腰痛とDIY(1)
新しい環境に慣れるのはなかなか難しい。
引っ越してきてからしばらく経つが、まだ外が暗いうちに目が覚めてしまう。
しかしそれも悪いことばかりではなかった。日が開けるまで学校やバイトの準備をし、空いた時間は本棚の整理に専念できたからだ。
そのお陰で、部屋の片付けは予想以上に早く終わった。
ニャン太さんと類さんが僕の部屋を訪れたのは、ある土曜日の朝だった。
「えーっ、本当に終わってる! 手伝おうと思ってたのに」
僕の部屋を覗き込んで、ニャン太さんが目を丸くする。
「頑張ったな、マジで」
類さんも感心したように部屋を眺めて言った。
僕は胸にこそばゆいものを感じて肩を竦める。
入って左の壁の本棚には、所狭しと本がはめ込まれている。大きさとジャンルでしっかり整頓されたそれは、自分でいうのもなんだが壮観だ。……勉強した気にならないようにしないと。
「なんていうか……ザ・学者先生って感じ!」
「すみません、ほとんど趣味の本です……」
「お、柳田国男全集がある」
類さんが1冊の文庫本を手に取り、パラパラとめくった。
「誰? それ」
ニャン太さんが彼の背中から本を覗きこむ。
「ガキの頃、よく神隠しにあってた民俗学の偉いオッサンだよ」
「はえ? どういうこと??」
「あの、興味あったら好きに読んでくださいね。そっちの方が本も嬉しいと思うんです」
「ありがと! じゃ、ボクのお気に入りのコミックと交換会しよね~」
「楽しみです」
ニャン太さんは類さんから降りると僕の手を握った。それから彼はよくわからないダンスを踊り始める。
「デンデンの好きなジャンルはなんじゃろな~? お仕事もの? 推理? 意外と萌え系?」
「どうでしょうか。あんまり読んだことがないので……」
「ふむふむ。じゃあ、片っ端から沼に突き落としてあげる♪」
「沼……?」
そんな話をしていると、文庫を棚に戻した類さんが口を開いた。
「そういや、伝。……デスクは?」
「え? ないですけど」
「ない?」
眉根を寄せる類さんに、僕は頭をかいた。
「引っ越しの時に捨てちゃったんですよ」
「捨てた? なんで?」
「前の家では物を置くだけの場所になってたので、必要ないかなと思いまして」
「必要ないって、今どうしてんの」
「それは……段ボールを代わりに……」
「はあ!?」
物置になっていたこともさることながら、正直なことを言えば、あれをこのマンションに運び入れるのは恥ずかしかった……
小学校の頃、親戚にお下がりで貰ってからずっと使っていた年季ものだ。
色は禿げてるし、シールの剥がした後だとか、彫刻刀で彫った跡だとか(僕ではなく前の持ち主がやったものだ)……まあ、とにかく汚かったから。
「そりゃまずいだろ」
類さんが神妙な顔をした。
「問題ないですよ」
「今のところはな。でも、そのうち絶対に腰痛めるぞ」
僕の両肩を掴み、彼は熱心に語った。
もしかしなくても経験者だろうか?
でも、なくても困っていないものを買うのは気が進まない。
と、ニャン太さんが突然片手をあげた。
「はーい。だったら、ボクらからの引越祝いをデスクにするってどう?」
「ああ、それいいな」
「ええっ!? いや、だから、デスクは……!」
「善は急げって言うし、今日買いに行っちゃおーよ。カーテンも早く変えたかったし」
「僕の話を聞いて下さいよ!」
家賃も払っていないのに引越祝いなんて貰えない。
「本当にいらないんですって。僕は健康そのものですし、そもそもデスクを置くスペースがあるなら、本を増やしたいといいますか……」
「伝。腰痛はクセになる。なってからじゃ遅い。遅いんだ!」
「僕は類さんみたいにずっと座ってるわけじゃないんですよ……っ」
「デンデン」
と、ニャン太さんが僕と類さんのやり取りを遮った。
「は、はい……?」
あまりにも真剣な様子に背を正せば、彼は僕の耳朶に唇を寄せてきた。
それから、僕にだけ聞こえる声で囁いた。
「腰が痛くなっちゃったら……エッチできなくなっちゃうよ?」
僕は唇を引き結んだ。
「いいの? それで?」
「…………デスク買います」