父と息子(3)
あの一件以来、類はあからさまに俺たちを避けた。
露骨に無視を決め込む彼に、クラスメートにも気まずさが伝播して、『何しちゃったの? 謝った方がいいよ』と心配される始末だった。
「……帝人。ボクたち余計なこと言っちゃったのかな」
帰り道、ニャン太が俯き加減にポツリと言った。
「苦しめちゃっただけなのかな……」
「……そんなことないよ」
たぶん、と心の中で加える。
沈黙が落ちた。
類は怒ったけれど、俺は正しいことをしたと思っている。ただすぐに納得させるのは難しいってだけで。
「……ボクさ、もう少し考えてみるよ。類ちゃんのために出来ること」
「そうだね。俺も……考えてみるよ」
類を父親から離すために何ができるのか。
類にとって父親と距離を置くということは、見捨てると同義だ。
だったらどんなに説得しようとしても無理なのかもしれない。
けれども俺は諦めることができなかった。
結局、導きだした答えは、類の父親と直接話すことだった。
* * *
類の家を再び訪ねたのは、クリスマスイブの日だった。
その日は街中から賑やかなクリスマスソングが聞こえてきて、コンビニ前ではケーキ販促のサンタクロースを何人も見た。
往来をいく親子連れやカップルの表情はみんな明るい。
そんな中、俺はひとり険しい表情で類の家のチャイムを押した。
今日は反応があった。
「おや、君は……三者面談の時の……」
「こんにちは。突然すみません」
俺は顔を覗かせた類の父に頭を下げる。
彼は上着のポケットに手を入れたまま、人好きのする笑顔を浮かべた。
「せっかく来てもらって申し訳ないんだが、類は今日はバイトで遅いよ」
「いえ、今日はお父さんにお話があって来たんです」
「僕に……?」
「はい」
頷くと、彼は面食らったような顔をした。
「ええと……ここで話をするのもなんだし、中にどうぞ」
俺は緩やかに首を振った。
「ここで結構です。それほど長居するつもりはありませんから」
「……わかった。それでどういった用件なのかな?」
俺は玄関を背後に確保すると、類の父親をさりげなく見やる。
上着のポケットには手以外のものは入ってはいなさそうだ。
靴箱の上では、小柄なクリスマスツリーがチカチカと点滅していた。類が用意したのだろうか。
俺は1度呼吸を整えると、真っ直ぐに類の父親を見つめた。
「……類を解放してあげてはくれませんか」
言葉に、切れ長の目がスッと細くなる。
彼は唇を舐めると小首を傾げた。
「……君が何を言っているのか、よくわからないのだが」
「俺は腹の探り合いをしに来たわけではありません。あなたには、この意味が理解できるはずです」
「すまないが、そう言われても思い当たる節がないんだ」
「そうですか……」
俺は溜息をつく。
それから握りしめた拳を太股に押し付け、唇を開いた。
「俺……類の体の傷を見たんです」
時が止まったかのような、静寂が落ちる。
類の父は目を見開いていた。頬がピクリと痙攣する。
それからドッと疲れたような顔をして、目線を落とし腕を組んだ。
「…………類が見せたのかな」
「いいえ。俺が半ば無理矢理に見ました。彼のことが心配で」
「心配……?」
彼はゆっくりと瞬きをして俺を見た。
その仕草はとても類に仕草が似ている。
「あなたは先日、俺に蒼悟について尋ねましたよね。ケガは大丈夫なのか、って。実は彼……学校を辞めたんですよ。あなたが心配していた通り、ケガが原因で」
「……」
「ソウが――蒼悟が学校を辞めたと聞いた時、類は不自然なくらい狼狽していました。俺は彼の反応が気になって調べて……そして、あなたに蒼悟のことを尋ねられて、ある可能性に辿り着いた。ソウのケガの原因に、類が……あるいはあなたが、関わっているんじゃないかって」
「……なるほど」
類の父は、指先で眉間を揉んだ。
「……やはり僕はあの時……類の友達にケガをさせてしまっていたんだね……」
掠れた声で誰にともなく言う。
彼は諦めの色が滲む眼差しで俺を見た。
「それで君は、僕に自首するように言いに来たのかな」
「違います。ソウはそんなこと望んでいませんし、俺だってあなたをどうこうしたいんじゃないんです。ただ……類を手放して欲しいんです」
「手放す……」
「あなたは……たぶん病気です。然るべき場所で治療を受けるべきだ。このまま類といたら、ふたりして共倒れになってしまう。俺はもう、友達を失うようなことは嫌なんです。だから……あなたに類と距離を取ってもらいたくて、今日、お願いに来ました」
「……そんなことは」
彼はくしゃりと顔を歪めると、ゆっくりと膝をついた。
「言われるまでもなくわかっているんだよ……」
呟き、ポケットから手を出す。
微かに震えるその手を見下ろし、彼は額に手を当てた。
「何度も……何度も手放そうとしたんだ。後悔して……だが、僕には類が必要だった。類がいないと生きていけない。傷つけるとわかっていながら、僕は……僕は……類には本当に申し訳ないと思っている。こんな父親で、申し訳ないと……」
俺は心が冷えていくのを感じる。
わかっていると言いながら、彼には俺の言葉を受け入れる気はないようだったから。
「だけどね、ちゃんと類が誇れるような、父親になろうと頑張っていたこともあったんだ。母親がいない分、僕が頑張らなきゃって……だが、何もかもうまく、いかない。仕事も、類を傷つけてしまうことも……お酒だって何度もやめようと思ったんだ。頑張ったんだよ。だが、何もかもうまくいかなかった……!」
「……あなたが絶望して諦めることは勝手です。でもそれに類を巻き込まないでください。類はあなたのものじゃない。ひとりの、別の人間になんですよ」
ゆっくりと、語り聞かせるように言う。
たぶん僕の言葉は、鋭く彼を抉ったに違いない。
彼は何か言おうとして唇を開閉させると、やがてガクリと項垂れた。
クリスマスツリーのにぎやかな光が、視界の端で点滅している。
束の間の沈黙の後、彼は掠れた声をこぼした。
「……出て行ってくれないか」
座り込む類の父を見下ろして、言葉を探し……俺は唇を引き結ぶ。
次いで小さく会釈した。
「…………また来ます」
類の家を後にする。
「頑張ったんだよ……これでも……」
玄関の扉越しに、力ないそんな声が聞こえた。
* * *
俺はそのまま予備校に向かった。
いろいろなことを考えてしまうせいで、授業の内容はあまり頭に入ってこなかった。
ニャン太から電話があったのは、ちょうど予備校の校舎を出た時だ。
『帝人? 予備校終わった? あのさあのさ、どうしても話したいことがあって……今、大丈夫?』
「平気だよ。どうかしたの?」
俺は道の端にどくと、スマホを耳に当てながら、背負っていた重たいリュックを足元に下ろす。
『親に類ちゃんのことしばらく家に住ましてあげられないかって相談してみたんだ。あ、もち理由は言ってないよ? そしたらさ、ほら、バイトも一緒だしてボクの父親がいいよって言ってくれたんだ。ただ、親御さんの許可はとってね、って言うから……類ちゃんのお父さんと話したいと思ってて……』
ニャン太は鼻息荒く、言葉を続けた。
『それとさ、いろいろ調べたら依存症の治療って補助金とか出てるんだって。だから、類ちゃんのお父さんと話をする時にその辺のことも言えたらいいなって考えてたんだけど……やっぱ、ひとりで行くの怖くて』
1度、言葉を切ってからはたとする。
『あっ、怖いって類ちゃんのお父さんが怖いってことじゃないよ!? じゃなくてさっ』
「わかってるよ。話し合いがこじれたら怖いってことでしょ」
『そう。そうなの。だから、さ……これから、一緒に類ちゃんち行ってくれない? 急なことで本当、ごめんなんだけど。でも、どうしても……今夜行きたいんだ。学校じゃ類ちゃんに避けられちゃってるし。だったらもう、類ちゃんがいて、お父さんがいる時間帯に突撃しちゃうのが1番早いかなって』
「……そうだね。それがいいかも」
俺は静かに頷いた。
類だけを説得するのは難しいとニャン太自身も気付いているようだ。
俺は携帯で時間を確認した。
「じゃあ、このまま類んちの最寄り駅まで行くね」
『ありがとう、帝人!』
それからしばらくせずに、俺とニャン太は合流した。
「帝人~! こっちこっち!」
力強く両腕を振り上げて、ニャン太が駆け寄ってくる。
「類ちゃんち、帝人が知っててくれて助かったよ」
その手には、何か箱の入った下げ袋があった。
「それ、何?」
「今日はクリスマスイブだからさ。コンビニケーキ、お土産に買ってきたんだ」
それから彼は自身を奮い立たせるように拳を握りしめた。
「あとね、助成金の申請書類とかもプリントしてきたの。余計なお世話ってまた怒られちゃうかもだけど、今回はちゃんと具体的な案持ってきたし、ふわふわした『頼って』じゃないって類ちゃんもわかってくれると思う」
ニャン太はとても冷静だった。
俺たちは類の家を目指して、言葉少なに川沿いを歩く。
鼻先を焦げた臭いが掠めたのはそんな時だ。
近くには畑もないし、時間も深夜に近い。
訝しげに臭いの元を目で探せば、夜空の一部が赤く染まっていた。
「火事かな……」不安を口にすると、
「みたいだね。最近、乾燥してたからなぁ」
ニャン太が応えてくれる。
俺は胸騒ぎを感じた。
類の家に近づけば近づくほど、それはどんどん大きくなっていく。
ぱらぱらと人垣が見えた。
「帝人?」
歩みを止めた俺を、ニャン太が心配そうに呼ぶ。
俺は口の中にたまった生唾をゴクリと飲み下した。
「燃えてるの、類んちだ……」
呻くように告げる。
「え……!?」
俺は炎の立ち上る一軒家を前に、立ち尽くした。
数時間前に訪れた家が燃えている。
どうして……一体、何があったのか。
「み、帝人。ここ? ここ、ホントに類ちゃんちなの!?」
「う、うん……」
「ウソでしょ……類ちゃん……っ!」
ニャン太が人垣を掻き分け、前へと飛び出す。
バリンと窓ガラスが割れて、中から炎が噴き上がった。
遠くから、救急車と消防車の音が近付いてくる。頭の中にけたたましいサイレンの音が旋回する。
最悪の事態が脳裏を過り、口の端が引き攣る。
その時だった。
「親父……」
掠れた声にハッと振り返れば、人垣を掻き分けて、類が慌てて前に飛び出してきた。
彼はバイトから帰ったままなのか制服姿だった。
「類ちゃん! 良かった、無事だったんだね――」
「親父……っ!」
ニャン太がホッと胸をなで下ろしたのも束の間、彼は燃え盛る家に向かって地を蹴った。
「ちょ、類ちゃん!?」
咄嗟に、ニャン太が抱きついて止める。
彼は死にもの狂いでそれを振り払おうとした。
「離せ! 中に親父がいるんだ! 助けねぇと……!」
「えっ、え、お、お父さん……!?」
ニャン太が驚愕したように炎を見つめる。
黒い煙が立ち上る家が崩れて、大きな音を立てた。まるで断末魔のようだった。
「離せ! 寧太!! 頼むから、離してくれ!」
「い、イヤだよ。あんな中入ったら、類ちゃんが――」
「まだ間に合うんだ! 頼む、頼むからっ……」
「落ち着いてってば! もしかしたら、お父さん避難してるかもしれないよ!?」
暴れる類をニャン太が必死に押し止める。
俺は燃え盛る家を背にして、類の前に立ち塞がった。
「もう……無理だよ、類」
「ふざけんなっ、無理じゃねぇ! 無理なわけあるか! 離せ、クソ、寧太! 離せっ、離せよ……っ!」
類がニャン太の腕にコートの上から噛みつく。
「いっ……」
ニャン太は痛みに顔を歪めたが、決して手を離さなかった。
俺も前から類を抱きしめるようにして留める。
「親父! 親父――っ!」
喉が裂けるほど声を上げて、類が腕を前に伸ばす。
救急車と消防車が到着し、即座に消火活動が始まった。
「親父…………」
類は呆然と呟くと、その場に力なく崩れ落ちた。
焼け跡から、ひとりの遺体が見つかった。
類と俺たちは警察から軽く事情聴取をされてその日は家に帰された。
後日、検視の結果が出て、遺体は類の父親と確定された。
出火については事件性はなく、寝たばこの火が原因だろうということだった。
類はあの日、父親とケンカをしたらしく家を飛び出していたため無事だった。
火事から5日後、類の父親は火葬された。お葬式はなく直葬で、数人の親戚と、担任、俺とニャン太が参列した。
父親の遺体は損傷が激しく、類は最後のお別れも出来なかった。
「燃えて死んじまったのに、また焼くなんて可哀想にな……」
火葬炉の前で佇みながら類がポツリと言った。
右の目から、つ、と一筋の涙が伝う。
俺はそれを見ないふりした。
類が泣いたのは、その時だけだった。
* * *
その後、類は親戚の家に引き取られた。
俺たちは3年に進学した。4月の中頃、ソウから心配をかけたことへの謝罪と、就職したとの連絡が来た。
俺たちは、また4人で会おうと約束した。
けれどその約束を果たす前に、類が姿を消した。
高校3年の、夏休み2週間前のことだった。
『ファミリア・ラプソディア』 step.24 父と息子 Side:帝人 おしまい
To Be Continued