ファミリア・ラプソディア

少年たちと青春の残像(2)

 類ちゃんとソウちゃんが暮らしていたアパートは、とてもこじんまりとした部屋だった。
 生活感皆無のその空間で、類ちゃんは眠っていた。
 身体を小さく丸めて。

「類ちゃん……」

 久々に会った彼は、やつれているのに、人形みたいに……綺麗だった。凄みを覚えるというか、ゾッとするくらいキレイだった。

 心をかき乱される。
 ボクは慌てて彼から視線を外すと、ソウちゃんから現状を聞いた。

「……事情はわかったよ。まずは病院に連れて行こう」

「行った。駅前の心療内科」

「そうなんだ。それでなんて? 薬とか貰った?」

 問えば、彼は首を振った。

「どういうこと……?」

「入院設備がある精神科に行けと言われた。もしもの時に対応できないから」

「もしもの時……」

 手首のことを言っているのだろう。
 そんなに類ちゃんの容態は悪いのかと、ボクは生唾を飲み込む。

「そ、それで、精神科には……?」

「行っていない。類は入院したくないって。それと……お金が続かない」

「すぐ入院ってわけじゃないでしょ?」

「診察だけでも……厳しい」

「……あ、そうか! 保険証!」

 ソウちゃんが頷く。
 家出してきた類ちゃんは保険証を持っていなかったのだろう。

「……わかった。その辺、どうすればいいのか調べてみるよ」

 ボクは改めてソウちゃんを見て元気づけるように力強く笑った。

「諸々は明日の朝からやるとして。ソウちゃん、今すぐ寝た方がいいよ!」

「なに?」

「ソウちゃんもだいぶ酷い顔してるよ。明日は絶対仕事行かなきゃなんでしょ? 類ちゃん起きてきたらボクが対応するし、今すぐしっかり寝て元気回復して!」

 ソウちゃんはキョトンとしてボクを見た。それから少し笑って頭を下げる。

「……ありがとう」

 ボクは慌ててそれを止めた。

「むしろ、ありがとうって言いたいのボクの方だから。類ちゃんのこと支えてくれてありがとう。連絡くれてありがとう。これからはもう、ソウちゃんひとりじゃないからね。ボクもイロイロ手伝うし、めっちゃ頼っていいから!」

 そう言って、ボクはソウちゃんを類ちゃんの隣に押し込んだ。
 上掛けを肩まで持ち上げて、トントンと子供にするみたいに軽く叩く。
 するとそんなに時間を置かずに、彼は寝息を立て始めた。
 とっくに限界を超えていたのだろう。

 ボクはふたりを見つめて、小さく苦笑した。

 改めて思い返せば、ボクが「類ちゃんのこと支えてくれてありがとう」なんて言うのは、意味がわからない。
 類ちゃんはソウちゃんの恋人なわけだし。
 でも、そう思ったのだ。

「大丈夫だからね。絶対、大丈夫だから」

 誰にともなく言って、ボクは母親に今夜は家に帰らない旨を連絡した。

* * *

 朝、ソウちゃんが起きてくるとボクはコンビニまで走って朝食を調達し、類ちゃんを起こして3人で食べた。

 類ちゃんはボクがいることに気付いても、全く反応しなかった。感情が抜け落ちたように始終ぼんやりしていた。
 いまいち情緒不安定な類ちゃんを想像できていなかったボクは、別人のような彼を前に戸惑った。

 ソウちゃんが仕事に行くと、類ちゃんは布団に寝転がって、ずっと壁を撫でていた。

 聞いた話によると、彼はお父さんの夢をよく見るらしく、現実と夢の境目がよくわからないらしい。だから、壁の感触で現実を確認しているらしい。

 類ちゃんはお父さんのことで自分を責めているのかもしれない。
 でも、あれはボクのせいだ。
 あの火事の時、お父さんを助けに行こうとした彼を止めたのはボクだから。

 あの時、類ちゃんを行かせてあげていたらもしかしたらお父さんは助かったかもしれないし、そうしたら、今……類ちゃんはこんな風に苦しんでいなかったかもしれない。

 壁を撫でていた類ちゃんの頬が濡れていた。
 ボクはそれを拭いながら、問いかけた。

「類ちゃん、欲しい物とかある?マンガとかゲームとかさ。次来る時に持ってくるよ」

「……ない」

「そっか」

 少しでも楽にしてあげられたら良かったんだけど。

 こういう時はどうするのがいいんだろう。
 何かしてあげたいと思うのは、やっぱりお節介なんだろうか。

「ねぇ、ソウちゃんとはどんな風に過ごしてたの?」

 参考までに質問をしてみる。
 彼はチラリとボクを見た。

「……何も考えられなくなるまでセックスしてた」

 一瞬、思考が停止する。
 次いで、顔が熱くなった。

「あ、あぁ、そうなんだ……!? 類ちゃんとソウちゃん、付き合ってたんだね!? し、しし、知らなかったな……っ」

「…………」

 焦ってあたふたするボクとは裏腹に、類ちゃんはまた視線を壁に戻した。

 ソウちゃんとの過ごし方が参考になるわけがない。ボクは友達で、彼は恋人だ。
 自分の考えなしに呆れる。

 ……ボクに出来ることを探そう。

 部屋を見渡す。
 どことなく暗い生活感のない空間……花を置いてみたらどうだろう。少しは心が慰められるんじゃないか。

 後はやっぱり……太陽光は浴びた方がいいと思う。
 ずっと寝てるのも気が滅入りそうだし、散歩に連れ出してみようか。

 それからボクは、保険証のことを調べたりした。ふとした時に布団が視界に入ってドキリとして、何度もそんな反応をする自分を内心で殴った。

 その日の夜は自分の家に帰った。
 翌日、ソウちゃんの出勤時間に合わせて再びアパートを訪れた。

 来る前に花屋に寄った。
 旬のものをお願いしたら、思った以上に華やかな花を用意してくれた。ダリア、というらしい。
 早速、小さなテーブルに飾った。
 殺風景な空間にその赤い花は浮いていた。

「いってらっしゃい~!」

 ソウちゃんを送り出し、朝ご飯の皿を洗う。

「類ちゃん、今日天気いいから外散歩しない?」

 背後を振り返らずに問えば、

「……行かない」

 水音に掻き消されそうな小さな声が答えた。

「わかった。何かしたいこととかあったら遠慮なく言ってね!」

 ボクがどんなに頑張っても、恋人と過ごす甘い時間には敵わないだろう。
 そういうわけで、ボクは小さな贅沢をコンセプトにいろいろ準備した。

 花の他にも、甘いお菓子を山と買い込んだり、100均で買った冷水筒に水を入れて輪切りにしたレモンを入れてみたり……

 手が空くと、ボクは類ちゃんを横に見ながら、参考書を広げた。……一応受験生だし。それに類ちゃんに対してひとまず受け身でいようと思った。
 ボクはともすると、しつこく絡んでしまうから気を付けないと。

 ふと参考書から顔を上げると、類ちゃんがこちらを向いていた。
 目が合って胸が高鳴り、ボクは慌てて目線を元に戻した。

 文字が滑る。
 ……何故だろう、変に緊張する。

「な、何か欲しい?」

 沈黙に堪えかねて、ボクは口を開く。
 類ちゃんは小さく頷いた。

「のど渇いた」

 目を瞬く。それからボクは意気揚々と立ち上がった。

「オーケー。持ってくるよ」

 グラスにレモン水を注ぐ。
 彼の心に微かでも変化があるといいなと期待しながら。

「はい、お待たせ」

「ありがと……」

 類ちゃんが身体を起こして、グラスを仰ぐ。真っ白な喉が上下する。
 ボクは知れず視線を逸らした。

「……ごちそーさん」と、グラスが差し出され、それを受け取ろうとすると手を握られた。

 空のグラスが布団に落ちる。
 類ちゃんの手は氷のように冷たかった。

「類ちゃん……?」

「……なぁ、ニャン太。エロいことしよっか」

「はぇっ!?」

「暇潰しだよ。ダメ?」

 ちゅ、と渇いた唇が指先に触れる。
 ボクは慌てて手を引っ込めた。

「だ、ダメに決まってんじゃん」

「して欲しいことあったら言えっつってたろ」

「た、確かに言ったけど! ってか、類ちゃん、ソウちゃんと付き合ってるんだし、他の人とそういうことしたらダメじゃん。浮気じゃん」

「へぇ? 付き合ってなければするんだ?」

 ギクリとする。
 類ちゃんが目を細めて笑う。

「い、今のは……一般論だよ……」

「俺と蒼悟、付き合ってねぇよ?」

「え、え……!?」

「恋人同士になりましょう、なんて話1度だってしてねぇし」

「でもソウちゃんは類ちゃんが好きだよ」

 じゃなければ、こんな風に彼を守ろうとはしていない。

「知ってる。……だから?」

 首を傾げる彼は平然としていたけれど、どこか不機嫌そうだった。
 束の間の静寂の後、彼は親指の爪を噛んだ。血が滲むのが見えてボクは慌ててそれを止める。

 類ちゃんは力なく項垂れた。

「……落ち着かねぇんだよ。夢なのか現実なのかわからなくて。感覚が欲しい。生きてるって実感。指先の感触よりも、もっとハッキリしたものが欲しい。余計なこと考える余裕もないくらい、鮮烈に強烈に、今ここにいるって、居ていいって、感じたい」

「……ボクには、できないよ」

 触れた部分から、血液が沸騰していくのがわかる。

「お前、なんでここにいんの」

「それは類ちゃんのこと心配で……」

「なら、助けてくれよ」

 触れるボクの手の甲に、彼は額を押し付けた。

「……頼むよ。ニャン太」

 ボクはぎこちなく首を左右に振る。
 ムリだ。ソウちゃんを傷付けるなんて。

「助けてくれ……」

 類ちゃんが肩を小さく震わせる。
 ボクは凍りついたように動けなかった。

 自分は類ちゃんを助けたくてここにいる。
 ソウちゃんを支えたくてここにいる。

 濡れた眼差しがボクを見た。
 血が滲んで渇いた唇が助けてくれよと繰り返し、ボクの指先に触れる。

 ……出て行かないと。今すぐ。間違う前に。
 ソウちゃんは類ちゃんをひとりにしないで欲しいって言ってたけど、でも少しくらいなら ……頭を冷やす時間くらいなら、平気なはずだ。

 ……本当に? 本当に平気?

 冷静にならないと。他にも出来ることはあるはずだ。
 でも、ボクは彼が好きで。
 助けてあげたい。少しでも苦しみを和らげてあげたい。早く彼から逃げないと。

「寧太」

 ソウちゃんは類ちゃんが好きなんだ。
 ボクのことを信じて彼を任せてくれたんだ。

 ダメだ。
 そんなこと絶対にダメだ。

 逃げないと。
 でも。
 ボクは彼が好きで。
 ずっと好きで。
 好きで、

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