「1、0――はい、終了」

「今、9からいっきに1にいきましたよ!?」

 類さんは悪い笑みを浮かべて、僕の唇を親指の腹でなぞった。

「言い訳するのは、このヘタレな口か?」

 ぐい、と下唇を押される。

「あ、あの……」

 ますます近くに類さんの顔が迫った。

 おしおきって、何をするつもりですか。
 類さんのことだから、嫌なことはしないだろうが……逆ベクトルに振り切れそうで、ちょっと怖い。

 一歩退くと、同じ距離を詰められた。
 それを繰り返しているうちに、ベッドのすぐ横まで来てしまう。

 僕はおずおずと類さんを見た。
 が、すぐに視線を彷徨わせた。やっぱり気恥ずかしい。……類さんの顔が整いすぎているのが悪い。

 眼鏡を外された。かと思うと、

「スキだよ、伝」

 唐突に囁かれ、僕は顔から火を噴いたかと思った。

「……類さんが言ったら、意味ないじゃないですか」

「勢いつけた方がいいかなって」

「そ、れは、僕も思いましたが」

「スキ」

「だ、だから」

「愛してるよ、伝」

「んっ……」

 キスまでされてしまう。

 呆気に取られる僕を見て、彼はクスクスと笑った。
 ああもう……僕は降参するみたいに瞼を閉じる。

 再び唇が重なると、慣れた様子で舌が忍び込んできた。

「んむぅ……っ、はっ……ぁ」

 類さんの背に手を回し、シャツを握り締める。
 彼は取り上げた眼鏡をベッドのヘッドボードに置いた。次いで、流れるような動作で僕をベッドに押し倒す。

 背中に柔らかなマットレスの感触。
 唇が離れ、類さんが僕の前髪をかき上げる。

 熱っぽい視線が交錯した。
 窓から湿り気を帯びた夏の風が吹き込む。
 揺れるレースのカーテンが涼しげだ。

「類さん……」

「うん?」

 もっと彼に触れたい。
 そう告げられたらいいのに。

 僕はニャン太さんと話したことを思い出して、気にすることは何もないのだと自分に言い聞かせる。

「…………き、です」

 なんとか声を振り絞れば類さんがニヤリとした。

「ごめん、ちょっと声が小さくて聞こえねぇな」

「絶対、今聞こえてましたよね」

「いや、マジだって」

「だ、からっ……好きですってば!!」

 思ったよりも腹から声が出た。
 類さんは驚いたみたいに目を見開いて、クスクス笑いながら僕に倒れ込んでくる。

「ふ、ふはっ……ああ、もう……ホント……」

 ひとしきり笑ってから、彼はゴロリと僕の横に寝転がった。

「……なあ、伝」

「………なんですか」

「もっとキスしたい」

 そう言って伸ばされた右手が、僕の頬を撫でる。
 僕は……まるで魔法にでもかかったかのように彼に顔を寄せた。

「ん……」

 鼻先が触れて、一度はむようにキスをした。
 ついでどちらからともなく舌を突きだして、次第に噛みつくようなものへと変わっていく……

「ん、んむっ、はっ……っ」

 身体の中心に火が灯るのに時間はかからなかった。

「ふぁ……」

 舌を絡めていると、知れず下半身がモゾモゾと動いてしまう。
 恥ずかしくて唇を離せば、間髪入れずに類さんが腰を押し付けてくる。

「あ……」

 彼のそこも熱く硬く育っているのを知って、ゾクゾクと背中が震えた。

『デンデンが納得できてないうちは、類ちゃんも誘いづらいだろうし』

 ここは勇気を振り絞って、誘ってみよう。
 「好き」だって言えたのだ。その延長だ。

「類さん、そのっ、エ――うっ」

 肝心な時に舌を噛んだ。
 何で僕は。……何で僕は。何で僕はっ!

「そんな困った顔すんなよ。ちゃんとキスだけで我慢するから」

 内心で頭を掻きむしる僕の耳に、穏やかな声が届く。

「はい……?」

「塾の生徒に会う前にエロいことはできないって言ってたろ」

 言葉に僕は瞬きを繰り返し、それからヘラリと笑った。

「あー……あ、ありがとうございます……」

 なんでいっつもいっつもいっつも余計なことを言っちゃうんだろうなぁ、僕は。
 いや、間違ってはいないのだけれど。

 それから、僕らはたくさんキスをした。
 途中で何度誘おうとしたのか知れない。その度に「いや、バイト前にふしだらなマネをするのはやはり……」と思い直す。
 そんな理性と熱情の間をフラフラしていたら、あっという間に出かける時間になってしまった。

-29p-
Top