引っ越しとピザ(1)
7月某日、天気は快晴。
予報に寄れば、本日の気温は30度を上回るらしい。
風は熱を孕んでいる。マンション周辺の木々からは、セミのけたたましい声が聞こえてきて、すっかり真夏の景色だ。
僕は額から滝のような汗を流しながら、ニャン太さんと引っ越し業者のトラックを待っていた。
「あっ……! 来たみたい!」
隣で声が上がる。
引っ越しのトラックが入ってきて、僕らは地下の駐車場に彼らを案内した。
住居者用のエレベーターと、搬入用のエレベータが別なのだ。
物凄い速さでマンションの床や搬入口に緩衝剤が設置され、すぐさま段ボールの運び入れが始まった。
持ってきた家電はノートパソコンだけで、残りは全て本だ。他は全て売って引っ越し代の足しにした。と言っても、洗濯はコインランドリーだったから、手放したのは中古で買った冷蔵庫と炊飯器だけだったが。
手持ち無沙汰で搬入作業を眺めていると、
「これ二人で持たないと腰逝くヤツ」
「鬼重いのいきまーす」「うっ……」
――なんて、物騒な声が聞こえてきた。
僕はひたすらに申し訳なく、心の中で何度もすみませんと繰り返した。
小さい段ボールに可能な限り分けて入れたものの、辞書やら辞典やら学術書やら図録やらのせいでこの世ならざる重さになってしまった。
「あのー……これ、何入ってるんですか?」と業者の人に問われて、僕は「本です」と応える。また別の人に「これは……」と問われて「本です」と繰り返す。
「凄い本の量だねぇ」
ニャン太さんが感心したように言った。
「すみません……」
「いやいや。コレは腕が鳴りますよ?」
「?」
きょとんとする僕に、ニャン太さんは楽しそうな様子で半袖をまくった。
それから、ふたりがかりで段ボールを運ぶ業者さんのところへ足取り軽く向かった。
「ボク、手伝いますよ。その鬼重いやつ、貸してください」
ニャン太さんの言葉に、業者の人たちが目を瞬かせる。
「やめといた方がいいですよ。本当に重いので……」
と、業者さんが言う。僕も頷いた。
「そ、そうですよ、プロの人がふたりがかりなのに――」
僕が全てを言い終わる前に、ニャン太さんは業者の人から荷物をヒョイッと取り上げた。
「え……」
目を疑う。たぶん業者の人も同じ顔をしているんじゃないか。
「うわっ、確かにめちゃくちゃ重い……よく、床抜けなかったね、これ」
「それは、はあ、運が良かったみたいで……って、ニャン太さん平気なんですか……?」
「エレベーターもあるし、なんとかなるっしょ」
そう言って、さっさと業者専用のエレベーターの方へと歩いて行く。
その背を業者の人たちがあんぐりと口を開けて見ていた。
「じゃ、デンデン。ボクは運ぶの手伝うから、部屋の方で待ってて」
「は、はい……っ!」
指示を出されて我に返る。
僕はキツネにつままれたような気持ちのまま、住居者用のエレベーターまで走ると、部屋に戻った。
* * *
部屋に着くと、類さんが玄関周りの調度品を片付けていた。
「お。トラック着いた?」
立ち上がって腰を伸ばす類さんは、今日も清々しいほど格好いい。
本日の彼はエスニックスタイルだ。
高円寺辺りで売ってそうなカラフルな色合いの長袖のシャツを着ている。雑誌の表紙を飾れるんじゃないか、とか、そんなことを思いつつ僕は頷いた。
「はい。今から荷物が来ます」
「じゃあ、もう俺らに出来ることはねぇな」
それから類さんは、僕の方を見て何かを探すように視線を彷徨わせた。
「あれ? ニャン太は?」
「ニャン太さんは業者さんの手伝いを……」
「あー、なるほど」
彼は台所でコップを手にすると、ウォーターサーバーに向かった。
水を飲む。ゴクリゴクリと喉仏が上下する。
「あの、類さん……」
「うん?」
「ニャン太さん、力凄くないですか……?」
「気付いたか。アイツ、ああ見えてゴリラだぞ」
「ゴ……?」
聞き間違いではなさそうだ。
類さんは口元を手の甲で拭うと続けた。
「俺のこと余裕でお姫様抱っこ出来るし、なんならクルミを指で割れる」
リンゴを片手で潰せる話は聞いたことがあったけど、クルミを指で割るって初めて聞いたな……。
「玄関入って、すぐ右の部屋に運んでください。あっ、そこ、段差あるから気を付けて!」
その時、ちょうど玄関の外でニャン太さんの賑やかな声が聞こえてきて、僕は慌てて引っ越し作業に戻った。