スポンジとまな板(3)
それからまたしばらく歩き……僕は肩で息をしながら口を開いた。
「やっぱり……結構、距離ありますね……」
すでに疲れ始めた僕とは違い、「そうか?」と首を傾げるソウさんは汗1つかいていない。
立ち仕事は体力勝負と聞いたが、ソウさんも例に漏れないようだ。
というか、僕が非力過ぎるのか……?
そんなことを考えている時だった。
僕は細い路地から出てきた人影にぶつかった。
「……っ! す、すみません、大丈夫で――うわぁああっ!?」
思わず裏返った声が迸る。
ぶつかったのは小柄なメイドさんだった。いや、それは驚くことではないのだが、問題は 彼女が引きずっていたものだ。
それは顔面血まみれの、ボロボロの男性だった。
頭が真っ白になる。
するとメイドさんはくしゃりと泣きそうな顔をして口を開いた。
「た、助けてください! お願いします!」
「い、一体、何が……?」
「彼氏が突然、鼻血を出して倒れてしまったんです……っ」
「えっ、ええっ!? 大変じゃないですか!」
「そうなんです、大変なんです! ですから、助けてください!」
「救急車は呼んだんですか!?」
「それが……病院に行かなくちゃって焦って、携帯とスポンジ間違えて持って来ちゃったんです……」
フリーズしていたソウさんが口を開く。
「どこかで聞いたような話だな」
……もしかして、流行っているのだろうか。
「わかりました。僕が連絡しますので……」
救急車を呼ぶと、男性を抱えて歩道の端に避けた。
状況を尋ねれば、彼女曰く、喜ばせようとコスプレをしたら、突然、彼が倒れてしまったらしい。
慌てた彼女は病院を探して彼を引きずりながら方々を彷徨っていたところ、僕たちと遭遇したということのようだ。
相当パニックに陥っていたのだろう。男性は脈もあるし、血色も良いが、メイドさんは見ているコチラが苦しくなるくらい、狼狽していた。
「どうしよう……どうしよう……っ」
彼女の気持ちはよくわかった。僕も類さんが倒れた時、生きた心地がしなかったから。
「もうすぐ救急車来ますからね」
僕は努めて平静に、男性に声をかけ続ける。
「う……」
すると、彼はうっすらと目を開けた。
「ここは……?」
「良かった……気が付いたんですね」
僕は長い溜息をつく。
ひとまず今すぐどうこう、ということはなさそうだ。
しかし、安堵したのも束の間、
「ご主人様! ああっ、良かっ――」
「グハッ!」
男性は恋人の姿を目にすると、鼻血を噴いて再び意識を失ってしまった。
「ご主人様、死なないで……!」
メイドさんが恋人に取りすがる。
救急車はまだだろうか。
こういう時、帝人さんなら的確な対応ができるのに……!
その時だ。
ソウさんがハンカチを男性の顔にかけた。
「な、何してるんですか!?」
「メイドを見ない方がいいかと思って」
「だとしてもやり方がありますよね……!?」
すると、男性がハンカチを押さえたままムクリと身体を起こした。
「!?」
僕とメイドさんは息を飲んだ。
男性はフラつきながら口を開いた。
「……助かったよ」
「あの、急に身体を起こさない方が……」
「何、大したことはないんだ。いや、大したことはあったんだが……つまり、ええと、恋人があまりにも魅力的過ぎてね……」
「はい……?」
よくよく聞けば、メイドコスプレをしてくれた恋人に興奮しすぎたため、鼻血を噴いて倒れたらしい。
「は?」2トーンくらい低い声が出てしまった。
「すっ、すみません! 私が可愛すぎるばかりにっ……!」
メイドさんがひたすら頭を下げるのに、僕は首を振った。
「救急車を呼びましたし、病院には行った方がいいと思います。倒れた時に頭を打っていたら大変ですし……」
「わっ、わかりました!」
それにここまで引きずられていたため、彼は満身創痍だ。傷の手当ては必要だろう。
「本当に本当にありがとうございました。あの、是非お礼を……」
「気にしないでください。お気持ちだけで十分ですから」
僕はソウさんと一緒に首を振る。
「そんなわけにはいきません! せめて、お名前だけでも……!」
結局、先ほどと同じく……取りすがる彼女にソウさんが名刺を渡し、何とか僕らは解放された。
「あのっ、このご恩は一生忘れません! 必ず! 必ず、お礼させてくださいね……!」
そんな言葉と共に、恋人たちは救急車で運ばれていった。
僕らは先を急いだ。
ちょっぴり精神的に疲れたが、大事がなくて良かったと思う。……うん。